一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

同居人

寝正月出がらしもはや二年越し

 どなたとも、ひと言も口をきかぬ元日だった。今年に入って、まだ声を出してない。

 正午すこし前に起きて、本年最初の数値測定を済ませると、まず郵便受けから年賀状を取ってきた。当方からお出ししてないかたの賀状がなん枚あるか、仕分ける。
 ユーチューブでニューイヤー駅伝を検索する。テレビを観ない私には、さしあたりこの方法しかない。TBS の配信で、第一放送車から第四放送車までのライブ映像を四分割画面で流しっぱなしにしてある番組があって、なん年かこれを観てきた。アナウンサーや解説者による実況は付いてない、環境音のみだ。レースはすでに第四走者に入っていた。
 コースや出場チームや選手についてあるていどの知識があれば、これで十分に楽しめる。スイッチャーの配慮によらずとも、後続チームの刻々の展開までが一目瞭然だ。
 ただし記録だのタイム差だの、区間賞だの区間記録だのといった情報はまったく耳に届かない。選手の談話だの最近の調子だのについての情報も、まったく入ってこない。総集編やオンエア丸ごと長尺の動画が後日アップされるから、そちらで確認するしかない。

 動画にちらちら眼をやりながら、当方よりお出ししてないかたからの賀状への返信を書く。意外なかたへのものはない。例年いただいているかたばかりだ。だったらあらかじめ書いたらよさそうなもんだが、さようなわけにはゆかない。かつて私の教室の学生だったという、お若い友人たちだからだ。
 もしも、である。先方が出してないのに私からの賀状が届いたりしたら、恐縮させ慌てさせてしまう。例年交換してはきたものの、もうそろそろいいだろうと今年から切ったりすることだって、あるかもしれない。なにせ先方は働き盛りの社会人で、当方は昔の記憶を共有するに過ぎない老人である。現在の先方にとっては無用な相手だ。

 そこで私の方針はこうだ。数年前であれ二十年前であれ、教員と学生の関係でご縁を結んだかたがたに対しては、こちらから先にはお出ししない。くださったかたにだけ返信申しあげる。切るか繋がるかの選択判断は先方次第とする。四十八歳で初めて、しかもいきなり教員になったとき、相当考えた末にこの方針を立て、今日まで貫いてきた。
 人によっては、なんと薄情な、水臭いとの印象を抱かれてしまうかもしれない。が、自然と消えてゆくべき、もしくは細らんでゆくべきご縁を、惰性で維持するもしくは形骸化する愚を避けるためには、やむをえないと考える。つまり、私が懐かしがるかいなかよりも、先方にとって私との記憶に価値があるかいなかを、優先すべきだと考える。

 レースは終ってみればトヨタ自動車圧勝の横綱相撲で、八年ぶりの優勝と云われても信じがたいほどだった。書き了えた返信賀状を投函しに郵便ポストまで出る。途中ベーカリー前を通るが、元日につき休業だからご挨拶もしない。
 神社へも金剛院さまへも、元日詣りはしない。人混みは閉口だ。年始廻りの習慣は始めからない。買出しは暮れのうちに済んでいる。いただきものの食糧はたっぷりある。不必要な外歩きは禁物だ。さっさと帰宅する。同居人のほかとは、話す機会がない。

 たとえば、冷蔵庫を開けて、点検する。
 「源ちゃん、納豆がヤマ、玉子がリーチ。補充しといて。昨日のリーチはなんだったっけ。そうそうコーンスープはまだイーシャンテンだけど、傷むもんじゃなし、ついでに補充しといて。それからダイソーで単三乾電池」
 買物係の源ちゃんにオーダーする。また炊事が了って、月並な膳が整う。
 「お待ちどおさま。律子さん、ワンカット抑えといて」
 カメラマンの律子さんに声を掛け、依頼する。
 わがゴミ屋敷内にまで上っていただく友人は少ないが、稀に私のホームバーこと台所へお通り願って、キッチンドリンキングにお付合いいただいたりしたさいに、いつもの癖が出てしまうことがある。
 「どなたですか、ゲンチャンやリツコさんって?」
 「あれぇ、さっき下で会わなかったかなあ。すれ違ったでしょうに」
 キョトンとされてしまう。むろん源ちゃんにオーダーしたあと、名刺より小さい買物メモに自分で記入して、煙草パッケージの透明フィルムの内側に私が挟むのである。また毎食の膳を撮影することなんぞ、あるわけがない。すべては声に出してみずからに確認するための、自己作業である。
 いつ頃からだったか記憶にない。独りで台所をするようになってから、雑役の源ちゃんがふいに現れ、しばらくして(ブログを始めたからだったろうか)カメラマンの律子さんが現れた。
 今年まだ声を出してないというのは、息をする相手に向っては声を掛けてない、という意味である。