一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

桜木町、伊勢佐木町

 

 古本屋研究会の若者たちに連れられて、横浜桜木町から伊勢佐木町を歩く。私にしてみれば、たて続けの遠出だ。

 桜木町駅から山手がわのゆるい傾斜地一帯は、近年飲食街としての発展が目覚ましい。通い詰めれば、もしくは近隣へ引越して来れば、さぞや面白い街だろう。ある地点から急に傾斜がきつくなる。野毛坂である。頂上には野毛山動物園野毛山公園がある。また成田山横浜別院もあって、伝統ある仏具屋が軒を連ねる、現在はアスファルトだがかつては石畳だった坂道である。

 野毛坂で古書といえば、苅部書店さんだ。ご当地に百年以上お住いのお宅で、大旦那は九十歳を超えられて、ご壮健ながらさすがに帳場にはお出にならぬという。切盛りなさるご子息すら、還暦を過ぎられた。野毛坂もずいぶん変りましたと、帳場の大おかみさんがお元気で笑う。
 週末ごとに古書店マップを片手に、虱つぶしに古本屋を巡り歩いた時分に、大旦那さんからはあれこれ教えていただいた。四十年ほど前のことだ。

 店前のコンクリート敷に穀物の粉でも撒いたろうか。あるいは豆でも洗って滓を含んだ水でも撒いておかれたろうか。番いの鳩がなにやらついばんでいたが、黙って観ていると、まるで手慣れた一連の作業ででもあるかのように、二羽とも店内へと踏み入っていった。怖れも警戒も感じていないように見える。
 はあ、年季の入った店というものは、鳩をも安心させてしまうのかと舌を巻いた。

 
 野毛坂の中腹に広い道路がある。ここまでが商店街でこれより公園・迎賓館・図書館・市役所関連施設そして高級住宅地であると、区切る道路だ。私が記憶する昭和三十年ころには、日の出町行きの市電が通っていた。
 その道を西へ向って、つまり伊勢佐木町方向へと下ってゆく。JR の鉄橋をくぐる。鉄構造のドテッパラに巨大な矢印が描かれ、右は浜松町・左は大船だそうだ。大きく出たねえ、との感じもある。しばらくのあいだ道は線路に沿って、じつは川にも沿って進む恰好になる。

 進行右手に古本屋一軒。いちおう歩道は整備されてあるが、車輛の交通量がめっぽう多い幹線道路沿いに、そぞろ歩きの書店客などあるのだろうか。と思うのは余計なお世話で、われらがお邪魔した十五分ほどの間に、なん組ものお客さんが入店し、出ていった。
 通りを横断し、高架線路をくぐり、川岸へ出る。高架下の細長い空間を利用した、ミニお洒落タウンが形成されてある。カフェがあり、椅子専門店があり、女性用小物専門店があり、キャンプ用品とサーフィン用品だけを扱う店がある。なかに古本屋が挟まって、画集・写真集・美術書だけを扱っている。

  
 さて伊勢佐木町だ。隣同士とはいえ、桜木町とはまた雰囲気がガラリと異なる街である。
 「ここが伊勢佐木町通りの尻尾です。入口すなわち関内駅方面へ進むにしたがって、賑やかになってゆきます。青江三奈伊勢佐木町ブルース」の巨大絵看板なんかもありますよ」
 「それって、誰?」という反応だった。慌てて追加した。「ハスキーヴォイスの美人歌手で、まあ、八代亜紀の先輩でしょうかね」
 反応してくれた若者は、ひとりもなかった。

 のどかな陽気のもとで、週末の歩行者天国化した通りを散策して歩く。道行く市民たちも、どこか趣味のよろしい人たちに見えるのは、明らかに当方の劣等感だろう。道筋に五軒の古書店があるが、一軒は休業日だった。
 その代りこの通りには、有隣堂書店の本店が偉容を誇る。古書店ではないが、せっかくの機会だから、ビル全階を占める巨大書店を見学して歩いた。

 
 時間を巻戻すが、途中に昼食休憩時間が設けられ、再集合を約して一時散開した。手軽にしかも気持好く食事休憩できる店には事欠かない。だが私は、旧くからひっそりと店を開ける個人経営の喫茶店に飛込み、紅茶とアップルパイを注文した。
 若者たちが古本を漁っている時間を、私は頻繁に路地を曲って過した。記憶に残る伊勢佐木町と今の風景との相違を愉しもうがためである。さすがに幼児期の記憶は残ってないが、五十年前、三十年前、十年前の記憶が折重なって、脳が混乱するのを愉しむわけだ。

 伊勢佐木町を甘く視てもらっては困る。脇道へ折れてさらに平行する裏通りへと出れば、遠い昔は簡易宿泊所がいく軒もあり、仕事にあぶれた日雇い労働者がさかんに往来する光景があった。街を浄化しようと図る時代があった。ドヤ街は姿を消したが、大小の風俗営業店が林立した。淘汰の年月で精選されたのだろうが、今も片鱗はある。かつてよりは遥かに安全なのだろうが、若者たちには紹介しない。
 飲食店も多い。キャバレー形式のショウ倶楽部が残るコリアンタウンもある。「野毛おでん」だの「伊勢佐木てんぷら」だの、さらに定連客や紹介客ご用達の料亭風門構えの店もある。一歩裏へ入ると、あるいは辻をひと折れすると、とんでもない街へと迷い込むことになりかねない、ワクワクするような混沌重層の街である。
 突然に予定外の現金が必要になることだって、あるのだろう。なにも歌舞伎町まで行かなくたって、伊勢佐木町の質屋の二階からは、手提げ金庫を口にくわえたゴジラが身を乗出して、往来をへいげいしている。