一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

白足袋

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長谷川如是閑『日本さまざま』(大宝輪閣、1962)

 早急をサッキュウと読んでも、ソウキュウと読んでも、いずれも正解だそうだ。かつてはサッキュウが正解で、ソウキュウは誤用とまではゆかずとも、慣用読みといった扱いだったと記憶するが。

 「NHKラジオ深夜便」で渡邊あゆみさんが、局内で言葉を研究している専門部署(正確に紹介されたが、忘れた)のかたとのコーナーで、「早急」を取上げていた。渡邊さんが入局されたころは、古参アナウンサーによる講習で、「サッキュウ」と読むように、「ソウキュウ」はいけないと、教わったそうだ。
 それもそのはず専門部署氏によれば、両方正解との局内基準に切換えたのは、その数年後だったそうだ。

 旧仮名表記すれば「サウキフ」である。会話のスピード化による唇事情で、サッキュウと詰るのも、ソウキュウと緊張緩和するのも、ともに頷ける。サウの表記からサッキュウをより正しいとする感覚があったのだろうが、漢字「早」を用いる単語には、「早速」「早苗」などがあるとしても、圧倒的に「ソウ」と発音する語が多かろう。ソウキュウが広く流通するのも自然だ。国語辞典も、両方正解とするにいたった。

 昨今、なにかと批判的言説が飛び交うことの多いNHKだが、局内に国語研究の専門部署があってくださることは、頼もしい。情報発信の中心的役割が、地上波からBSやネットへと移行すること自体には、さまで期待もないが、感傷も心残りもない。
 たゞ懸念するのは、SNSやユーチューブにおける、誤字誤用のあまりのひどさである。どこかで日本語の底支えをしておかねばならなかったはずが、制度も見識もが技術革新に置いてゆかれた結果、野放し状態に見える。

 「めっちゃヤバイ」件は今日は措いて、「過ぎる」への違和感の件だ。ウ~ン彼女綺麗過ぎ。まだ日本語文法を信用していたゞけるなら、過剰に綺麗でこの場にふさわしくないという意味だ。さらには、不自然なほど綺麗でかえって気持悪いという意味である。むろん実際には、正反対の意味で流通している。
 この料理、美味し過ぎ。手の掛った豪華料理なのだろうが、私の口には合わぬという意味だ。舌鼓を打った感嘆の表現ではない。むろん実際には、正反対の意味で流通している。
 小言幸兵衛として、難癖をつけているのではない。互いに正反対の意味が成立・流通しては、先へ行って致命的な不便となりはせぬかと、懸念される。

 正反対の意味、と考えるうちに、「吉田の白足袋」を思い出した。
 江戸の職人衆の草履は日ごろから短く、履きかたもいわゆる「突っかけ草履」で、足袋の踵が地面に着くほどだった。
 上棟式や祝い事など晴の日には、新品の黒足袋をおろして履く。一日で土に汚れる。洗って、普段使い用や仕事用にさげる。黒足袋は洗っても、新品同様には戻らないからだ。
 そこへゆくと旦那衆は、晴の日には白足袋を履く。白足袋は丁寧に洗って火のしをかければ、また何度でも使える。そこで「旦那の白足袋」と揶揄された。物惜しみ、けちん坊、さらには業突張り、シミッタレという意味である。

 敗戦後の吉田茂首相は、よく和服に白足袋で登場した。食糧・住宅のみならず、万事に物不足の時代ゆえ、人びとの眼を惹いたのだろう。新聞記者たちは「吉田の白足袋」と形容し、しばしば見出しにも使われた。お洒落、高級、上品、豪気といったニュアンスが籠められていた。
 地方から上京してヤル気満々の記者諸君、優秀な人たちではあったのだろうけれど、だれ一人「旦那の白足袋」をご存じなかったらしい。

 よくもそんな古い噺をと叱られそうだが、長谷川如是閑の名著『日本さまざま』に、しっかりと記録されている。