一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

キリスト

横尾忠則「キリスト」(版画)

 四月八日は花祭だ。お釈迦さまの誕生日である。華やかに祝う地方も場所も、今だってあることだろう。
 わが幼き日には、母からガラスの三合瓶だか五合瓶だかを持たされて、使いに出された。金剛院さまのご門前では、甘茶が振舞われた。住民の行列ができた。差出された瓶の口に漏斗(じょうご)を差して、巨きな樽から柄杓で汲んだ甘茶を注ぎ入れてくださるのだ。
 花祭の行事とは、釈迦像の頭から甘茶をおかけすることだった。貧乏家庭に釈迦像などあるはずもないから、代りになにをしたのだったか記憶にない。が、そのお下がりというかお余りというか、甘茶を湯飲みで飲んだ記憶はある。たしかにほんのり甘味は感じたものの、子どもの口にはたいして美味いものでもなかった。不味くはなかったが、月並な味だった。
 いつの間にか、わが町から甘茶かけの風習は廃れていった。

 柄にもなく供養なんぞをしたせいか、部屋の壁に掛けっぱなしのまま埃を被るにまかせてある額に、ふいに眼が行った。
 いつから拙宅にご逗留だったろうか。神保町のボヘミアンギルドさんから移動してこられたキリスト像だ。父歿後しばらくまでは、父の知人である女性画伯のお作が、そのまま掛けられてあった。私も好きな画だったから、気にも留めなかった。自覚してはいなかったが、供養の気分もあったかもしれない。
 横尾画伯のキリストは、それよりも前からご逗留中だったが、掲げるに適当な壁もなく箱入りのまま、他の愛玩品とともに部屋の隅に立てかけられてあった。時おり取出しては眺める状態が、なん年か続いた。
 父の歿後、さてなん年経ったころだったろうか、いつまでも供養の壁でもあるまいとの気が起きて、さて代りはなににしようかと考え、横尾画伯の登場となった。来年は父の十七回忌だ。そう考えると、十年以上もわが部屋の壁にキリスト像が掲げられてあったことになる。とんと無自覚のままに。

 横尾忠則さんは私の世代にとっては、鮮烈なポスターデザインを次つぎと産み出されて、最先端の魅力を発揮なさった画家である。一九六〇年代末から七〇年代へかけての、前衛的小劇場運動だの娯楽仁侠映画だののポスターにあって、あっ、横尾忠則だ、とひと眼で判る画が人気を呼んだ。浮世絵風の大胆構図に、レトロ調の色彩を採り入れて、モダンアート感覚で按配した独特な世界だった。
 横尾調を採り入れようと図った作品も数多出現したが、物真似臭気が露わになり過ぎ、かえって嘲笑の的となりやすかった。模倣しやすそうに見えて、じつはさにあらず。似て非なるものによる追随を許さぬ独創だったわけだ。ロートレックの場合と同様だ。

 前衛ブームが去った後、横尾忠則さんはインド思想系スピリチュアル画像を次つぎ発表なさった。ヒッピームーブメントと呼応するように、一つの時代を主張した。その時期の画集をなん冊か所持したことがあるが、しょせん私には不釣合いな世界で、やがて手放した。
 商業デザイン的技法から離れて、油絵にて三叉路というか、ふた股に分れた街路風景ばかりを描いた時期が訪れた。私の受けた感じはビュッフェ作品への感動と似ていて、たいそう惹きつけられた。しかし印刷物として世に示されるデザイン物ではなく、一品制作の油絵が、私の眼前に現れるはずもなかった。そんなとき、神保町の美術書専門古書店で、一枚の版画作品と出逢ったのだった。

 信者に抱きすがられる磔刑中のキリストもいい。が、十字架から降ろされて、というか外されて、地に横たえられる、というかうち捨てられ放置されるキリストは、もっといい。
 キリスト教信仰とはなんの所縁もない私だが、気に入っている。信仰とは信仰者の胸の裡にのみあるもので、信仰対象の胸の裡になにがあったかを、なんら示すものではありえない。今の私の気分にピッタリだ。花祭にキリストだって、いいじゃないか。放っといてくれ。