一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

情緒

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我が壮観。乾燥機三台使い!

 いよいよ待ったなしだ。今日こそ洗濯を! 眼醒めると同時に、寝床のなかで覚悟を固めた。

 体重・体温・血圧。測定と記入を済ませて行動開始。
 通常の下着・靴下にジャージ・パジャマその他、それにアタックの箱も入れて一袋。シーツや枕カバーの代りにしているタオルケット・バスタオルに日常のタオル・手拭い類。さらに寒さ調節の毛布二枚。詰込みに工夫して、〆て四十五リットルゴミ袋相当の洗濯物袋にたっぷり三袋。サンタクロース三人分だ。なんとまあ横着して、溜め込んだものだ。

 空の買物袋を肩にしてから、袋三つ。ランドリーまでのわずかな道のりにも、体力の衰えを嘆く。
 水洗いか湯洗いか、アタックか自動補給洗剤か、柔軟剤はどうする? 各洗濯機の性能に合せて仕分けながら放り込む。無駄な工程のようでも案外効果がある。
 若者がやって来て、巨きなスポーツバッグから、丸まったり絡んだりした衣類を、丸ごと洗濯機に放り込んで、さっさと出ていった。元気が好い。俺もあゝだったなと、眩しいような照れ臭いような気が、ふと湧く。

 時計屋で用足し。次は八百屋。まず買物袋の底を重くしなければならない。人参・生しいたけ・生姜。あいにくレンコンのちょうどいゝのが見当らなかったので、少し思案して、ピーマンにした。
 通常は、野菜に油揚げか雁もどきを合せて、甘辛で煮ているのだが、肌寒くなったので動物性と油分を強めようかと考え、南蛮漬け風を仕立てるつもりだ。素揚げした野菜類を、酢を利かせた出汁に漬け込む。
 次はビッグエー。南蛮漬け風といっても、今回は魚を使わずにトリでゆく。トリ胸のお徳用真空パック。あとは定番食品の補充。納豆・缶珈琲・濃縮カルピス・六ピーチーズ・蜂蜜ボトル。間食用に黒糖ロール六個袋と、今日はおにぎり二個(舞茸おこわ・ネギトロ)。

 いったん帰宅して冷蔵庫に収めるべきは収め、必要なものだけ買物袋に残して再出発。ランドリーでは先頭の洗濯機がちょうど停止するところだった。順次乾燥機へと移動。今日は乾燥機も三台回すことになる。むろん組合わせは重要。一緒に洗ったものは一緒の乾燥機、というわけにはゆかない。コンバート発生。
 乾燥機がすべて回り始めれば一段落。全出張業務を了えて、缶ビールを買込んで帰京新幹線の座席に腰掛けた時は、こんな気分だったと、思い出す。

 おにぎり二個を取出す。缶珈琲のプルを抜く。マスクを外す。その場しのぎの朝飯代り。三角おにぎりを開ける手順を、外国人から訊かれたら、どう答えるべきか、などと考える。
 読み掛けの文庫本を開いて、眼鏡をかける。こういう時は、どこから読んでも、どこで中断しても、いっこうに差障りなく残念でもない本に限る。岡潔『春宵十話』。

 若者と奥さんがたが主流のランドリーに、珍しく老人が入って来た。といっても、私よりは若い。六十五歳で定年したか。頑固一徹そうな風貌。仕事は真面目だが、部下からは、さぞや煙たがられたことだろう。
 作業卓に荷物を置いたまゝ、洗濯機の品定め。決ったと見え、両替機の前でまた取説をじっくり読む。「洗槽ボタンを先にしたほうが、無駄がありませんヨ」
 両替が済んだら、店前の自販機へ飲物を買いに出てしまった。「だったらその自販機で釣銭出ただろうっ!」
 ようやく洗濯機を回し、自転車で去っていった。退屈な時間を持て余しているのか。それともたんなるランドリー初心者なのか。
 「なぁに、どうってことありません。あなたもそのうち、慣れますから」

 岡潔先生は云ってるなあ。数学はおろか、あらゆる学問の要諦は情緒だと。

さま

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『とべない沈黙』(「アートシアター」Vol.38)、チラシ、チケット半券。

