一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

古戦場


 日記はまだ日曜の午後でウロウロしている。古本屋巡りという点では、訪問先が減ってしまった高円寺を切上げて、荻窪へと移動する。

 荻窪駅南口には老舗もしくは有力店と称んでいい有力三古書店さんが健在だ。同行の若者たちに、古本屋を散策した気分になってもらえる。
 竹中書店さんは昔も今も、ひと言で申せば渋好み。時流におもねらぬ、大人相手の古書店さんである。
 ワルツさんは以前この場所にあった有力店が撤退して、跡をそのまま引継いだように出店なさった。老舗というよりむしろ代表的振興勢力と称ぶべきかもしれない。文学をベースに映画・演劇、美術・写真ほか芸術全般、若いお客さまや尖ったお客さまがじっくり長居したくなる店である。
 そして中央線沿線の雄、岩森書店さんだ。駅の地下改札口から地上へと上った出口の真正面に位置する。立地条件最高ながら、行き交う人に漏れなくアピールするような店構えをあえてなさらない。むしろ初心者を拒否しておられるかのような入口だ。
 初心者はそこで気後れしてはならない。勇気を振絞って入店してみれば、中は途方もなく豊かな世界である。

 その昔、少々珍しい文学ものを探す場合には、神保町や早稲田や本郷の古書店街を歩きながらも、「あと、岩森も覗いてみよう」と思ったものだった。狭い入口から奥に長い店内を進んで、帳場の角から左へ L 字型に折れると、珍品が山積みだった。すでに評価や売値が定まっているものは、透明袋に収められたうえにガラス扉のある棚に並べられてあった。
 私もこのお店で、渋~いものをなん冊かいただいた憶えがある。谷崎精二浅見淵の小説単行本だったと思う。神保町でも探し当てたが、同じ本であれば早稲田通りや岩森書店のほうが相場が安かった。

 しかし現在では、若者が熱心に散策するあいだ、私はめったに入店しない。もはや蔵書を増やす気がない。かねがね読んでみたい想いを抱いていたくせに、今日まで読まずにきたものは、ついに生涯ご縁を結ぶことができなかった本である。自分の勉強態度の至らなさであり、読書能力の限界である。諦めるしかない。
 それに今、おっとり刀で慌て読みしてみたところで、頭には入らない。読む端から忘れてゆく。しょせん新しい知識なんぞ老人には身に着かぬのだ。古い記憶を確かめたり噛み締め直したりして、なにがしかの所見や教訓につなげてゆくしかない。もはや戦場に出陣する気はない。古戦場を思い出すのみである。

 寿岳文章という英文学者は、七十歳まで単語帳を付けながら原書を読まれたそうである。七十歳を機に、中学生時分から途切れずに続けてこられた単語帳を断念なさった。いかに努力しても、新たに憶える単語よりも日々忘れてゆく単語のほうが多いと、痛感されたからだそうだ。
 七十歳まで単語帳というのも呆れるほど偉大だが、わが国屈指の大英文学者にして、加齢による忘却の凄まじさとはさようなるものだ。われら凡夫は、進取の知識などとうに諦めねばならぬのが至当である。
 ちなみに寿岳文章先生の英文学については、ついに一度も学ぶ機会を得なかったが、ダンテ『神曲』個人完訳にはお世話になった。しかしそれ以上に、民芸品と民芸運動についてのご発言からはお教えを賜った。ことに夫人とご協力での、和紙生産地についての実地お調べと見本紙蒐集については、忘れがたいお仕事が懐かしく記憶に残っている。

 さて地下をくぐって荻窪駅北口へ出る。かつてのラーメン激戦町である。その昔、井伏鱒二が定連だった寿司屋があったのも、こちら側だ。
 こちらにもかつては小規模な古書店があったが、姿を消した。駅から少々離れた所には今もあるらしいが、初心者コースとは申しがたい。
 ただし駅正面には、巨大なビルにブックオフが出店している。古書店と称ばず、リサイクル店だそうだが、今日の若者にとっては本との出会いの場であるにはちがいなかろう。いちおう案内しておく。

 喫茶店に席を占め、ミーティング。本日の印象を語りあい、買物成果を披露しあう。仲間として行動しながら、各おのがまったく異なる基準で本を漁り、バッティングせずに買物してきたことを知り、驚いたり感心したり、新たなる着眼を得たりする。これが存外勉強になるのだ。

 JR や地下鉄の駅へ向う若者たちと別れ、バス停へと向う。南から JR 中央線、西武新宿線西武池袋線がそれぞれ東西に延びる。新宿、池袋と鉄道を コ の字に乗換えたほうが早い。しかし JR 各駅にはかならず、西武線の駅とを結ぶバス路線がある。歩き疲れての帰宅路に限っては、三路線を南北に縫うバス路線で始点から終点まで、居眠りしながらのんびり帰るのが、私の習慣である。
 とある古戦場巡りを若者に伝えた。またひとつ役目を了えた。