一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

宣言用意



 つぼみが膨らんできたことは瞭かだが、開花の兆しはない。低気圧が期待どおりの速さでは、東の海上へと抜けてくれない。大陸側の高気圧が弱いのだろうか。今年は発達が遅いのだろうか。
 風が異様に冷たい。しかも時おり突風のごとく押寄せる風は、とんでもなく強風だ。春一番だの春の嵐だのは、とっくに済んだはずなのに。
 関東平野の山沿いや、日本海に面した各県では積るほどの降雪とのことだ。関東平野の外縁を縫うように走る武蔵野線は、強風のために一時運行停止したという。他にも停まったり遅れたりした鉄道があったらしい。高速道路のインターチェンジがなん箇所も閉鎖され、ほうぼうで渋滞が生じたそうだ。


 稀に観る大火事として『方丈記』に書き残された、安元三年四月二十八日の午前二時ごろ、「風はげしく吹きてしづかならざりし夜」というのは、こういう夜だったのだろうか。


 昨年拙宅では三月十五日に開花宣言した。その日の日記にアイキャッチとして添えた写真である。素人考えでも早い桜で、これでは卒業式には満開期を過ぎてしまうのではないか、入学式シーズンともなれば葉桜となってしまうのではないかと、余計な心配をしたもんだった。
 花見の宴の仕切りを押しつけられた幹事さんがたは、苦労算段して抑えた宴会場なり屋形船なりが、とんでもなく時期外れになってしまう形勢となり、さぞや落胆したり慌てたりしていることだろうと、これまた余計な心配をしたもんだった。


 一昨年はと云うと、拙宅開花宣言は三月十九日だった。東京都の開花宣言と同日だった。東京都では毎年の観察樹が決っていて、たしか靖国神社境内の何番目のどの樹の枝に三輪だかの花が開いたら開花宣言が発表される。奇しくも今年は、拙宅と靖国神社とが一致した、なんぞと書き記されてある。
 上はその日の日記に添えた写真だ。拙宅の三輪はもっと梢のほうの、観映えしない箇所で開花したために、トリミングで落された。
 昨年が三月十五日で、一昨年が十九日。今年の花は遅い。繰返すが、風が冷たい。

 昨年と一昨年の桜開花日が、すぐさま検索できる。当日記もほんのわずかづつながら、自前の情報が蓄積されてきた。私一個の身辺雑記に過ぎぬが、あえて大袈裟に申せば動かぬ歴史断片であり、ひいては文化断片でもある。じつはこのことが当日記の目途のひとつであり、方針でもあった。
 芝居にも映画にも、美術展にも好きなミュージシャンのライブにも、とんと足を運ばなくなって久しい。気持が動かぬわけではない。ある時期を境に、文化を享受することも消費することも、できる限り控えようと自重するようになった。その代り超々々ミクロスケールで構わないから、自分自身が文化的断片であるような生きかたはないものかと、考えるようになった。大口を叩いてるとか己惚れてるとか、思い上っているように聞えたら困るのだが、どんなに目立たなかろうが役立たなかろうが、なんらかの一次資料であるような自分でありたいと、感じ始めたのである。

 芝居も映画も、美術鑑賞もスポーツ観戦も大好きだった。酒場も女性も大好きだった。おおいに愉しませてもらった。一般化すれば、文化を享受もしくは消費させてもらった。が、見合うだけの主体的な仕事を成しえたかと問われれば、むろん答えは否だ。会計に例えれば、あまりに支出貧しくして、収入超過だ。
 いかに見すぼらしかろうが、規模微小だろうが、外来価値観や知識・情報によるのではなく、かように暮していること自体が一次資料たりうるような暮しかたはないもんだろうか。書いてしまうと観念的な物言いのようだが、じつはきわめて具体的な生活信条に属する。