一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

一千と百日〈口上〉

【仙厓】吉野でも花の下より鼻の下(部分)

 昨日投稿いたしましたる「その日はきっと」をもちまして、当『一朴洞日記』は一千と百日連続投稿を達成。本日は一千百一日目でございます。私ごとながら、ひとつの区切れ目には相違なく、あなたさまを始めといたします読者の皆みなさまにたいしまして、ひと言お礼申しあげたく、ちょいと間に挟ませていただきます。

 と申しましても、つい数日前に、「立上げより満三年」の口上を申しあげましたばかりでございますゆえ、あなたさまにおかれましては、めでたさも新鮮味もお感じいただけまいかと存じあげます。いかにも当然でございます。
 しかしながら、365 の三倍と 1100 とがごく近うございますのは、私の責任ではございませぬ。それも区切れ目これも区切れ目。重ねてお礼申しあげます次第にございます。ありがとうございます。

 加えまして、本年一月下旬に口上申しあげましたるは「一千日目」で、数字的にきわだった区切れ目でございましたが、本日はそれにおまけの「百」がひとつ付いただけの、なんとも地味な区切れ目でございます。
 また口上にて申しあげたき心境や心構えといたしましては、数日前の「満三年」と変るはずもなく、改めて繰返すも失礼かと存じ、割愛させていただきます。

 「一千日目」のタイトル写真には、仙厓和尚によります「鴉と白鷺」の画を用いました。それに倣いまして今回も仙厓画集から、本日は花見風景の画をお示しいたします。
 桜樹の根かたに、なにやら不機嫌そうでも寂しそうでもあるご仁が一人、苦虫を噛みつぶした顔をしております。だれにも相手にされておりません。私もトリミングにて省きました。幔幕の向うなのか、一段高い場所ででもあるのか、とにかく画の上部には、揃いも揃って無警戒な阿呆面をさらけ出して、浮れはしゃぐ酔客たちが描かれております。
 賛が添えられてございまして、「吉野でも花の下より鼻の下」と戯れ句が書かれてあります。一見して、西行法師への諷刺と判ります。

 「願はくは花のもとにて春死なむこの如月(きさらぎ)の望月のころ」ばかりがあまりに有名でございますが、これはまあ西行の、世間へ向けての挨拶のような歌かと。辞世歌のようにおっしゃるかたもおいでですが、西行が花の時期に他界したことから来る勘違いで、実際には寂滅よりもずうっと前に詠まれて、歌集にも収録されてあります。
 それよりは「吉野山去年(こぞ)の枝折(しおり)の道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ」のほうが、西行の気性や志を如実に示しているかと思われます。しかし西行のそういう丈夫さ、積極さ、行動力、進取性などこそが、まさに仙厓をして諷刺の的に懸けさせた点だったのではございますまいか。今風に申せば、前向きに過ぎます。偉過ぎて、閉口するほどでございます。
 仙厓の句に短句を付けまして戯れ歌にいたすとなれば、「袖の下よりまづヘソの下」ということにでもなりましょう。

 愚にもつかぬ無駄噺となりましたが、一千と百日のお礼に代えさせていただきます。今後ともどうぞよろしく、伏してお願い申しあげます。