一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

手堅い仕事


 いったい何に夢中だったんだろうか。

 地味ながら丁寧な仕事に、妙に憧れた時期があった。四十代だったろうか。へそ曲りな逆張り精神とでも申すべきか。血まなこになって古書店を歩いた作家の一人が、柏原兵三だ。
 とはいえ江戸期以前の古典籍を漁るわけでもあるまいし、東京神奈川の古書店集中街を歩き回れば、たいていのものは片がつく。神保町、早稲田通り、本郷通り、中央線沿線各駅周辺、大森蒲田界隈、渋谷から駒場・下北沢・経堂方面、伊勢佐木町桜木町から白楽方面。週一の休日を使ってなんか月かをかければ、おおむね見当がつく。
 ネット検索なんぞという時代がやって来るとは、夢にも思わなかった時代だ。

 まず神保町にて入手困難度と値段とを勉強する。まだ買わない。神保町は品揃えも商品管理も申し分ないが、相場も強い。とりたてて美本だったり付属品完備だったりする必要を感じない、私ごとき二流探書家にとっては、多少傷んでいようが煤けていようが、よその街でより安いものを買う。
 目星をつけた町や地域を巡り了えて、神保町でしか観なかったものがあったら、最後にもう一度戻る。

 キキメという業界用語があるそうだ。いかなる集めかたをした場合にも、どういうわけかこれだけが手に入らぬという、穴が生じる。その穴のことである。語源は知らぬが「効き目」ではなく「利き目」だろう。「目利き」の逆さ言葉か洒落だろうか。それとも古くからあった言葉だろうか。訊ねて納得の応えを得たことはない。
 柏原兵三にもキキメがあった。東京神奈川でどうしても視つけられぬ一冊が残った。関西方面へも名古屋・広島へも近々の出張予定がなかった。出張日程をやり繰りしてその地の古書店を急ぎ足で回るのが、わが習慣となっていたのだが。

 匙を投げていた数年後に、札幌の大学で開催されたとある学会に、出入り業者の一人としてお手伝いに参上することになった。販促でもあるが、ゴマスリと顔売りの出張である。当然ながら時間を工面して、北大や藤女子大周辺とすすきの界隈の古書店を急ぎ足で巡った。
 すすきののとある店の棚に、キキメの一冊は差してあった。高価でも珍品でもなく、まことに呆気なく、そこにあった。柏原兵三著作が揃っているなどというのではない。他の作家の本に紛れて、それ一冊だけがポツンとあった。息を呑んだ、なんぞというのは後日の修飾的回想で、拍子抜けしたというのがその場での実感だった。

 四十歳で惜しまれて早逝したが、作の仕上げは手堅い。芥川賞受賞作『徳山道助の帰郷』であれば、『芥川賞全集』でも読めるし、文庫化もされてある。漫画化や映画化された『長い道』も文庫化されてある。歿後刊行の『作品集』や文学全集でのアンソロジーがある。カフカその他の翻訳などドイツ文学者としての業績もある。
 とはいえ作家として生前に刊行した小説集と随筆集としては、これがすべてである。貴重とは思うが、ゆっくり読返す時間は、私には残されていまい。どこかに具眼の士もおられよう。古書肆の手に委ねる。ただし生前の作家を知る知友による回想・証言を集めた『柏原兵三の人と文学』(三修社)だけは残す。

 相前後して著作を集め切った、やはり地味ながら手堅い仕事ぶりの作家に、高井有一がある。日本語文章の、ひとつのお手本とすら考えていた。活躍期間も長く、著書の数も柏原の四倍以上はあろうから、いちだんと骨を折った。こちらは、まだ手放すわけにはゆかない。
 現在であれば、古書サイトでのネット検索により、大幅に省力化できる。それでもキキメはあり続けている。