一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

太平洋展

片倉 健『樹影』

 今しも遠い山の端に没しようとする急角度の西陽に照らされた、農村風景だ。作物や草がすっかり刈りあげられた畑や野原に立木がひと株、異様なまでに長い影を、東に延している。、
 人らも家畜たちも機械も、今日を切りあげて帰っていった。大地もまた、一日の役目を了えて、日没までのつかの間をおだやかに安らっているかのようだ。

 空や雲や、植林を一部伐採された山の表現には、なにやら新しい絵画の感覚が紛れこんでいる気がする。近景の畑や野や畑中の小径には、明治の御代に西洋絵画を学びに渡欧した先人たちによる、懐かしい感覚が漂っている気もする。小径の先の道具置場か休息所のような小屋は、どことなし西洋風な気もする。不思議な画だ。
 立木にも小屋にも、大地にも小径にも、小径の両側を区切る灌木たちにも、ほぼ真横からとすらいえる急角度の西陽が、あまねく降りそそぐ。制作中の画家が初めから仕舞まで、終始気を抜かずに格闘した相手は「陽光」だったと思われる。
 一日の労苦は一日をもって足れり。これはこれで、とある理想郷の表現と云える。この画家がかような理想郷を描く資格をもつ人であることを、私は知っている。

 
 太平洋展は具象を極めようと期するらしい作品がほとんどで、観応えがある。それだけに疲れる。抽象性の勝った画やメッセージ性の露わな画の多い展覧会では、いち早く主張だけを拝聴して先へ進むことが可能だが、じっくり具象にあい渉った作品ばかりが大量に続く太平洋展では、画家が語る物語についつい耳を傾けて立ち停まってしまうことが多く、耳も脳も足腰も疲れ果ててしまう。
 今回もようやく到達した出口で、係員さんから「ありがとうございます」とお声をかけらられて、思わず「もうヘトヘトでございます」と応えてしまった。

 国立新美術館は、用途に応じて機能的な直線を旨とすべきところへ、大胆に曲線を採りいれた建築物だ。近未来都市のごとき合理性に、人肌の温もり的な要素を強力に混ぜ込ませてある。つまり抽象であり具象だ。
 巨大美術館につき、いくつもの展覧会が同時開催中だが、太平洋展の隣ではマティス展が催されていた。これまた抽象にして具象の巨匠だ。というより教祖さまの一人だ。おおいに心惹かれたが、私の体力では断念するしかなかった。

  
 大橋径一『狭き門』、村田太郎三『あき』、大橋径一『緋文字』(いずれも部分)

 出品作の九割がたが絵画作品で占められる太平洋展だが、二十数部屋を巡ってきた最後に各ひと部屋づつ、彫刻、染織、版画が展示されてある。眼先が変るだけでなしに、こちらの気分も刷新されるようで心地よい。
 芸術家たちの主張であれ学生作品の挑戦であれ、私は彫刻作品を観ることが好きだ。鑑賞のみならず、変態フェチシズム的興味も旺盛に抱いている。今回は、女体立像三作品の前で長く立ち停まった。いく度かたち還って、眺め直した。

 彫刻家たちには、平伏してお許しを乞わねばならない。いずれも堂々たる女性立像なのである。それはそれで、初めにじっくり観せていただいたのである。不届きはその後だけだ。どうかご容赦を。
 立像正面の至近距離に立って、女性たちと視線を合わせる。一分か二分。ブロンズや木彫が金属や木材であることを止める。モデルさんの肌触りの感触が、最初に伝わり始める。イボやアバタの手触りまで想い浮ぶ。次が体温だ。息遣いと声とのどちらが先かは微妙だ。声については聞えてこない場合もある。匂いまでが伝わってきたら、もういけない。背筋がゾワゾワと粟立つようだし、恐怖心から動悸がし始める。
 とにかくいったん作品の前から離れる。落着いてから、また戻る。

 たんにエロジジイとして申すばかりではない。彫刻家における画竜点睛の問題である。造形感覚だポースのアイデアだ、視線の角度だ表面仕上げだと、専門家ならではの工夫は数かずあったことだろう。だがなによりも、瞳に籠められたモデルさんの(いやおそらくは彫刻家自身の)意思について、彫刻家は繰返し工夫し挑戦し、逡巡し決断したに相違ないのである。鑑賞する者、その瞳と視線を合せずになんとするか。
 また観るがわの問題としては、「見える」と「視る」と「視詰める(凝視する)」とは、それぞれまったく別の行為である。そんな初歩的な自己操作すら自覚せずに、読んだり書いたり眺めたりなんぞ、できるもんではない。
 今、思い至った。鑑賞は私にとってのリハビリであるらしい。大根を煮てもドクダミを引っこ抜いても、同類の精神活動をしているはずなのに、日ごろ馴れっこになって忘れがちでいる。そんな自己操作を思い出させて、はっきり再確認させてくれる行為が、鑑賞ということなのだろう。