一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

寒がり



 ようやくお披露目だ。じつに長かった。
 お披露目といっても、セレモニーが催されたわけではない。全面をすっぽり覆っていた足場と、防音・防塵の紗幕が取れたのである。

 拙宅に北接するのは豊島区の公有地で、半分が児童公園に、もう半分が行政サービス施設になっている。休日診療所があり、高齢者集会場があり、貸会議室や貸催しもの会場がある。入口の脇には、使用済み乾電池の回収ボックスも設置されてある。区役所の出張所だった時代も、かつてあった。
 大改修工事に入ったのは、はて今春だったろうか、もっと前だったろうか。長い工事だった。コンクリート部分の乾燥に十分な時間を設けて、着実な進行を心掛けたのだろうか。それとも工務店の暇を活用してコストカット進行したのだろうか。数日のあいだ盛んに工事音が聴かれたかと思うと、しばらく静かになる。その繰返しだった。
 改修理由はなんだったのだろうか。たんなる老朽化、また耐震・防火構造の導入だけではあるまい。外壁の鉄筋構造こそそっくり維持されてあるものの、内部の区割りはほとんど破壊され、新たにかなりのコンクリートが入った。旧来用途のままの再開とは考えにくい。より稼働率を高めて有効活用すべく、新施設・新用途についての絵図が敷かれてあるにちがいない。

 紗幕と足場が取れてみると、階上部分のガラス窓が改修前よりもはるかに巨きくなっている。南に向けて開かれた窓だから、室内はさぞや明るく、季節によっては陽光ふんだんの快適空間となることだろう。
 ここでカラオケ大会が催されたり、大正琴の講習会が催されたりして、楽し気な音声が拙宅にまで届いていたこともあった。なんの講演会だったのだろうか、講師の噺に聴き入る高齢者の集りが、拙宅の窓から見えたこともある。そして看護師さんや介護士さんからお世話される車椅子の高齢者をお見掛けしたこともあった。
 これまでよりもなおいっそう、明るい空間となってくれればよろしいが。


 行きつけの銭湯は入口の左右に付属施設をも営業している。左手はコインランドリーで、右手はコインシャワー室だ。いずれも二十四時間営業で便利だが、私自身は利用したことがない。より近所に行きつけのランドリーがあるからであり、シャワーなら自宅で間に合うからだ。それらしき設備を利用した記憶となると、遠い昔のプールや海水浴場にまで遡らねばならなくなる。

 年寄りが自宅で風呂を焚くのは問題だ。弱ってからの父による、たび重なる失態に肝を冷やした覚えのある私は、自宅風呂を断念してシャワーで我慢することにした。その代りに週に数回、銭湯へ通うこととした。自分の注意力散漫、というかルーティン化した家事についてのつい今しがたの記憶が途切れることを怖れた。自分に自信がもてない。
 春夏秋の三季はそれでいい。問題は冬である。自宅シャワーといっても、温水にするためにはガスに点火しなければならない。慣れっこになるうちには、風呂を焚くと同じ心配がついて回る。かといって、寒い時期に冷水シャワーのみというのも、想像するだに気が進まない。このところ急速に寒がりになってきた自分を感じている。そういえば晩年の父も、しきりと寒がっていた。で、いまだ経験のないコインシャワー室を、ふと覗いてみる気になった。

 わざわざ三行書きにされた料金表に、思わず笑いがこみ上げた。八分間二百円なら、十六分で三百五十円だろう。あるいは四百円で十八分だ。長時間利用されたほうが売上げも利益も増えて、設備の減価償却も早いと考えれば、それが販促の常識というもんだ。機械には商売気がない。いや、現代の技術をもってすれば容易なプログラム調整に過ぎまいが、採用する人間に商売気がない。機械任せというわけだ。それともこの件にも、都内の業者組合の決りでもあるのだろうか。
 銭湯の入浴料金改定の間隔が狭まったこともあって、入浴を控えてシャワーを利用する定連客もあると聴く。ここは商売に販促常識を盛込む絶好の機会だと、素人考えでは思うところだ。
 ただし入浴料金について、私は改定料金が高いとは感じていない。サービスの程度に較べて、今までがあまりに安かった。そして改定しなかった年月があまりに長かった。

 ま、私にはよくは解らぬ、世間の噺だ。はっきり判るのは、自分が寒がりになってきたという事実だ。区の施設の改修工事のお披露目が、なぜこんな季節になったのかと気になるのも、足場と紗幕が外されてきれいに表面加工された建物が、そして真新しいガラスがはまって格段に広くなった窓が、いかにも寒そうではないか。新たな門出を迎える建物が寒ざむしいのは、眼によろしくない。