一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

大今昔



 ご依頼書類を届けるだけだから、郵送にても可と云われたが、散歩をかねて出かけることにした。久しぶりだ。およそ五十五年前からの学生時分と、およそ二十五年前からの教員時分との記憶が混濁するから、感傷散歩といっても整合が面倒な場面も生じる。

 他所では上映されぬ貴重な映画を観られる、名画座が健在とは耳にしていた。だが真向いの老舗喫茶店エスペラント」は姿を消していた。学生時代は学友との議論の場で、教員時代は古本屋巡りで棒になった脚を休めながら、買い漁った本を点検整理して鞄に詰め直す店だった。昨年初頭、五十六年の営業に幕を引いたという。

  
 「源兵衛」の前には、身長一メートル半もある巨きな赤犬が、いつも寝そべっていた。通学する学生はだれも、犬を避けて通った。危害を加えられる心配など皆無と踏んでいるのか、犬は平然として身じろぎもしなかった。学生ごときとは、貫禄が違った。
 学生が出入りするには少しレートの高い居酒屋だったから、入店することはなかった。教員時分にはいく度も入店したが、そのころはもう、赤犬はいなかった。その子孫とか代替りとかの噂も聴かなかった。

 「アルル」の看板が出ていたのには驚いた。教授の鞄持ちとして、お供させていただいたバーだ。長身断髪につば広の帽子を被った、まさしく男装の麗人といった大ママが切盛りしておられた。「おや、今日もなのね、センセのお供さん」と、私は称ばれた。
 泥酔癖の激しかった恩師をタクシーにお乗せするときには、あらかじめドライバーに恩師のご住所を正確に伝えること。そしてお鞄はかならず扉がわに置くことと、この大ママから教わった。
 娘さんだったか養女さんだったかのチイママがおられたが、彼女ですら、ご健在であればかなりのお婆チャンのはずだ。さらに次の代となっているのだろうか。

 櫛の歯が欠けたようにとは、このことだ。古書店の数がめっきり減った。だが平野書店、五十嵐書店、古書現世、安藤書店、浅川書店、二朗書房と、文学書の名店の看板を眼にして、かすかに安堵する。むろん午前中のこの時間は、まだ開店前だ。わずかに丸三文庫さんが開いていた。和田誠『倫敦巴里』を買う。かつて雑誌『話の特集』誌面を飾った秀逸パロディーを集めたもので、イラストや漫画が七分で文章が三分という、絵本みたいな書物だ。読んで理解する速度が著しく衰えた今の私には、まことに助かる一書である。

 喫茶店も甘味処も減った。代りに目覚ましく増えたのは、中華料理・タイ料理・台湾料理・韓国料理・ケバブ専門店・油そば専門店などなど。現代の若者は、そんなに油や香辛料がお好きなのであろうか。
 虫封じで有名な穴八幡宮。まあ綺麗にお化粧しちゃって。こんなに華美なお宮さんじゃなかったでしょうに。

 
 さて文学部へ。長らく工事中だった地下都市のような大施設が完成して、戸山アリーナと称ぶらしい。中にはスターバックス珈琲店まであるらしい。文学部正門とスタバの看板とが、行儀よく並んでいる。
 通称国連ビルと称ばれた、平べったくひょろ高い研究棟へ向う。書類を手渡して、若干の口頭註釈を申し伝えるだけだから、用件はアッという間に済んだ。
 もはや訪ねたい教員もない。さっさと研究棟から出て、教室をいくつか観て廻る。学生も教員もじつに若い。学生食堂とラウンジにて、しばし観察する。生協による書籍と文房具売場とを覗いてみる。自販機で缶ココアを買って飲んだ。
 記憶は次つぎ蘇るが、今となってはすべからく手遅れ感が先に立つ。わずかに興味を惹かれたのは、トイレにおける表示と、拾得物活用の雨傘無料サービスだ。

 
 文学部を出て、本部キャンパスへ。大講堂の時計塔は足場とテントに覆われている。修復だろうか化粧直しだろうか。
 講堂裏の知る人ぞ知る空地へと向う。鉄格子の扉に閉ざされてあるが、通用口の小扉が開いているので、かまわず踏み入る。人けはまったく感じられない。奥は有力学生劇団の共有スペースだったはずだ。
 変ってなかった。各劇団の部室兼倉庫が並び、空地には材木だのガラクタだのが積上げてある。現代の大学構内にもこんな殺風景な場所があるのかというような、殺伐たる空間だ。しばらく佇んだ。風間杜夫さんが発声練習に励んでいたのは、このあたりだったかしらん。鴻上尚史さんが幅を利かせたのは、それから十年後だ。
 と、ジーパンにティーシャツ姿の女子学生が一人、駆込んできた。私の姿にギョッとしたようだ。とある劇団の部室の鍵を開けかけたが、手を停めた。そりゃそうだろう、怪しいジジイに侵入されてはたまるまい。なんとか彼女を安心させねば……。
 「今の、劇団員ですか?」
 「はい……」
 「五十年前の、お仲間ですよ。ちょいとしたセンチメンタル・ジャーニーですわ。ここはあまり変ってないねえ」
 初めて彼女は笑顔を見せた。肩の力が抜けたようだった。

 直営カフェには記念品・土産物コーナーが併設されてあって、カレッジカラーもしくはマーク入りの野球帽、ティーシャツ、タオル、ネクタイ、栞、携帯ストラップ、ノートやボールペン、これでもかとばかりだ。なんと、大学マーク入りの羊羹まである。
 そんなにブランド力の高い大学なのだろうか。どういうかたが、買ってゆかれるのだろうか。受験生か。子弟子女を在学させる地方在住の親御さんが、様子を確かめにご上京なさったさいの土産品だろうか。母校愛の強い OB への贈り物だろうか。解せない。が、微笑ましくはある。

 坪内逍遥記念演劇博物館には、なんの変りもない。館前の逍遥先生銅像に、まず挨拶。ついに売れませんでした。けど、まだ書いております。
 興味をそそられる企画展示が始まったばかりのようだったが、八月上旬まで展示されるとのことなので、今日のところは視送りとした。
 演劇博物館の前には、以前から目的不明の建物が一棟あったが、新しいモニュメントに飾られて、もっともらしい表示板が立っている。これも客寄せだろうか。さしあたり私の興味を惹くものではなさそうだ。

 
 学生食堂で食事してみようかという気は、まだ去っていなかった。尾張屋はじめ老舗の食堂にも心惹かれはした。だが正午を回った時間となり、人気店にはどこも行列ができていた。
 昼食の一服は諦めて、正門前からバスに乗った。来る道は歩けても、今の私に駅から大学までの往復は過重運動だ。さっさと池袋へと逃げ帰り、いつものタカセコーヒーサロンだ。今日は、餡ドーナツとマロンデニッシュにアイス珈琲だ。
 季節のミニチュア・インテリアは「七夕」に変っている。