一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

風やみて



 風のない日だ。

 明日は父の命日である。来年が十七回忌だ。昨年は母の十七回忌だった。今年は谷間の年で、法事らしきことはしない。塔婆もあつらえない。月例の墓参のみだ。
 お向うの粉川さんのお婆ちゃんが父の命日を憶えてくださっていて、毎年お詣りくださる。そのときに花が挙っていないと、また墓石の掃除も行届いていないと、味気ない想いをおかけする。だから前もって私の墓参が済んでいる必要がある。私ひとりの問題であれば、一日二日早かろうが遅かろうが、父も母も許してくれることだろう。が、人さまのお気持がからむとなれば、そうもゆかない。
 花長さんの開店を待って花を整えたら山門をくぐる。水桶をお借りして花を浸けたら、庫裏にご挨拶して線香をいただく。いつもの手順による省力化を尽した墓参ではあるが、ともかく済ませた。
 あとは墓地の向う三軒両隣。開山以来の歴代ご住職が眠る奥の院墓所。生前の父母と懇意にしてくださったかたがたのご墓所。やがては私をお引取りいただく無縁仏合祀塚の大観音さま。道案内くださる六地蔵がた。そしてご本堂のご本尊。大師堂札所の弘法さん。ミニ四国巡礼を司る銅像の弘法さん。そして山門を出る。
 山門外の不動堂に詣り、引続きわが闘いのための勇気をお授けくださるよう祈願。最後が不動堂前の道祖神を兼ねた石地蔵で、わが町の数ある石仏のうち私がもっとも気に入っているお地蔵さんだ。

 
 空が高い日だ。高い場所から東西南北を眺め渡したわけではないが、地上から観あげるかぎりでは、雲量ゼロである。めったにないことだ。金剛院さま境内に隣接する神社の松も公孫樹の巨樹も、方角を視誤るのではないかと心配になるような空だ。
 晴れてよかった。風のない日でよかった。花や線香の支度も楽だった。墓石磨きの水仕事も楽だった。縁あるかたがたへのお詣りも楽だった。

 父さん、あの桜樹ね、なくなっちまったよ。でも、ものは考えようさ。毎年今ごろから、ものすごく葉が降ったんだ。毎日掃いても、道路を汚したんだ。風が吹くと転がっていって、人さまのご門前を汚すからね、ご近所のどなたにも、顔が合うたびに謝ってきたんだ。
 掃き集めた枯葉が山になるからさ、穴を掘っては埋めてきたんだ。敷地内の土に還すとか云ってさ。でも今年から、穴は掘らない。楽なもんさ。俺も齢とったからね。
 風のない日の、楽な命日前日だった。