 もはや真実は、幻想をもってしか掘り起せないほど深くに埋れてしまったのか? 世にも美しい映像で突き付けられた不可能性の提示は、高校生に深刻な影響を残した。

 札幌の虫捕り少年は夏休みのある日雑木林で、視たこともない巨きくて綺麗な、黒い揚羽蝶を発見。心臓が破裂しそうになるほど追いかけ追いかけて、ついに虫網を被せた。
 標本にして提出すると、先生から呼出された。これは九州を生息北限とする南方由来のナガサキアゲハという蝶で、幼虫はザボンの葉しか食べない。北海道で採集できるはずがないという。
 たしかに少年は百貨店の売場で、立派な標本に心奪われ、息を詰めて視入ったことがあった。でもこの一匹は、もしや死ぬんじゃないかと思うほど走って、自分で網を被せた大切な一匹だ。だれも目撃してはいなかったけれども。
 しかし先生や、先生から紹介された大学教授の前で、少年は抗弁できようはずもなかった。小沢昭一戸浦六宏。少年は標本を細かく千切って、川に捨てるしかなかった。

 長崎。お土産に巨きな実が一つ着いたザボンの枝。枝には、人に知られず幼虫が一匹とまっている。東京行き急行雲仙。かなり走ったころ、列車内で男が幼虫に驚き、枝ごと窓の外へ放る。
 山口県萩。二百年続く旧家の土蔵で不倫情事。木村俊恵長門裕之。家族制度と身分制度の圧迫のもとで、事件は起きた。箪笥金物に沿って、幼虫が這っていた。
 広島。萩から逃げてきた青年のワイシャツの肩に幼虫がとまっている。平和行進、記念式典、ストリップ劇場を経由して、幼虫は別の青年へ。被爆者二世の少女を東京から追ってきた青年が、必死の愛情告白。あなたたちには解るはずないと、擦違ってしまう。加賀まりこ蜷川幸雄
 京都。玉砕部隊で一人だけ生残った中年男が、戦友たちの墓参りに同行させた若い娘を口説いている。広島土産といって女に渡した陽傘には、幼虫がとまっている。男は感情が激すると、今も悪夢のごとき戦場場面が蘇って我を失う。加賀まりこ小松方正

 以下大阪、香港、横浜、東京。渡辺文雄、水島弘田中邦衛坂本スミ子千田是也、東野英次郎、日下武史。凄い顔ぶれ。
 すべての場面に、そっと幼虫がいて、化身のように加賀まりこがいる。その加賀まりこがついに、コートの襟を立てゝ、千歳空港に降り立つ。長い一本道を車がやって来て、降りてきた加賀まりこが、少年に向って腕を差出す。「蝶を返してちょうだい」

 いずれの土地にも、抜き差しならぬ現実に身動きとれずにもがく人びとがある。こんなものが素顔の自分ではないと呪いながら、押しつぶされてゆく人びとばかりだ。
 真実はもはやこの世の事実・現象のなかにはない。幻想の中にしか。

 もと岩波映画社に所属して、記録映画の専門家だった黒木和雄監督による、劇場用映画第一作。アートシアター新宿文化という小屋で、何回観たのだったろうか。半券によれば、会員入場券二百十円。一般券がいくらだったかは、憶えていない。
 一九六六年二月公開。高校一年生も終ろうとしていた。翌月か翌々月かには、今村昌平『人類学入門』が公開され、さらに数か月後には大島渚『白昼の通り魔』が出た。年末総括では『映画芸術』『映画評論』ほか各誌とも、今村作品や大島作品にばかり票が入り、『とべない沈黙』があまり取沙汰されぬことに、おゝいに義憤に駆られ、歯がゆい想いに苛立った。

 その後『竜馬暗殺』『祭りの準備』と秀作が続き、黒木作品が話題にのぼる機会があっても、なぜか『とべない沈黙』は、永らく幻の作品扱いだった。
 だいぶ後年、新宿ゴールデン街の「久絽」で何度目かにお見かけしたさい、ついにご本人を前に長々と『とべない沈黙』論を弁じてしまった。無礼きわまりない噺である。大家を眼の前にして、その旧作を若造が論じるなど、本来あってはならぬことだ。が、こちらも真剣だった。なにせ後続の他作品はVHSかDVDが出ているのに、『とべない沈黙』だけは出ていなかったのだ。
 揚句に「『とべない沈黙』をワンコピー、ぼくにください。実費をお支払いさせていただきますから」とまで、申しあげてしまった。

