一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ホーホケキョ



 元日の丑の刻(っていうと夜中の二時だぁね)に始まって、きっちり八日目ごとに、天空から妙なる音楽が聞えてくるって、誰が云い出したもんだか、まことしやかに云い触らされたことがあってね。拡散ってやつだ。

 いついっかの夜中、どこそこで俺はたしかに聴いたなんて輩が出てきた。ばか云いやがれ、突風が吹いたかなんかを空耳アワーだろうって、けなす奴も出てきた。たちまち噂は、東西南北にね、いや拡がったのなんのって。炎上ってやつだぁね。

 つらつら考えてみたんだがね、なんぼなんでも、まんま信じられる噺じゃねえや。かといって火もねえとこに煙だけ立った、と云い切ってよいもんだか、どうだか。
 人間の常識が知ってることなんぞ、昔も今も、高が知れてるからねえ。世の中が治まる前兆に甘露が降ったとかさ、乙女が降りてきて羽衣の舞を舞って見せたとかさ、噺まんまじゃねえとしても、なにかしらタネになることが、あったんじゃねえかという気もする。
 おかげさんで、もう長えこと天下泰平。天の上の連中だって、飲み食いは十分足りて、歌えや囃せや踊れやと、物まねやら狂言やらに興じて、よろしくやってるんじゃねえだろうか。それを聴き取れねえのは、こっちの人間たちの器量に罪があるというふうに、考えられねえもんでもねえや。

 んでもってさ、どっちにせよ、ちょいと面白い噂じゃねえかというんで、三月十九日の夕方から、もの好きが過ぎるいつもの酔狂連中が、あたしのボロ家に集って来ちまった。
 茶だ酒だと好い気なもんだが、明ければいよいよ、八日目の丑の刻だ。おのおの息を凝らして、耳を澄ませて、今か今かと待ち受けた。はてな
 夜はしらじらと明けてきた。窓のすぐ外には、梅の木が一本立っているんだが、早起きの鳥が一羽やって来て枝にとまって、ひと声鳴いたねえ。

  今の世も 鳥はほけ経 鳴にけり  一茶


一朴抄訳③

雲量

雲量ゼロ、電線豊富。

 「結構なお正月で」
 ご近所のお顔馴染と道ですれ違うさいの、今年の挨拶だ。

 十二月に二十三日から、東京には雨が降っていないらしい。その二週間、乾燥注意報も発令されつづけているとか。
 西高東低。典型的な冬型気圧配置が頑固に居座っている。日本海側は降雪。雪国に数えられる郷里ではあるが、今年は記録破りだという。
 太平洋沿いは好天つづきで、からっ風と乾燥冷えこみ。風さえなければ、午前中はのどかな陽射しに恵まれる。たいていはわが睡眠時間に当っているが、今日のように朝から歩き回る日もある。

 歩き回るといっても、近所の散歩・買物エリアだけだ。鉄道には乗らないし、次郎(愛用自転車)も長らく格納したままだ。
 神社では、今日もまだ初詣でのかたが、さすがに短くなったが十人ほどの行列をなしていらっしゃる。あえて三が日を避けて、ゆっくり心行くまで参拝したいかたがたなのだろう。お気持は解る。
 郵便局で用を足して、ダイソーでマッチだの筆ペンだの単三乾電池だの、細かい買物をして、あとは陽射しにおだてられるように小一時間、歩いてみただけだ。

 雲量ゼロだ。東京で快晴といっても、たとえ天心が青空だとて東西南北に首を回せば、どこかに雲が見える場合が多い。雲量二とか、三とか。今日はゼロだ。どこをどう視まわしても、雲の条も切れっぱしもない。
 小学生時分、ある男先生で、朝礼でも体育の授業でもやる気満々、大声で号令を掛けるのが大好きな人がおられた。軍隊から戻られてまだ何年も経ってないのだと、母から聴いた。人前で言っちゃいけないよと、固く口止めされた。
 その先生が、気ヲ付ケーッ、の前にまず空を眺め上げ、「本日の雲量サァン、よしっ」と自分に気合を入れてから、次に気ヲ付ケーッ、と来るのだった。本日の雲量ォが出たら次は気を付けだなと、生徒らは用意する心構えだった。
 組担任ではなかったから、その先生から良い影響も悪い影響も受けたとは思えぬが、空を視上げると雲量いくつと確認し、自分自身に云い含める習慣だけは、私に継承された。

