一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

毒舌人生相談

1976 .10.および1977.7.初版刊行。

 今東光『極道辻説法』と続篇との二巻が、手許にある。『週刊プレイボーイ』に長年連載された人生相談コーナーの集大成だ。投稿者も読者も、主として若者男子だろう。職場や人生設計から、宗教や文学から、恋愛や性まで、幅広い諸問題についての応答が繰り広げられる。この齢になって読めば気恥かしくなるほどに初心で生硬な、直球質問が続く。不安と不満、好奇心と冒険心、それに天を衝くばかりの性欲狂乱だ。大僧正が独壇場の一喝で取り捌いてゆく。
 「馬鹿野郎、そんなことで悩んでるじゃねえ! さっさと○○しちまえっ」
 といった小気味好さだ。一例――。

 十七歳)和尚、助けてくれ。近所に住む同級生の A 子を以前から好きなんだが、ある日その家から水音がするので裏へ回ってみると、風呂場の窓から彼女の裸体が見えてしまった。家へ飛んで帰って猛然とオナニーした。好きというより、襲って犯したい気にまでなってしまった。翌日学校で会っても、眼を合せられなかった。
 打明けるべきだろうか。想像しながらオナニーに耽っているべきだろうか?
 大僧正)「犯したい」だって? どこへどう突っこむかも判らねえくせしやがって。「おまえの裸を観たよ」なんぞと云おうものなら、変態・痴漢扱いされて口もきいてもらえなくなるのがオチだ。黙って家で、朝に晩にマスかいていればいい。それから受験勉強に精を出せばいいだろうが。いいか、告白なんぞ絶対にするな。

 半世紀後の今日、回答はどうなっているのだろうか。曰く / 性欲はだれにだって、女性にだって平等にある生命力の源泉だ。/ 性欲と恋愛とは違う。/ 健全な男女交際。/ どうしても我慢できなくなったら、相手を精一杯尊重して、飽くまでも合意で。
 などということにでもなるのだろうか。いや、私の想像すらが、時代からそうとうズレているにちがいない。まったく見当もつかない。

 ところで、幅広い話題のうちには「人物論」という目次立てがあって、著者が直接出逢った人びとについての印象や短評が、これまた小気味好く点描されてある。芥川龍之介葛西善蔵があり、川端康成坂口安吾があり、三島由紀夫江藤淳がある。かと思えば、大山倍達赤尾敏児玉誉士夫まである。世にある論説にも評伝にも記されたことのない、出色の着眼がふんだんに含まれていると、私には感じられる。
 なにぶん半世紀前の本であるし、それでいて今でも今東光を記憶する人もあろうから、このさい古書肆に出そうかといくども思い立っては、思い留まってきた。今朝もまた思い立ち、思案したあげくに、やっぱり出さぬことにする。
 近所の彼女に告白するかどうかと、迷っているわけではない。