 黙って、にこにこしながらお聴きくださっていた監督は、やおら、
 「解った。君にはやる。いつになるかは約束できないが、やる。どういうもんだか、トベチン病患者がときどきいて、あの映画のおかげで人生を誤ったなどと云ってくる。そういう患者とは違うようだが、とにかく、君にはやる」と、おっしゃってくださった。じつのところは辟易とされたのだったろう。
 ママさんは「どうせ監督、憶えてるかどうだか」と云っていたが、私は前途に光が見えたような気になっていた。
 が、いたゞけなかった。いたゞかぬうちに監督は亡くなられ、DVDも市販された。

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 ときに『とべない沈黙』の独自性は、主演女優加賀まりこの神秘性によって達成された面が多分にある。この作品を観ずに、この女優さんを語って欲しくない。
 倍賞千恵子さん、岩下志麻さん、吉永小百合さん、そりゃ大女優さんでございましょう。でも倍賞さん、岩下さん、吉永さんです。こちらは加賀さまでいらっしゃいます。
 『乾いた花』(’64.篠田正浩監督)、『とべない沈黙』(’66.)、『泥の河』(’81.小栗康平監督)。畏れ多くも、加賀まりこさまは二十年のうちに三回、神とならせられた。
(『とべ沈』の前年公開、大庭秀雄監督『雪国』では、岩下さんと加賀さまの一騎打ちが観られる。)

解らん!

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 「祭や」さんが新装なって開店した。自粛要請に真先に応じて、半端営業などせずにいさぎよく休業に入ってしまったから、さて、どれほどぶりの営業となろうか。
 (どうかマツリヤではなく「サイヤ」と読んでください。営業:火~土、19時頃~。)
 私としても、ちょいと腰掛けて、ほんのいっとき世間噺に耳を傾ける場所が、ようやく再開したことになる。

 例によって看板などはない。地元にお住いのかたでも、あそこになにか店があるとは見知っておられようが、さて、なんのご商売かはご存じないかたがほとんどだろう。酒場である。
 誰かに連れられて、または紹介されて初来店されるのが普通で、よほどの好奇心に駆られるか蛮勇を奮うかしなければ、まず独りでふらりと初入店できる店構えではない。その度胸を持合せるほどの客であれば、入ってみればかならずリピーターとなる。

 飲食店だろうが、理髪店・美容院だろうが、その他の小売店だろうが、この町では、先代から続いているような地元老舗と、ニューウェーブとして近年参入のお洒落な店とに、分極化している。あとはスーパー・コンビニ・百均などの大型チェーン店だ。私鉄沿線町に共通の特色だろうか。
 「祭や」は珍しくその中間。かつて新参者としてこの町に漂着したのが、地味にしぶとく粘って、今では個性的な古手の商店主たちにも、あまねく知られて可愛がられている。祭礼やフリマなどの催しにも、確かな役割を果している。ニューウェーブの小綺麗なご商売をなさっているかたのなかに、「祭や」より古い店は見当らない。

 マスターの「ヨッシー」こと吉田さんが原則独りで切盛りしているが、準レギュラーの相方がいたり、かつては双頭の鷲のごとく相棒と切り回した時期もあった。
 相方や相棒の特技・持味に合せて、形態や献立を微妙に変化・調整するのがヨッシーの凄いところで、遠く振返れば、もつ鍋と焼鳥が売りの時期があり、和風割烹という時期もあった。湯豆腐の湯気を前に、店内にはジャズやR&B が流れたりもした。
 今は昭和の居酒屋のようでもあり、洒落たカフェバーのようでもある。なんとも形容しがたい「祭や」風である。

 ヨッシーは常に手作りで店を変化させる人で、水回りや電気系統を業者さんに依頼すると、あとはディスプレイはおろか、カウンターの高さや幅の改善だの、間仕切りの壁だの、道に面した窓枠の変更など、かなりの大工仕事も、時間をかけて楽しみながら、一人でやってしまう。具体的生活力からきし無能な私から視ると、ルネッサンス期のマイスターみたいな人だ。
 「この店は、ピカソのようだ。観るたびに、どこかしら変化している」と、評させてもらったこともあった。

