一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

スッチー



 なんだ、そんなことも知らねえのか。時流に添うことを諦めた年寄りってのは、始末に負えねえもんだなあ。……解ってらいっ!

「ホームページからお入りください。右上に紫色の「どうぞ」のバナーがありますから、クリックしていただきますと、フォーマットが開きます」
 えっ、えっ、どういうこと?
 初歩の初歩じゃねえか、手が焼けるなあ。

 お言葉ですが、二十年前でも同じことがおっしゃれましたか? まだ子供だったって? そうでした。失礼いたしました。
 Banner って、旗印のことですよね。デモ行進のとき、先頭の一列がスローガンを掲げた横断幕を、協同して掴んで歩きますよね。あれって、バナーですよね。アクセントが逆ですが。
 百貨店の季節大売り出しや特設催し物のとき、ロータリーや大通りに向けて、屋上から二階あたりまで届くような長い長い垂れ幕を、垂らしますよね。あれって、バナーですよね。
 戦国武将の時代、大将の位置が味方の雑兵足軽にまでひと眼で判るように、側近の秘書課長みたいな兵隊が掲げて、命がけで大将について走った旗。馬標(うまじるし)と申しますが、あれって、バナーですよね。豊臣秀吉の場合は、有名な千成瓢箪でした。
 おそれながら、それまでの英文解釈問題で、この単語に出くわした生徒さんは、さほど多くなかったと思いますよ。いえ、翻訳家の先生がたにとってさえ、ちょくちょくお眼にされる単語とは申せなかったのではないでしょうか。

 Click する、なんざもっと凄い。錠前をおろす、スイッチを入れるなどのさいに、カチッと音をさせる、または音がすることだそうじゃありませんか。それらの音を「クリック」と聴き取ったことから発生した擬音語・擬声語だそうです。これも昨今では、オノマトペと申したほうが通じるようですね。
 パソコン用語としての上陸以前に、いったいどれほどの日本人が、英会話や英作文にこの単語を使えましたでしょうか。
 その語源から派生して、辻褄が合う、判明する、意気投合する、うまくゆく、(ギャグなどが)うける、という略式的用法があると、辞書にはございます。日本の擬音語で似たものとなれば「バッチリ」ではないでしょうか。
 「それって、マジうけるぅ」は、イッツ・ソークリック・インディード、とでもなるのでしょうかしらん。www.

 以前にも触れた話題で気が引けますけれど、映画も好評を博した三浦しをんさんの小説『船を編む』は、新出現の語句や用例の採取に日夜ご苦労なさる、辞書編纂者および改訂者がたの、胸温まる噺でした。おそらくは『三省堂国語辞典』がモデルとなっておりましょう。三省堂書店にはもうひとつ似た規模の国語小辞典『新明解国語辞典』があります。同じ出版社から国語小辞典がふたつも、と思われがちですが……。
 『新明解国語辞典』(通称シンメイカイ)には、これ一冊で日本近代文学が読める、という基準が設定されてあるそうです。日々古色を帯び忘れられてゆく日本語を近代文学という水際で、土嚢を積むように支えようという辞書ですね。岩波書店の『岩波国語辞典』(通称イワコク)も、ほぼ同様の理念で編纂されてあるようです。
 対する『三省堂国語辞典』(通称サンコク)は、三浦しをんさんが描かれたように、編集部一同つねに採取カードというメモ帳を携帯して、街中だろうが旅行中だろうが、新しい語句や用法を耳目にした場合にはすぐさま書き留め、持帰り検討して次の改訂に備える作業を繰返しているそうです。

 検討課題に挙げられて、却下見送りとなった語句や用法が十年経っても消えずに、世の中で役割を果し続けている場合には、次のサンコク改訂に活かされるそうです。むろん語句は増えます。だが一方で、消えてゆく語句もあります。たんに流行が去ったというに留まらず、指し示す対象物を眼にしなくなったとか、別の表現に取って代られたなどの場合があります。
 今回の改訂で、テレカ、スッチー、ペレストロイカなどが、消えたそうです。三例しか伺えませんでしたが、増補された語句よりも今回消えた語句のほうに、私は興味を惹かれます。
 スッチーかぁ、とうとう一回も使わぬうちに、サンコクから消えてゆくのだなぁ。