一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

いよいよ手を着ける



 人生の店仕舞の作業を怠けぬように、本を手放す記録を時おり書いてきたが、これまで芝居関連書籍に手を着けたことはなかった。他分野との相似や通底を断ち切れぬ場合があり、取捨の判断に迷う場面が頻繁に生じがちだからである。が、そう云ってばかりもいられない。

 劇作家清水邦夫の名を憶えたのは『あの日たち』によってだった。炭鉱事故による一酸化炭素中毒で記憶喪失や人格障害に陥った人びとを通して、記憶とはなにか、思いやりとはなにか、人はなにを根拠として人でありうるのかを問うた、深刻ではあるが情感豊かでもある作品だった。三井三池の大事故その他が、まだ多くの日本人の記憶に鮮明な時代だった。各地の公害問題や環境汚染問題にも注目が集っていた時代でもあった。
 人気劇団「青俳」の総力を挙げての初演だった。岡田英次木村功のツートップに織本順吉や金井大、原知佐子真山知子、後年演出家として名を馳せることになる蜷川幸雄らによる力演だった。

 『あの日たち』に感動した高校生は、大学進学後に学生劇団「自由舞台」による同じ作品を観ることとなった。役者陣にも裏方にも、いく人かの友達や同級生がいた。
 同じ作品でも演出が異なることで、こうも異なる舞台となるとの実例を観せてもらった。出来不出来の問題ではない。両舞台とも力演だった。飽くまでも異なりの問題だ。さらに戯曲中に指定されてある詞に、いかなる曲を付けるかでも、それが劇中でいく度も唄われるだけに、芝居全体の印象を決定的に異なるものにしていた。

 おりしも新劇のありようが根本的に問い直された時代で、劇団の分裂改組や大量脱退者の話題もあり、冒険的かつ挑発的な小劇場運動も活発になってきていた。清水邦夫も新世代劇作家の一人ではあったが、作風にはやや落着いたところがあり、冒険だの挑発だのといった危険臭漂う前衛性とは無縁だった。それだけに「まっとうな?」演劇ファンからも人気を博した。
 やがて蜷川幸雄が個性的な演出家として頭角を現し、清水戯曲の新作初演を一手に手掛ける様相を呈し、世間からは清水・蜷川コンビと看做されるほどとなった。
 清水作品の舞台を追いかけることはしなかったが、いつの日かまとめて眼を通したい意欲は、かつてあった。二巻組がふた箱それに最終巻という、『清水邦夫全仕事』五巻組を、今の私は読み通せまい。古書肆に出す。

 秋浜悟史作品には、演劇集団「変身」による代々木小劇場公演で出会った。画に描いたような小劇場運動だった。東北地方を題材とした土着的主題が世間の眼を惹いたようだが、高校生だった私は『アンチゴネーごっこ』に影響を受けた。戯曲集『しらけおばけ』に収録されてある。土着もの四作を収めた『秋浜悟志戯曲集』ともども、このさい古書肆に出す。
 小劇場運動つながりで、寺山修司唐十郎の戯曲集も、古書肆に出す。寺山修司『血は立ったまま眠っている』は劇団天井桟敷を結成するより前の初期戯曲集だ。
 『秋元松代全集』のバラが一冊。収録作品は他の版でも読め、ほぼ内容重複するので、このさい出す。
 古くは小山内薫や岡倉士朗の演出論。新しいほうではハイナー・ミュラーの芝居論があったから、併せて出す。


 福田善之矢代静一井上ひさしなどなど、喜劇の台詞を巧みに書いた作家が、ことのほか好きだ。三人が似ているわけではない。それぞれ別様に巧いのだ。血脈は三谷幸喜さんや宮藤官九郎さんにも受継がれている。遡れば、チェーホフだ、いやシェイクスピアだと大仰な噺になってしまうが、それは措くとして。
 福田・矢代・井上といった、私の世代が出逢えた喜劇上手がたの親を探れば、いく人かの先達の名が挙ろうけれども、そのうちの岩田豊雄(小説家としての筆名は獅子文六)と飯沢匡に関するものを、古書肆に出す。それより前に出すべきものが数多ありそうだが、書架を順繰りに空けてゆく手都合だから、仕方ない。
 中村実だの西島大だの、あまり取沙汰されたり文庫化されたりしない作家の戯曲集も混じるから、古書肆ご店主のお眼を惹くかもしれぬが、なんと申しても私の手元に長らくあった本だ。コンディションがあまりに悪い。お気の毒です。