 ヨッシーはひととおりでない苦労をして育った人で、「施設」と称ばれる学園で成長した。今でも学園仲間の幾人かとは、鉄の結束である。ご家族はアメリカ・台湾などに別々に暮している。高校・大学も頑張り、販売員から営業職もやり、飲食店のバイトから銀座の高級クラブのマネージャーまで勤めた。今では立派な姐さんがたとなった、かつての一流ホステスさんたちも、季節ごとに「祭や」に顔を見せてくださる。
 今回の休業中だって、派遣社員サラリーマンとして勤めたが、仕事熱心と対面能力を買われて、このまゝ残れと引止められたそうだ。が、収益などほとんど望めぬ店であっても、「祭や」がヨッシー心の支えである。

 私とは、なにからなにまで逆だ。親がかりで大学に通い、進路決定も職業選択も親の意見は容れず、身勝手好き放題を尽してきた。心許せる仲間たちにさえ、アイツ大丈夫かと、心配をかけた。一歩間違えればどうなっていたか、という場面は何度かあったものゝ、それは後年さよう回想するに過ぎない。当時はたゞ、あるかないかも判らぬ将来の幻想を想い描いて、意地を通して生きた。
 気づけば五十歳目前。捨てる神あれば拾う神もあり。こんな生きかたを通したこれほど不出来な男も珍しいし、若者にとっての反面教師ということもある。箸にも棒にも掛らぬ若者の話し相手に真向きということもある。というので、大学に雇われた。

 ヨッシーが身をもってよくよく知っていることを、私はほとんど知らない。私が本気で考えてきたことは、ヨッシーにとっては、どうでもよいことばかりだ。
 だからどこかしら、馬が合う。

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 コロナ明け新装開店の「祭や」では、扉を入ると、ヨッシー長年の秘蔵コレクションであるフィギュアたちが、出迎えてくれる。奥には未開封の名品(らしい?)の箱がうず高く積上げられている。収納スペースの限界もあるので、ネット・オークションに出そうかとも思うが、売れてしまうのが惜しいというのが、目下の深刻な思案だという。
 私には、さっぱり解らん!

淡々と

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 このところ話題に出てこないところをみると、熱が冷めたのか、などと思われては、はなはだ心外だ。
 Wリーグは始まっている。まだ天下分け目の関ケ原に差掛っていないだけだ。リーグ戦日程の常道だが、前半は昨年下位チームと当る。東京羽田ヴィッキーズシャンソン化粧品Vマジック、トヨタ紡織サンシャインラビッツに順当勝ちで、すべり出し六連勝中。しかしこれもオリンピック効果だろうか、各チームとも熱が入っていて、ことに下位チームの底上げレベルアップが急だ。

 東京羽田は、かねてから星取表以上に好いチームで、我がレッドウェーブも何度か足元を掬われた。シャンソンは大規模補強で一気に若返り、まったくの別チームに変貌した。二戦目ではディフェンスの気合いが素晴しく、一進一退の展開で、一時は危なかった。が、当方スタミナと粘り腰はリーグ屈指のチームにつき、また層の厚みもグンと増したにつき、最後には逆転すると、疑ってはいなかったが。

 あと二週三週すると、上位同士で星のつぶし合いに入る。常勝軍団ENEOSサンフラワーズだけでなく、トヨタ自動車アンテロ-プスも相変らず強い。それに今年はデンソーアイリスが強いと踏んでいる。全日本のキャプテン高田と若手赤穂姉妹の隙間に、あの本川が補強で入ってきている。
 わずかな星勘定で、優勝から五位までが動く可能性のある、激戦リーグとなりそうだ。Wリーグを一度観たいと思っていたかたは、今シーズンからご覧になることをお奨めする。

