一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

行列の尻尾



 メンチカツサンド、ポテサラサンド、チーズ入りくるみパン。

 大事な用件の前には、「カツ」の付く食べものを口にする。じつに愚鈍なゲン担ぎだ。
 旧い仲間の一人に、商売と音楽とに過してきた人生にひと区切りつけて、余生の生甲斐に画を描いている男がある。学生ジャズバンドではギターリストだった。卒業後はジャズバーのマスターとなった。一朝一夕に軌道に乗る業界ではなく、所を移ったり営業方針を変更したり、屋号を替えたりもした。条件の望ましい物件に巡り逢えずに、捨て年月とでもいうか、飲食店の厨房で修業した時期もあった。
 スポーツ好きで、春秋はテニス、冬はスキーと忙しかった。ところが病気に罹って脚の大手術を受け、ステッキを常用する躰となった。鞄にはいつも障害者手帳を忍ばせる身になった。

 そうなってみて、子ども時分には画を描くことが好きだったと、思い出した。テニスやスキーに夢中だったから、長らく忘れていたのだ。飽くまでも我流に過ぎなかった画を、真剣に勉強し始めた。画用紙大の作品だったのが、なん年か経つうちに、二十号五十号と大画面になっていった。勉強の教室だと思って所属していた団体にあっても、入選、推薦、会友というように、立場を昇進させていった。


 彼が所属する団体の作品展示会が開催されている。年に一度の、大巡回展だ。疫病禍中にあっては、観に行けなかった。今年こそは、ぜひとも観たい。

 長年にわたって繁盛させ、池袋の名物店の一軒とまで称ばれた店は、気紛れ大家の横暴とついに折合えず、惜しまれながら閉店した。大塚で小ぢんまり継続させた店は、商業地区一帯の再開発とかで、いっせい立退きとなった。
 質素な暮しのなかで、部屋の建具より巨きいカンバスをどうにかこうにか立てて、四苦八苦して描いた画であることを、私は承知している。描くさなかに全体のバランスを確かめるために、引きで眺めるなんぞということは許されないのだ。ぞんぶんな広さのアトリエで、必要な道具をすべて使って、欲するままの絵の具を揃えて描いた画とは違うのだ。
 なに不自由ない条件あってこそ好い作品が創作されるなんぞということは、むろんありえない。作者の創作観が、いや生きかたそのものが問われるかたちで、作品は出現する。
 疫病に阻まれて、なん年の間が空いてしまったろうか。今年こそ、彼の作品を観たい。私にとって、重要な一日となる。


 行列のできる地元の名店ベーカリーで、行列の尻尾に並ぶ。つねであれば、行列が途切れたころを視はからって出直そうかと考える。隣組のごときごくごく近所の住人としては、労力も時間も、さほどもったいなくはないからだ。
 しかし今朝は違う。どうしてもメンチカツサンドを食べて出かけるつもりだ。断じて行列の尻尾に立つ。