ウワッ、うな丼である。なん年ぶりだろうか?
かねがねうなぎは、私にとって特別な食いものだった。値段の問題ではない。今ではスーパーに真空パック入りの、輸入養殖ものお手軽蒲焼もある。板前さん手づからの江戸前寿司や天ぷらと比較して、うなぎだけが特別に高価というわけでもない。気分の問題である。
心臓発作を起して、救急車のお世話になったことがある。救急救命室に二日間置かれてから、循環器内科病棟へ移された。病名は急性心不全だ。そうとしか云いようがないのだろう。なんでも肺に水が溜って、というより肺が水びたしになって、それを掻き出そうと心臓が必死でフル回転を続けたあげくに、水の量に負けて焼き切れたのだと診断された。ともかく心臓の安定を確保しながら、安静と利尿剤とにより躰から水を抜いてゆくという入院生活だった。
二週間ほどで臓器の洪水は引いたが、心臓機能には後遺症が残った。不整脈がやまないのだ。しかたない。太腿の付根からカテーテルを挿入して、躰の側面の太い血管伝いに心臓まで届かせ、先端から発する熱によって心臓のとある箇所を火傷させる。つまり心臓表面のある部分に、人工的な引きつれ(ケロイド)を生じさせて、不整脈を止めるらしい。
躰内を長征するカテーテルのほかに、バックアップ支援する情報収集班のごとき管をもう一本、鎖骨のあたりから挿入した。本隊とどういう関係にあるものか、いかに連携するものか、ドクターから詳しい説明はなかった。
大仰な治療は、さいわいにも成功した。あとはリハビリである。若く明朗な理学療法士とは仲良くなった。心臓疾患者のリハビリは、理学療法士の腕の見せどころだという。整形外科の患者のリハビリなど馬鹿でも(彼の云いかた)できる。ひたすら負荷をかけて丈夫にしてしまえばいい。そうはゆかぬのが心臓患者の場合で、メニューが弱ければ効果が上らぬし、強過ぎれば回復しかけた心臓を傷めてしまう。メニューの選択と加減との兼合いが微妙なのだという。
呼吸や脈拍や簡易心電図など、管や計器を身に着けたままの恰好で、そろりそろりと運動していった。私にしてみれば、馬鹿にするなというような軽い運動でも、彼はすぐさまモニター画面の前へと走っていって、こまかく指示を出してきた。メニュー終了後には、今日はこれ以上運動をせぬようにと、厳命された。
およそひと月の入院から娑婆復帰したとき、最初に思い浮んだのは「うなぎでも食うか」ということだった。所沢の小料理屋のメニューには、たしかうな重もあったと思い出した。当時所沢市の大学へ週一日出ていたから、駅周辺には懇意の店の一軒二軒はあったのだ。
「女将さん、今日はうな重が目当てで来ました。酒が目的じゃありません」
日ごろは酒と肴が目当てだから、うな重を注文したのは後にも先にも、そのとき一度きりだった。
狭山市在住の義叔母から、蒲焼をいただいた。春先に原子物理学者だった叔父が他界し、新盆のご一家である。七七の納骨を済まされたお報せに添えて、本場の狭山銘茶をお送りいただいたまま、お礼も申しあげず、心苦しく感じていたところへ、重ねての頂戴ものである。
義叔母ご自身も、海外生活期間をも含めてつねに叔父と行動を共にされた研究者であり、二男一女もそれぞれに研究職という、文字どおりスカラーシップのご一家で、お暮しぶりにご不満はなかろうが、なんといっても大黒柱を喪っての新盆ゆえ、ご心中は量りがたい。お掛けすべき言葉も、うまく思いつけない。
「へえ、うなぎかぁ、この前食ったのは、いつだったかなぁ」
宅配便をほどいて、思わず独り言が出た。
おりしも盆。父や母と、ひとしきり叔父の想い出噺にでも耽ることにする。