 ところで、実況アナウンサーがレッドウェーブのことを「スター軍団」と称んでいた。たしかにオリンピックの5×5、3×3、それにアジアカップ。大活躍した四人がいるし、かつて代表入りしたことのある選手もいる。だが、今後の上位チーム対決となれば、あっちにもこっちにも国際級選手はウジャウジャいる。
 だいゝちレッドウェーブの戦略もチームカラーも、スターシステムとは程遠い。全員で走る、そして誰もがスリーを打てる。総合力と連携のチームだ。「スター軍団」という点が売りではない。

 ネット上では、町田瑠唯の人気が爆発している。むろんオリンピックでの神業的アシストパスが眼を惹き、「可愛い、カッコイイ」が渦を巻いているのだ。眼元が可愛い、笑顔が可愛い、ボーイッシュなショートヘアがたまらない、というのまである。
 これもオリンピック効果だ。かつてサッカーの川澄奈穂美さんや、カーリング本橋麻里さんも同様だった。
 ご本人がたはさぞや、地道な努力を積み重ねていた頃には誰もなんとも云ってくれなかったくせにと、思われたことだろう。今になってなにさっ、と。それでもスポーツが注目されることに貢献できるならと、ご不自由も我慢なさったのだろう。
 
 今シーズン私は、会場観戦に出掛けないつもりだ。老人は人混みを避けよということがひとつ。だがそれよりも、こういう時の会場には、カメラを提げた少女たちが、試合展開そっちのけで町田瑠唯を追いかけ回すに決っているからだ。

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2010.高校総体札幌山の手高校キャプテン。

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2021.東京オリンピック、全日本司令塔。

 ――兄のほうは、自分ですぐ野球が好きになりまして、夢中でした。妹のほうは、いつまでも決りませんでねぇ。バスケ、やってみてはと奨めてみたんですわ。これがハマりまして。
 本拠地とどろきアリーナの階段下にある殺風景な喫煙所の片隅で、かつてハーフタイムの立ち話に、お父上から伺った噺である。愛娘のご活躍を、誇るでもなく謙遜するでもなく、たゞ淡々と語られる、感じの好いお父上だった。

反国家

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尾崎秀実(1901‐1944)

 木下順二の代表作のひとつ、戯曲『オットーと呼ばれる日本人』は実話をもとにした現代歴史劇だ。軍国日本を弱体化させるべく尽力した、コミンテルン(国際共産党)指導のスパイ事件、世に云うゾルゲ事件を題材にしている。キーパーソンがリヒャルト・ゾルゲという男なので、事件はそう称ばれている。

 日本側のキーパーソンは、暗号名オットーこと尾崎秀実(ほつみ)だ。東京に生れたが生後わずか数か月にして、ジャーナリストだった父が台湾の新聞社へ赴任するのに伴われ、台湾で育った。多くの差別実態を眼にしつゝ育ったという。
 旧制一高から東京帝大法学部へ。そのころ(大正時代の末)最初の共産党員一斉検挙や、大杉栄夫妻虐殺事件などがあり、刺激を受けて共産主義文献を研究し始めた。
 大学院を中退して朝日新聞に入社してからも研究は続き、朝日を退社して満鉄調査部に籍を置きながら、中国問題の専門家として雑誌評論を数多く書いた。近衛文麿内閣の嘱託にもなった。首相側近ブレーンだ。
 大学での同期に羽仁五郎がいたり、海軍内部に通じる親友がいたりして、体制・反体制双方に広い人脈および情報網を築いた。

 雑誌評論では、中国戦線の縮小案や和平案が現れると論破し、徹底して対中国強硬姿勢論と長期戦論を扇動した。日中戦争を泥沼化させることで、軍国日本を弱体化しようと企てたのだった。
 独ソ不可侵条約を一方的に破棄して、ドイツがソ連侵攻を開始するや尾崎は、印度支那半島への南進論の論陣を張った。日本とドイツとが東西から、ソ連を挟み撃ちする事態を避けるためである。

 尾崎の中国考察はことのほか精度が高く、近衛首相にも信頼され、その主張するところは政策に反映された。
 だが昭和十六年、暗躍は発覚し、ゾルゲともども逮捕された。天皇に対し近衛首相は「わが不明のいたすところ申し開きようもなく」と、最大限の謝罪をしたという。