 ご近所を歩いたところで、髪を結いあげた和服のご婦人など、一人も眼にしない。獅子舞の社中とすれ違うこともない。羽子板追羽根やバドミントンもない。むろん凧揚げも独楽回しもない。
 ジジイ、江戸時代の噺、してんじゃねえよと叱られそうだ。いいえ、今歩いてるこの町このあたりの場所で、私は実際に観ましたんです。
 広々した公園も原っぱもなければ、畑も河川敷もなくなった。視あげれば電線だらけだから、凧揚げはとうてい無理だ。おそらく今の子供たちは、凧の揚げかたもご存じないのじゃあるまいか。それよりもまず、凧が揚ったところで、なんの面白味も感じないのだろう。そんなことよりも、ゲームの達成ステージを上げることだ。ポイントを積み増しすることだ。
 それでよろしい。昔を懐かしむ気持は、ほとんどない。新しい美意識で新時代の娯楽を我が物にしてゆければ、おおいに結構だ。が、「それで生涯、押し通せればね」という気も、少しする。

 三日間というもの、大型量販店の総取りだった。今日からは、そうは問屋が卸さねえ。地元商店街の皆さんが、動き出すからねえ。
 川口青果店で、生椎茸とカボチャとブロッコリーを。高木電気商会で、一人用の小型電気ストーブを。
 嘘だ。じつはこの三日間に、サミットストアでもビッグエーでも、すでに買物をしている。というか、正月三が日だからって、普段と異なる暮しをした覚えがない。

山川草木


 妙専寺の鷹丸という十一歳になる息子はね、親元で修行中の小坊主さんだったが、この三月七日、うらうらと霞が立つような良い日和だったもんで、兄弟子の荒法師の供をして、荒井坂あたりで芹だのナヅナだのを摘んで遊んでたそうだ。
 おり悪しくこの好天に飯綱山あたりの雪解け水がどっと押出してきて、黒ぐろと逆巻く鉄砲水さ。板に蔓を巻きつけただけの橋なんぞ、揺れに揺れたことだろう。足踏みはずしてざんぶりと落ちちまった。
 「お助け~、お助け~」
 いく度か頭が見えたり手が見えたりして、叫び声も聞えたんだが、すぐに蚊の鳴くような声になり、やがて影も形も見えなくなっちまった。

 村の衆を呼び集めて、暮れかけるなか松明をかざして、手分けして捜索したそうだ。なんと一里も川下で、流れに突出した岩に引っかかっていたってさ。あれこれ介抱を尽しちゃみたが、残念ながら手遅れだった。
 小坊主さんの袂から蕗のトウが三つ四つ、こぼれ落ちたと。土産にすれば晩飯の膳の助けになるなんぞと考えて、いそいそと摘んだもんだろうなあ。これには、つね日ごろは鬼だってねじ伏せると威名とどろく、屈強な山仕事の連中も、うち揃って男泣きに哭いたってさ。

 急ごしらえの担架に乗せて村へ運び帰ったのは、日付が変ってからだ。動転する気をなんとか抑えて、今や遅しと気を揉んでいた両親だったが、松明と担架が見えるなり駆け寄るや、泣き崩れ、亡骸に覆いかぶさり、人目もはばからぬその半狂乱ぶりには、周囲の誰も手が着けられたもんじゃなかったとさ。
 ふだんは村の衆相手に、無常を説く身の上なんだけれども、いざ自分の肉親に事が起ったとなると、心の堰がぷっつり切れちまって、そんなふうになっちまうもんさねえ。
 朝には、笑い合ったり冗談言ったりしながら出掛けていったもんが、夜には物言わぬ亡骸となって戻って来る。視ちゃあいられねえ光景ってやつさ。
 九日が野辺送りだったからねぇ。もちろん、あたしだって棺の近くに連なったさ。

   おもひきや下萠いそぐわか草を
    野邊のけぶりになして見んとは  一茶

 とまあ、そういったことじゃあ、あるんだけんどもね。
 雪の下で、長ぁいこと辛抱してきた、蕗だのタンポポだのがよ。やれやれ雪解けだ、ようやく空が見えたわいとばかりに首を出して、晴れて明るい世の中を視回してみたとたんによ。人の手が伸びてきて、ポキッと折られちまったとしたらさ。草の身になってみりゃあ、鷹丸小坊主の両親と同じ悲しみなんじゃねえだろうか。
 だってよ、坊さんたちふだんから言ってるじゃねえか。山川草木悉皆成仏って。生きとし生ける物すべからく西方浄土って。そのあたりが、どうもねえ……。 

