一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

細部こそが

津本 陽『柳生兵庫助』(文春文庫)

 チャンバラはほんとうにチャンチャンバラバラと、やったものだろうか。

 「刃向う者あらば斬って捨てるもよし。ただし此度の出役においては敵すこぶる数多にて、いちいち深手を負わするに及ばず。指一本なりとも斬り落して、刃向う力を削げば、それでよしとする」
 『鬼平犯科帳』において、ある捕物に出陣する同心一同に発した、長谷川平蔵の訓示である。どの『忠臣蔵』だったかで、吉良邸討入り直前の大石内蔵助も四十六人を前にして、同様に訓示していた。いずれにおいても脚本家なり監督なりが、チャンバラ娯楽の奥に、お約束でないリアルな戦闘模様の裏打ちを敷こうと意図したからこその台詞だったろう。共通の原典があるのかもしれぬが、私は知らない。

 津本 陽『柳生兵庫助』では、殺人刀(せつにんとう)と活人剣(かつにんけん)との対比をキーワードに、間積り(間合いの目測)を新陰流の極意として詳述してある。
 斬り殺そうとして振りおろした一撃(殺人刀)が功を奏せばよろしいが、相手はまだ腰を落して身構えた状態だ。体(たい)に余裕がある。急所を外せば、反撃を食う。それよりもまず相手の一撃を引出し、体の伸び切ったところを撃てば(活人剣)、相手にはすでにかわす余力が残っていない。後の先みたいな戦法で、百選百勝の兵法理論だ。

 ただしこの戦法には、間合いの目測において完璧であることが必須条件だ。互いに構え合って対峙した状態で、双方の剣先は相手に届かない。振りかぶって踏込み振りおろされた相手の剣先がわが鼻先をかすめる。わが身の寸前を空振りしてゆく。その瞬間にわが剣は振りおろされている。刀を握る相手の手は、身より前に出ているわけだから、わが剣先は小手に届く。相手手首の腱か、刀の柄を握る親指を斬りおとす。地を払う太刀筋で相手の足首の腱を斬り払う戦法も同様だ。要は戦闘能力を奪えばよろしいので、全身を袈裟斬りにする必要などないのだ。
 柳生兵庫助は長年の修業で、この間合いを完璧に体得した。津本 陽によれば。

平野 謙『昭和文学史』、中村光夫『日本の近代小説』『日本の現代小説』

 若き日には、全体を手っとり早く眺め渡したかった。概論や総論を漁った。若気の至りとばかりは申せまい。どなたも似たような想いだったことだろう。平野 謙『昭和文学史』や中村光夫『明治文学史』『明治・大正・昭和』それに岩波新書の二冊、本多秋五『物語戦後文学史』などは、水先案内人どころかわがバイブルと称んでもいい著書だった。
 むろん無学な少年に道筋を示してくださった、大恩ある諸書であり続けてはいる。が、時間が残り少なくなった今、なにを再読したいかと正直に申せば、全体になどほとんど興味がない。一般教養として頭の隅に置きっぱなしてあれば十分だ。
 肝心なのは細部である。個別である。平野 謙であれば『島崎藤村』『さまざまな青春』であり、中村光夫であれば『二葉亭四迷伝』だ。

 鑑賞する、批評するなどということについても、全体を相手にする気は失せ果てた。部分がいい。要所がいい。なろうことなら極小細部がいい。それこそが普遍への筋道だとすら思える。
 と書いてみて、われながらずいぶん体裁の好過ぎる申しようをしていると恥入る想いが湧いた。
 津本 陽『柳生兵庫助』は文春文庫八巻組で、最終巻の巻末にのみ解説が付けてある。長なが八巻読み通して、一本の解説を付けるという、批評家としてはコスパ最悪の仕事だった。編集部では、売れっ子批評家いく名かが候補に挙ったものの、これを依頼するのはいかにも失礼だろうと二の足を踏む一幕もあったらしい。で、もっとも売れてない、暇そうなハイエナを物色したあげくに、私が指名されたようだった。
 三十年と少々以前の仕事を読み返してみたら、今よりも日本語が巧い。