 結審し死刑判決を受け、獄中にあるうちに昭和十九年となり、知識ある者の眼に戦局は敗色濃厚。ともすると体制が変ることでもあって処刑を免れるのではないかと、近しい者らは期待し始めた十一月七日、突然のように尾崎とゾルゲの絞首刑が執行された。昨日から数えて、七十七年前のことである。

 刑が確定して外部との音信が許されてからは、妻英子に宛てゝ、圧倒的な量の手紙を書いた。長年パーカーの太字万年筆を愛用してきた尾崎だのに、便箋にも葉書にも、細字ペンで細かい字をびっしりと書いてきた。
 昭和二十一年九月、それら書簡に遺書を併せて、『愛情はふる星のごとく』が刊行された。

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 戦時中の空気にあって、またメディアによる偏った決めつけによって、当然ながら国民のおゝかたは、尾崎のことを逆賊・国賊売国奴と、また危険思想を抱いた狂気の人と、思い込んでいた。
 だが書簡集は語る。妻を気遣い、娘を想い、周囲の人びとへの配慮万端漏らすことなき、まことにもって情理を尽した名文である。話題を呼び、戦後出版界の一事件とも称すべき、群を抜いたベストセラーとなった。
 情報漏洩を予防したか、災難に巻込ませまいと図ったか、活動については夫人にさえひと言も漏らしたことはなかった。その代り警察にも司法にも、尋問に対しては、語れることはなんでも包み隠さずに語ったという。大量の調書が、今日歴史資料として残っている。

 反ファシズムの一点で、ゾルゲと尾崎とは共闘したが、二人の理念は異なっていた。ゾルゲは考えた。ファシズム国家など完膚なきまでに消滅させてしまえ。が、尾崎は考えた。この国民と国土とが悲惨な事態を迎えることだけは、断じて避けねばならぬ。そのための反ファシズム闘争だ。
 幼きころ台湾で視た、差別され虐げられて過す庶民の姿が、尾崎の脳裡には浮んでいたことだろう。
 この国と国びととを愛してやまぬからこそ、今、反国家である。尾崎は自分を、愛国者のはしくれと、自覚していたろう。自分を冷静沈着な世界平和主義者と考えているらしいゾルゲとは、まったく異なる。

 尾崎の内面に巣食った、愛国と反国家の矛盾。そして目的を一にしながらもゾルゲと尾崎との対立。これはドラマになる。木下順二はさよう眼をつけたのだったろう。

自重

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林達夫(1896‐1984

 『デカルトのポリティーク』が書かれたのは昭和十四年(一九三九)。『反語的精神』は昭和二十一年(一九四六)。その間に戦争・敗戦があったが、林達夫の姿勢・着眼にはいさゝかの揺るぎもなかった。
 新スコラ派がはびこる。哲学が教室内のものとなり果て、出世や利権や売名の道具と化す。世俗権力に寄添う。自由に考え、発言する者は危険視される。
 戦前も戦後も、日本で権威を気取る者たちの心根には、なんの変化も進歩もなかったと見える。哲学は死んだ。

 生きる道は限られる。ソクラテスはへりくだった。前途有望な青年たちに自力で考えさせ、発言させ、自身はツッコミに徹した。青年たちは、自ら賢くなっていった。
 が、権力者たちも阿呆ではない。正面切った口先の体制批判者などよりも、ソクラテスのほうがよほど危険と、視抜いた。だから逮捕し、死刑にした。

 その轍は踏むまじと、デカルトは考えた。順応した。正確には、順応する振りを貫いた。こうした哲学者の宿命の歴史について、林達夫は考え抜いた。そして単純な命題に行き着いた。反語的精神こそ生き残る術だと。
 ――自由を愛する精神にとって、反語ほど魅力のあるものが又とありましょうか。何が自由だといって、敵対者の演技を演ずること、一つのことを欲しながら、それと正反対のことをなしうるほど自由なことはない。

 批評とは、へりくだりの技術だ。上から目線で論破しようなどと企てようものなら、対象は扉をとざし、殻にこもり、武装反撃してくる。へりくだって内ぶところへもぐり込み、対象の奥深くにまで侵入すれば、対象の内部カラクリはおのずと見えてくる。
 頭を叩くのではない。下へ回って、引きずりおろすのだ。

