一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

器の限界



 車谷長吉『鹽壺の匙』には驚いた。じつは刊行時がこの作家の登場ではなく、いく年も前から、納得ゆくものだけをポツリポツリと雑誌発表してきた寡作作家で、ようやく一冊分が溜って刊行されたから、私のようなものの眼にも入ったのだった。内面の格闘を凝視した、コテコテの私小説である。
 頑固な人、志の高い人、という印象だった。さも誠実そうに自我を描くには、自己対象化のユーモア精神がぜひとも不可欠だから、この人もあんがい面白い人かもしれないなんぞと想像した。拝眉の機会は、とうとうなかったけれども。

 私にも思い当る点がいくつかある文学だった。が、私にはとうていそこまで徹底してこだわりれきぬ世界だった。執念の差というか、器量の限界かと思えた。
 今でも車谷長吉を想えば、襟を正す気分になる。が、私はもう反省も徹底もしないと決めた。四角い部屋の中央で円く動いて生きてゆきたいと思っている。
 車谷長吉を古書肆に出す。

 リービ英雄の登場にも驚いた。外国人作家による日本語文学にあれこれ議論はあったが、私は大賛成だったし、なりよりも登場作『星条旗の聞こえない部屋』に感心した。主人公の胸中で「シンジュク」が「新宿」に変る経緯を描いた短篇は心に残った。
 今では伝説化した歌舞伎町のマンモス喫茶店でリービさんがバイト・ウェイターをしていたころ、私は百メートルとは離れていないジャズ喫茶に入り浸って、翻訳アメリカ小説に読み耽っていたことになる。
 今では主要作品は文庫化されてあるから、以前小説類は古書肆に出した。評論が一冊出てきたので、今回出す。

 外国人による日本文学という括りだったのだろうか。書架に並んでいたので、金史良と李良枝との新旧二人を、古書肆に出す。


 なにごとかを、またはだれかを理解したいとき、作品のウラ取りに奔走するわけだが、場合によってはウラのウラ取りにまで深入りしてしまうことがある。その態度を貫ければ綿密な調査となり篤実な研究者ともなれたのかもしれない。しかしさような殊勝な心がけは、私には無理である。分不相応な野心だ。しょせんは興味本位の粗密まだら認識に了るほかはない。
 書架を眺め渡すと、過ぎ来し分不相応の残骸が、無残に散らばってある。こういう本にまで手を伸ばしたことがあったのだと、羞恥をともなう感慨に耽ることがある。

 大部な『評伝金子光晴』を古書肆に出す。『菊岡久利詩集』の復刻版三冊揃いも出す。菊岡の揃いなんぞは、あるいは珍しい品物かもしれない。
 今読返せば、あんがい面白いかもしれぬ本も眼に着くが、時すでに遅し。手にした時代に感じ取れなかった私の、器量の限界である。われこそは縁なき衆生ぞ。