一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

路傍の紙


 断捨離に先がけてまず、部屋内を歩き回れる状態にする第一歩。

 わが家には開かずの扉がいくつかある。老朽化のせいでも鍵紛失のせいでもない。足元に本やガラクタが積上げられてあるからだ。たとえば階段上りはなの廊下から書庫へは、扉はあっても直接には入室できない。学生時代は私の勉強部屋だった脇の三畳間へいったん入室し、そこにも隣接する書庫へと、いわば迂回路をとって出入りしている。
 その書庫内にしてからが、奥まった書架まで辿り着くには、まず右足をこの空地へ、左足をこの隙間に置いて上体を捻るといった、ちょいとしたコツが要る。この不自由をまず解消せねばと思い立った。現場作業を楽にするためには、まず現場までの通路を拓かねばならない。

 床に順不同に積上げられて通路を塞いでいるのは、かつて書架に収めるまでもあるまいとされて、いずれまとめて分類整理されるべきだったのを、そのまま埃を被るにいたった雑誌類が主である。
 文学雑誌を定期購読した経験はない。店頭で目次を一瞥し、とくに興味ある作品もしくは追悼特集などが掲載されたときのみ買う習慣だった。今目次を眺めても、なぜこの号を買ったかが明瞭だ。時を経て、今こそその特集にご興味をおぼえる好学の士にとってはご興味あろうかとは思うが、いかになんでもバラであり、埃を被ってある。古書肆にとっては、いかにもご商売としにくいゴミである。が、とにかく古書肆に出す。
 ただし『新潮』増刊号の「川端康成読本」「小林秀雄読本」「三島由紀夫読本」など、他で集めること不可能な貴重資料が収録されてあるもののみは残す。また『文學界』バックナンバーのうち、小久保均作品掲載号は残す。長年興味を抱いてきた作家だが、世に広く伝わっているとは申しがたく、むろん作品集の単行本はすべて所持しているものの、雑誌初出号も念のため。

 演劇雑誌も混じる。月づきの劇評なんぞにはまったく関心なかったが、興味ある劇作家の新作戯曲の掲載号だけ買っていた。福田善之矢代静一ほかである。その後刊行された戯曲集に作品が収録されるに及んで、私にとっては不要もしくは重複となったまま、処分されずにあったものだ。ようやく古書肆に出す。

 『早稲田文学』バックナンバーがある程度あるのは、当然だ。知友の作品の掲載号、および私自身がお世話になった号については、さすがに残すとしても、そうでない号は古書肆に出す。『三田文学』も少しあった。両誌ともまだまだ出てくるはずだが、拙宅内に散らばっているので、順次である。「早稲田文学創刊百年特集」と銘打って国木田独歩から保坂和志までの作品をずらりと並べた、一九九一年十月号から十二月号までの三冊組は、マニアには面白いかもしれない。

 日本で仕事をする韓国・朝鮮系の論客たちに耳を傾けていた短い時期があった。名残の『季刊三千里』がなん冊か残っていたので、この機会に古書肆行きとする。金両基『韓国仮面劇の世界』が近くにあったので、付けて出す。

 出てゆくのは、市場価値なんぞ見込めぬ紙屑がごとき古雑誌ばかりだ。が、愛川吾一はこの世に一人しかいない。かつて私においてさようだったように、今だって無価値ではないはずだ。
 ただしそれで書庫のケモノ道が、少しは歩きやすくやすくなったかといえば、なかなかこの程度では……。だが前進してはいる、きっと。