一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

間合いについて



 冷えが戻った。外出しない。

 暑い季節の煮物・炊き物はどうしても足が速くなる。というので、保存惣菜といっても、昨年の初夏のころ中断したままだった「ひじき豆」を、ふと炊いてみる気になった。
 なにはともあれ、まずは出汁づくり。今日はあとでカボチャも炊くつもりなので、ふた鍋ぶんだ。鍋ごと水浸けして冷ましておく。
 愛用は「芽ひじき」だ。「長ひじき」だと体裁立派なひじき煮ができるとは承知だ。けれどもわずかながら値が高い。生産工程にあって、型の良いのを笊で漉すように選って、その他を「芽ひじき」として商品化したのだろうか。知らんけど。私は「その他」で十分満足だ。

 水に浸けて戻す。十分ほど。笊で水切りしておく。その間に人参を刻む。竹輪も小口切り。大豆水煮は汁ごと使う。
 あとは月並手順。鍋に油少々(料理番組だと大匙二杯とか云うんだろうな)。陽炎が立つまで熱してから、ひじきと竹輪を投入。おまじないに、おろし生姜も投入しておく。一分経つか経たぬかのうちに、磯の香がぷーんと挙ってくる。この香がしたら、次へ進んでよろしい。
 刻み人参を投入。上り切った鍋内温度が一気に下る感じだ。人参を炒めるわけじゃない。表面に油を馴染ませる心持だ。馴染んだら、水煮大豆を汁ごと投入し、よく混ぜる。鍋の底と側面との角にひじきが貼り着く場合がある。お焦げになりそうだが、心配ない。煮ているうちに跡形もなくなる。
 酒を差す。猪口に一杯なんぞと云われるけれども、私は少々余計に差す。すぐに泡立ってアルコールが飛ぶから、待ってましたと、出汁を張る。具全体がようやく水没するていど。俗に云うヒタヒタだ。
 あとは砂糖と醤油。これは経験から自分流を定めるほかない。そして炊きあげる。汁の残りがどの程度になったところで火を止めると、蒸らしているあいだにちょうと具が吸上げてくれるかといった加減も、経験から学ぶほかない。

 なぁんだ、そこを語らねば、なに事を語ったことにもならんじゃないかと思われよう。
 『兵法家伝書』という岩波文庫がある。柳生宗矩が新陰流兵法の極意を書き残したものだが、これが傑作だ。まずは身がまえ心がまえについて、縷々書き記してある。いちいちごもっともで、勉強になる。が、読者が本当に知りたいのはその先である。
 噺がようやくそこへ差しかかって、さて剣と剣との間合い、剣と体(たい)との間合いという段になったとき、突如として「ここから先は道場にて」と書かれてある。
 次章では改めて別項目が指南されるが、いざ佳境に入るという瞬間に、またしても「道場にて」となってしまう。名著全篇になん度「以下道場」が出てくるものか数えてはみなかったが、一度二度でなかったのは記憶している。

 これを読んで「なぁんだ」と感じているうちは、どの分野においてもまだ一人前ではないということなのだろう。説明不可能、体得あるのみ、という領域は、どんな分野にだってあるにちがいない。さような領域はここですよと、『兵法家伝書』は伝えているわけだ。
 さらに延長して、言語を介しての情報伝達というものが、伝授だの理解だのということにどれほど結び付いているものかといった、近代的常識に対して反省を迫る力も、ここにはあると考えるべきものだ。思えば私たちは、ずいぶんあやふやな地盤の上で暢気に暮しているもんだとの、空恐ろしさへと誘われる心地すらする。


 久かたぶりのまだ湯気の立つ「ひじき豆」を、若布粥の上に山盛りにして掻きこむ。大豆たっぷりだから、今日は納豆を割愛だ。
 小鉢に少量づつ五日間の保存食として炊くのだが、そこまで保った試しがあまりない。保存可能期間と摂取ペースとの間合いが合っていない。だが便通は確実に好くなる。