一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

昨日に懲りて

 

 建屋の東がわ。隣家との塀ぎわである。
 裏手に設置されたガスメーターへの通路にあたるため、検針員さんにご迷惑をおかけせぬよう、まっさきに草むしりの気が周る地帯なのだが、ほんの一画だけ後回しになっていた。ユキノシタの群生処だったからだ。
 花の形が独特で可愛らしく、丸葉は天ぷらにして食べられる。花言葉は「謙遜した愛」「博愛」とされる。和名が示すとおり、積もった雪の下で辛抱したあげくの、けな気な開花という印象を、だれもが抱いたのだったろう。

 花は完全に了った。シダやドクダミと一緒くたになって、緑一色の様相を呈している。今世代にはご退場願うべき時期が来ている。来年の心配には及ばない。私の粗雑な草むしりでは、一円硬貨ほどの小さな葉が、いく葉も摘み残される。さすがに今季中の再繁茂は望めまいが、地中には相応の根を残すことだろう。来年には一人前になって、また芽吹いてくることだろう。

 
 通路を挟んだ、その正面である。ガラクタが散らかっているため、草むしりの手が不行き届きとなりがちな一画だ。シダもドクダミも大型化している。
 そのうえなん年前からだったか、矮性の笹が地下茎を張り回してきた。視た眼には与しやすそうでも、笹は草ではない、れっきとした樹木だ。指先でちょいと摘んで引抜くというわけにはゆかない。だいいち、そう容易に千切れてなどくれない。伐ろうとすれば、剪定鋏が必要となる。
 後顧の憂いを絶つべく、地下茎を辿って兄弟姉妹までをも引抜こうとすれば、腕力のみではとうてい無理だ。いったん立上って腰の備えをし、息を詰めて気合もろともに、いわば膂力総動員で引抜かねばならない。ズルリズルズルッと揚ってはくるけれども、ガラクタを動かすわ、積んであった素焼鉢が崩れて割れるわ、けっこうな騒ぎとなる。
 とはいえ季に一度はやらねばならぬことなので、今朝やった。


 今朝はまだ、時間に余裕がある。昨日は、油断だった。

 まだ熱暑時間までには間があろうと踏んで、まずは近所を軽く散歩してからと高を括り、時間を遅らせて動き出した。と、理髪店のサインポールが動いているのを発見し、急遽散髪日となった。理髪店を出たのは、もう正午近くで、とてもじゃないが正気で歩けるような陽射しではなかった。
 建物の陰を縫うように道路ぎわを歩き、八幡様ではマスターの本復を感謝し、境内の木陰でしばらく休んだ。駅前の神社までヨロヨロ歩いて、マスターの予後の安からむを祈ってから、大鳥居向うの整列する自販機にて価格破壊缶珈琲を買い、境内へと戻って石段に腰掛けて飲んだ。
 陽射しはますます強まる一方で、やむなくロッテリアへと避難し、読書タイムとなってしまった。

 前日の轍を踏まず。今朝fは早く動き出し、さっさと地下足袋に履き替えた。気分をなりに表したいタイプである。およそ三十分作業で、笹の始末まで了えることができた。まだ陽は高くなってきていない。三十分延長すれば、もうひと仕事できる。
 ユキノシタその他をむしったばかりの一画に、横長の穴を掘った。幅一メートル、奥行きと深さは各二十センチほどだ。ミミズのコロニーにぶち当ってしまった。身長十五センチもあろうかというボスに、気を付けて作業しますからと謝った。
 枯枝山から、完全乾燥した小枝類をひと抱え持って来て、十センチほどにポキポキ折りながら、穴の底に敷詰めるように放り込んでゆく。
 冷蔵庫から、ビニール袋に詰めた生ゴミを持って来て、少量の土と混ぜ合せながら、小枝の上に放り込む。じゃが芋と人参の剥き皮や、黄ばんで食べられなかった葉菜が、これですべて土に還る。
 今度は枯草山から、十分乾燥した草類をふた抱え持って来て、いったん絡まりをほぐしてから再度ぎゅうぎゅう詰めにして、上を土で覆う。
 このままでは、今は平らでもやがて窪地となってしまうから、土を補充しなければならない。地上部が枯れても放置されてあった蘭鉢や万年青鉢やその他の培養鉢がある。内に残っていた培養土といったら、畑土あり鹿沼土あり、いろいろだ。かまうことはない、混ぜこぜにして、埋めたばかりの穴の上をマウンド状態にしてしまう。
 あとは麦踏みたいに、丁寧になん往復も踏んづけてから、如雨露でたっぷり水を差しておく。

 どんなもんだい。余裕である。(でもきっと、お詳しいかたからはお叱りを受けるやりかただ。)