一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

共感



 午前十一時の時報と同時に、拙宅に北接する区立施設の屋上スピーカーから、大音声が鳴り響いた。長らく工事中でビル全体がテント地や黒い遮蔽幕で覆われたままだが、屋上のスピーカーだけは通常の機能を果そうとするらしい。音が割れて、ひどく耳触りの悪い音声だ。
 揺れなかった。消防車や救急車のサイレンも耳に届かなかった。熱中症への注意喚起というほどの陽射しではない。となれば、謎の飛行物体の接近だろうか。警戒警報だろうか。階上の台所で作業中だったが、北側の窓辺へと急ぎ、窓を開けて聴き取ろうとした。アラーム機能のテストだという。なあんだ、演習か。

 十時台のラジオでは、山口百恵特集を流していた。伍代夏子さんと男性アナウンサーとがパーソナリティーで、ご子息の三浦貴大さんと著名指揮者とをゲストに迎えて、百恵ワールドを回想・絶賛していた。宇崎竜童・阿木燿子作品、さだまさし作品、谷村新司作品。まったく雰囲気の異なる曲をそれぞれわが物にして唄いあげ、ヒットさせた山口百恵の声をまとめて続けざまに聴かされると、なるほどたいしたことだったのだと、出演者たちの弁に同感せざるをえなかった。
 番組がひと区切りとなって、時報が告げられ、さて十一時のニュースとなろうとしたとき、不明瞭な大音声による演習告知が近隣の空に向けて発せられたのだった。


 私はと申せば、昨日炊いたままに放置しておいた三合の飯を、冷凍小分けおにぎりとすべく、型として流用している小鉢に盛った飯を、手に水をつけては指先で押しつけたり、軽く握って形を整えたり、ラップでくるんだりの作業をしていた。炊きあがった飯を処理する時間が、昨日はとれなかったからだ。

 昨日はこの粗末な日記をお読みくださってるらしいとあるおかたが、伝手を介してご来訪くださった。私にとっては想い出深き老桜樹が、突然のもらい事故でアッという間に消えてしまったことにお心をお寄せくださり、お見舞いにお越しくださったのだ。
 お上りいただいて、お茶でも差上げるべきところなれど、あいにく茶菓の用意もなく、だいいち近来ますますゴミ屋敷然と化しつつある拙宅には、ろくに寛いでいただく場所もない。なにせ先方は、還暦は超えられたろうが社会生活からまだ降りてはいらっしゃらない、実業界のご婦人である。私なんぞが気づかぬ幾多の点にお眼が届くかたにちがいない。恐縮するには及ぶまいが、粗相もならない。

 仲介の労をおとりくださった古書往来座のお二人ともども、わが定宿である居酒屋へと場所を移した。
 ところがこれがとんだ不首尾だった。つねであれば、いくらか時代遅れの空気が漂う(レトロ感ってんですか、昭和の感じってんでしょうか?)落着いた店なのだが、昨日に限っては、昂声激論の集団いわゆる酒に呑まれる若者たちの団体と鉢合せしてしまった。画に描いたような大衆酒場だから、いろいろな相客を目撃してきたものの、これほど喧しい団体は初めてだった。
 果ては周囲をも憚らぬ喧嘩口論にまで発展する始末で、せっかくのお客人と初対面の会話を進めるには、まことに不都合な空間となってしまった。

 加えて、散会時分が近づいたころになって、急に空模様が怪しくなり、ついには雨が降り始めてしまった。雨具の用意はだれにもない。時間待ちして、やや小降りとなった隙を視はからって、ご挨拶もそこそこに失礼せざるをえなかった。
 いやはや、せっかくお見舞いご来訪くださったお客人に、とんだ無調法の仕儀となってしまった。


 うだつの上らぬ零細出版社社員だったり、フリーランスの下請け原稿書きだったり、大学の非常勤教員だったり、つまりは陽の目を視ることのない片隅社会人だった時分には、不運だの割を喰うだの、シワ寄せに見舞われるだのは日常茶飯事だった。わずかばかりのギャラは、屈辱忍耐料と思って受取っていたもんだ。
 世間から半分おいとましたような暮しとなって、知らず識らずのうちに責任やストレスの少ない暮しに馴れっこになってしまい、たまさかちっぽけな不運や理不尽が重なっただけでも、妙に胸に響いてしまったりするようになったのだろうか。

 アラームテストとかの大音声を聴きながら、地上へと眼を移すと、工事現場の警備員さんが、十一時の一服だろうか。児童公園のベンチで缶ジュースを飲んでいる。
 開店休業と見える工事だが、内部で少しづつは進行しているらしく、視張りも必要だし、稀にやって来る資材車輛の誘導も必要だ。
 彼は今、仕事中だ。