一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

冬の最前線



 冬至だそうだ。空気が冷たくなってくると、とたんに出動機会が増える、道具たちがある。いわば冬将軍対応の前線機動部隊だ。

 台所の王者といえば、そりゃあ包丁だ。参謀本部であって、作戦の基本方針はまずそこから動きだす。が、食材の切り分けや下拵えを了えてしまえば、あとは前線からの報告を待つだけの身分となる。
 作戦発起後に動きだす前線機動部隊はじつに多様多彩であって、出動機会は季節により増減する。また総司令部(つまり私)の執着や飽き(つまりマイブーム)によっても増減する。猛暑の季節には予備役のごとくにのんびりしていたくせに、これからの季節に獅子奮迅の活躍をする道具は、中華鍋と相棒の玉杓子である。私とはかれこれ二十五年くらいの付合いだ。

 母は大中小のフライパンを使い分け、中華鍋を使わぬ人だった。観ていて私は、母にもう少し腕力があれば、中華鍋ならもっと楽なのにと思わぬではない場面もあった。母が手術を受けて、私が台所を預かるようになったころ、大半の食器も調理器具もそのまま継承したが、中華鍋だけは新たに補充しようと考えた。
 駅前商店街の端っこの、今は保育園となっている角地の一階が、それまでの店が閉店したまま次の使いみちが決らず、催物企画スペースとなっていた時期があった。短期契約で特集展示のごとき商売が、入れ替りたち替りしたのである。
 あるとき「燕三条の匠の技」という展示即売の市が立った。新潟県燕市三条市、云わずと知れた全国有数の金物道具の名産地である。鍬や鎌、包丁や鉋(かんな)や鋸(のこぎり)など、農工具や刃物類には興味がなかった。スプーンやナイフ・フォークなどテーブル用品も間に合っていた。だが鍋とフライパンには興味があった。で、店内に足を踏み入れてみた。主夫とも商売人とも見えぬ中年男の入店に、揃いの半纏を着込んだ売子さんがたも、場違いな来店者を視る眼つきだった。

 少人数家族に手ごろな寸法の中華鍋を視つけた。両耳のごとき取っ手が付いたいわゆる上海型もあったし、長い一本柄のいわゆる北京型もあった。はじめから北京型と心決めしてあった。汁ものを煮るよりは炒めものや焼きものや、下拵えの油どおしに使う場合がほとんどだろうと踏んだからだ。それにこの寸法であれば、片腕でも振れると思った。
 すぐ隣に、相棒の玉杓子がたくさんぶら下っていた。左手に鍋を持ってみて、柄の長さがちょうど好都合な玉杓子を選んだ。
 売子さんからは、この男、本気で買うんだというような顔をされた。


 玉杓子のさらに隣には、アルミ製の油切りがぶら下っていた。じつはそこまでは予定してなかった。だが考えてみれば、当然用途はある。それに鉄製品や合金製品に比べて、驚くほど廉価だった。自分に使いこなせるものかどうか自信もなかったが、ここは一番、恰好から入ろうかと、ついでに買い足した。
 懸念は的中して、油切りの出番はしばらく来なかった。同じ用途に耐える金網のざるや、天ぷら鍋の縁網などがあったからだ。ところが使い始めたら、しごく便利だった。なによりもアルミの熱伝導率は低く、持ち手が熱くならぬのが助かった。手が油汚れする腹立たしさも格段に減った。
 今では、中華鍋と玉杓子のコンビではなく、油切りをも含めたトリオをもって、独立した一個機動部隊である。ただしアルミ道具には、鉄道具のような特徴がない。使い込んだ道具のみに表れる底光りというものがない。なん年経ってもキャリアを積んだ道具の様相を見せない。いささか張合いがない。可愛げもない。


 眼ざましい活躍を見せるのは機動部隊だが、末端で圧倒的に回数多く活躍する兵員というものもある。わが台所でもっとも多く出動するのは、短い柄付きの小鍋軍曹だ。母の時代からの古参下士官である。いつから従軍していたものか、今となっては知ることもできない。
 炎を浴び続けてきた長年の奉公によって、さしものアルミ合金も膨張してしまったのだろう。底面と側面の境目はひどく変形している。内側に盛りあがった形だ。側面の内側には容積の目安を表示するミリリットルの目盛が打ってあるのだが、今では当てにならない。だが容量なんぞは、私が加減すれば足りる。中型鍋の手に余る細かい作戦行動に能力を発揮してくれれば十分だ。

 直近の例として、昨夜のチャント飯での出動回数を数えてみる。台所へ入ってまづ私がすることは、心を落着かせて炊事に向う気合を入れるべく、湯を沸かして即席ポタージュを飲む。もしくはいただきものの缶詰スープを開けて温める。軍曹は最初のひと仕事だ。前菜に人参天を揚げるつもりだから、一人前の天つゆを仕立てる。百ミリリットルに満たぬ水に二十ミリの料理酒と砂糖ひと匙とおろし生姜。煮立ったら醤油を差す。さらに煮立ったら、蓋をしたまま軍曹ごと洗いものボウルの冷水に浸けて急冷。二度目の出動だ。
 人参天を食い了えたら、本食事に向けて若布の味噌汁を一人前だ。水に出汁の素を振り込んで煮立ったら、茶碗で水戻ししておいた若布を投じて、さらに煮立ったら味噌を差す。軍曹三度目の出動だ。主食を了えたら、デザート代りのカボチャの甘炊きを味わいながら、インスタント珈琲を一杯。軍曹四度目の出動だ。
 食後に好い心地となって、睡魔に襲われた。昨年脚と足とを低温火傷してひどい目に遭ったのに懲りて、電気ストーブを細火にしたうえに遠ざけてから、テーブルに突っ伏して少々仮眠する。ほんの十分で眼醒めたのだが、睡眠によるわずかの体温下降の効果は凄まじく、震えが来るほど寒い。冷蔵庫から牛乳パックを取出して二百ミリほど温め、砂糖を少々投じる。熱あつにして甘味のあるホットミルクで、体温を戻す。軍曹五度目の出動だ。
 日ごろは自覚してすら来なかったが、一回の食事で五度も出動している。驚くべき活躍ぶりだ。まことに、将軍だけで戦はできぬ。


 机に戻ってパソコンを起動。「一朴洞日記」を開き、愕然とする。鍋との交流史なんぞと、愚にもつかぬことを考えているあいだに、思わず台所に長居し過ぎた。今日が大切な日となるだろうと見当をつけていたのに、うっかり失念してしまった。
 ソロ目が多いなんぞと、つねであれば上機嫌となるところだが、今日ばかりは違う。惑星大縦列の「111,111」を視逃してしまった。次の大縦列は、とんでもなく未来のこととなる。