一朴抄訳②

三角野郎


 暮しからテレビを消去して何年にもなるが、さほど不便と感じたことはない。耳に届かなかった情報は、人さまから教われば好い。ただし正月の駅伝放送を、専門家の解説付きで同時観戦できないことだけには、少々不便を感じる。

 「ニューイヤー駅伝」の場合、実況音声も解説も抜きであれば、観戦できる。ユーチューブの「TBS 陸上ちゃんねる」で、四台のカメラを回しっぱなしにしてくれる。アナウンサーや解説者の声はいっさいなく、沿道からの声や音など、手心なしの環境音をマイクが拾うだけだ。ときに選手の呼吸音まで聞える。
 各チーム出場選手の顔触れや、チームの仕上りや、下馬評などにお詳しい視聴者には、かえってよろしいかもしれない。これが W リーグ(女子バスケットボール)であれば、私もそのほうが愉しめるかもしれないが、駅伝についてはそこまで詳しくはない。解説者の指摘やアナウンサーからの情報提供によって、初めて納得できることがあまりに多い。

 パソコンでのライブ映像だから、画面右手にチャット・ウィンドウがあって、視聴者がどんどんコメントを投稿してくる。質問疑問も混じる。お詳しい視聴者からの返答も混じる。途中からチャンネルに入ってきた視聴者の挨拶も混じる。
 私はチャットに参加しないが、そうした応答から耳寄りな情報を得ることもある。

 長時間番組のライブチャットにはありがちだが、競技進行とは当面関係ないウンチクを挿入してくる人や、脇道へそれた感想意見をぶっこんでくる人もある。こんなのがあった。
 「オジンが、なんか唄ってる」
 「レースの邪魔だろう!」
 「民謡かな、そんな感じ」
 「ブロックできないのか」
 かなり続いた。スタート・ゴール地点の県庁前だけでなく、途中なん箇所かに、笛太鼓での応援場所がある。たいていは景気の良い八木節が演奏されている。
 たしか全長百キロで、七つもの市町村を駆け抜けるコースだ。各市町がそれぞれに効果的な盛上げを工夫したにちがいない。放送車が通過するときに、自然環境音として、マイクがその八木節を拾ったわけだ。
 「八木節らしいね」
 「駅伝に関係ねえよ」

 アノネェ、全六十七回の大会のうち最近の三十六回は、毎年元日に群馬県で実施されてきたの。今や風物詩的イベントですよ。投稿なさってる視聴者さんに、それ以前の伊勢路を走った時代を憶えている人なんて、ほとんどないデショ? 
 群馬県もコースに当る市も町も、全国に誇れる行事として、準備にも運営にも心血を注いできたの。だから沿道からは八木節が聞えてくるワケ。八木節は全国に誇れる郷土文化だと、群馬県民ならほとんどのかたが信じておられるからね。全国から参集した選手・関係者・応援観客を歓迎しているワケ。またテレビ画面越しに、全国の視聴者に向けて郷土からの挨拶を発信しておられるワケヨ。

 邪魔だ、ブロックできないか、関係ねえ、なんぞと投稿した君。本当の陸上競技ファンじゃないでしょう。昨日今日の、ニワカ成りすましでしょう。
 スポーツばかりじゃない。芸能だろうが祭だろうが学会研究会だろうが、大きなイベントの下準備に汗を流した縁の下の力持ちがたへ敬意を払えないでは、人として欠陥アリでしょう。
 それとも、八木節をご存じなかったんですか。過去何年前に遡ろうとも、群馬県で開催された大会では、どこかで八木節が演奏されていたはずですよ。君は、今年初めてニューイヤー駅伝をご覧になったんですか? それにしては、態度デカイですねぇ。

 ネット社会って、こういうもんですか。一夜明けても、まだ不愉快だ。

中くらい


 丹後っていうから京都の北らしいが、普甲寺の上人ってお人は、とんでもなく西方浄土への憧れが強いお人でね。大晦日の晩、一人しかいない小僧さんに、手紙を託して、
 「いいかい、明日の朝きっとだよ、忘れちゃいけないよ」
 きつく言いつけたとさ。

 さて元旦、初鴉がカァ。あたりはまだ暗いや。小僧さんガバッと跳ね起きて、表へと回って山門を敲いた。「頼も~う、頼も~う」
 「はいはい、新年早々、どこのどちらさんでしょうかいな」
 「西方阿弥陀より、年始の使僧でございます」
 「な、な、なんと」
 上人さん裸足で跳出して山門を左右全開に。小僧さんを本堂へ招き入れ、上座に座らせる。うやうやしく押しいただくように、手紙を受取ったってもんだ。
 「なになに、そちらの世界はさぞや苦悩充満のことかと。早いとここっちの国へいらっしゃい。懐かしい面々うち揃って、待っていますよ……か。こりゃまた、ありがたやありがたや」
 新年用に着替えた袖が絞れようかというほど、感動の涙にくれたんだと。

 思い詰めるなら狂うまでとは、よく言ったもんさ。つね日ごろ、俗人檀家集を前にして、無常を演じるのが礼儀とされる身だからさ。みずからを祝うとなると、そこまでやるもんなんだねえ。

 そこへゆくと、こちとら眉の下まで俗塵に埋れて日々を送ってる身の上さ。鶴だ亀だと祝いの言葉さえ、口先商売の厄払い屋によるいつもの口上みたいで、そらぞらしくて聴いちゃいられねえや。からっ風吹けば飛んじまうような所帯だが、ボロ家はボロ家らしく分相応に、門松も立てねえし、煤払いなんぞ、これっぽっちもしねえや。
 それでも、雪深い山路をどう迷わずにやって来るもんだかねえ、新年はやって来るわい。あなた任せの春ってわけだ。

  目出度さもちう位也おらが春  一茶

一朴抄訳①

式年鍋替乃儀


 今年も、年越しの行事が、おごそかにとり行われた。

 過る一年間、わが主食たる粥を炊いてくれた鍋(左)は、常よりも丁寧に底を磨かれて、これより一年間の休息に入る。一昨年活躍の鍋(右)が一年ぶりに登場。今年一年の労働に入る。拙宅年中行事、鍋替えの儀である。

 拙宅ガスレンジは老朽化による傾きと、一部目詰まりとが原因で、部分的に不完全燃焼の炎が立つ。ために毎日毎回、底のどこかかに煤が着く。金属タワシでこする。
 底と側との境をなす曲線部分では、陶器の白い表面に線状の傷が付き、地金の色がかすかに覗いてきている。が、琺瑯というものは、ここからがしぶとい。めったなことでは変形したり使い勝手が悪くなったりはしない。

 愛用のフライパンや鍋や玉杓文字など、鉄製かステンレス製かアルマイト製の道具たちは、経年と熱のために、それぞれ程度の差はあれど、おしなべて変形している。蓋が合わなくなったり、分量に狂いが出たりしている。が、用は足りている。
 百貨店やスーパーの台所用品売り場で、使い勝手の好さそうはフライパンを振ってみたりはする。憧れる。が、買い替えはしない。今買えば、使い慣れたか慣れないかのころには、こちらの寿命が尽きる。
 合羽橋へは、もう何年も足を向けていない。観るだけで愉しい、遊園地のような場所だと、かつては想ったものだったが。

 調理器具たちはもちろん、炊飯器や冷蔵庫など家電製品にいたるまで、わが台所の戦士たちに、耐用年限を過ぎてないものなどない。私と同時に息を止めると覚悟してくれているんじゃないかと、思えるものたちばかりだ。
 私の生涯を超えてなお働き盛りでいてくれるものはと視まわすと、包丁と素性悪くない鉄をおごった中華鍋と、わずかの漆器類と、それに琺瑯鍋だ。スプーン、フォーク、バターナイフ類も丈夫だろうが、デザインの時代性があまりに強いから、古物とならざるをえまい。
 台所以外となれば、万年筆その他、まだまだあろうけれども。

 元日の計。ネット接続が頻繁に途切れるのを改善しよう。ルーターか本体か。顧問からよく教わらなければ。
 医者と歯医者へ通うようにしよう。密を避けろなんて脅かされて、引きこもっているうちに、躰はあっちもこっちもガタガタだ。
 身辺の道具たちに、君は最終的にどうしたいか、よく聴いてまわろう。暮しの道具たちの行く末に気を回そう。