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ヤダッ、あの人ったら……

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ワタシったら、もぅ……

 昨日に引続いて、Nickxar さんのドッキリ動画の噺。Shaker Pranks という、二〇一八年から一九年へかけての動画が何本かある。

 青年が建物の壁や電話ボックスに左手を突いて、やゝ前かゞみの姿勢で、右手に握ったサプリメントかアイス珈琲のカップを、下腹部近くでシャカシャカ振っている。背後からやって来た通行人からは、青年が立ったまま自慰行為に耽ってでもいるかに、見えぬでもない。
 ヤダまさかあの人、昼日なかから公衆の面前で……。胸を衝かれる人、眉をひそめる人、思わず立止る人。変質者には近づかぬに限ると、わざわざ迂回する人まである。青年から少し離れるように追越して行きしな、眼を逸らすような顔つきを装いながらも、一瞬横目で視る。必ずといってよいほど、視る。ドリンクのカップだ。
 五歩か十歩通り過ぎてから、笑いを押し殺す顔となり、こらえ切れずに笑いだし、同行者を叩いたりもする。

 青年の奇異な行動を嗤ったのではない。ありえようもないことを、一瞬想像してしまった自分の心の動きがおかしくて、笑いが噴き出したのだ。
 お上品とは申せぬドッキリだが、人間のとりつくろった外装を突破して、内心をさらけ出させるには成功している。

 おそらくは一部の顰蹙を買ったのだろう。このドッキリは、ほんの一時期投稿されただけで、以後は姿を消した。Bushman ドッキリは世界中に蔓延し、今も毎日どこかで投稿され続けているのに、Shaker のほうには模倣者が現れない。
 身を辱めてのユーモアとか批評精神というものは、そうそうあるもんじゃないのだ。

 ――反語家はその本質上誤解されることを避け得ません。ひそかにこれを快としているほどに悪魔的でさえあります。
 林先生! まことに耳が痛うございます。我が文学のほうでも、新スコラ派化は顕著でございまして、私ごとき、ゴマメの歯ぎしりいたしおります。

 フィロソフィーという語が到来したとき、「哲学」なる訳語にしたのが、今思えば問題だった。馬鹿正直に直訳して「愛知」としておけば、いくらかマシだった。名古屋市のある、あの愛知だ。
 哲学とは、記された文言・論理体系のことではない。知恵を愛して生きるという、過しかた・生きかたのこと。「哲学する」と動詞で使われるのが正しい。名詞の登場はだいぶ経ってからだ。
 それに倣って、かつては身辺の若者たちに、「文学する」という動詞を推奨したものだったが、あまりに滑稽視されるので、近年は自重している。

残念ながら

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いずれも、NickxarさんによるYouTube動画より

 彼女らは一秒後、容姿からは想像もつかぬ大絶叫をする。五秒後には、大笑いのあまり身を折ってうずくまったり、両手で顔を覆ったり、天を仰いだりしている。

 Bush Prank 動画には中毒性がある。他愛のないドッキリ動画だ。植込みか鉢植えに見えた立木が、じつは着ぐるみで、突然通行人に話しかけたり、動いたりする。
 仕掛けは幼稚でばかばかしいほど面白い。こんな子供だましに息を呑んだり絶叫したりした自分が、照れ臭くもおかしくもなるからだ。

 始めたのが誰かは知らない。今では、こんなにいるかというほど、世界中にBush Prank のユーチューバーがいる。独自性を競う気があるものか、よく観ると芸風に違いがある。映像作品としての出来栄えの差もある。今のところ、Nickxarさんによるアイルランドのダブリン市街での動画と、qPekoさんによるリゾート地での観光客に仕掛けたものが安定した出来と感じて、本線として観ている。
 もちろん日本にもいる。ブッシュマンとか葉っぱマンと称ばれている。中国にもいる。韓国にはもっといる。

 要は、動かぬはずのものが突然動き出すドッキリだから、変化型はいくつも出てくる。洋装店前に陳列されたマネキンが突然動くとか、遊園地に据えられた人形が動くとか、商店街に陳列されたピカチューが動くとか、観光地の銅像が動くとか。日本ネタでは、飾られていた甲冑武者が刀を抜こうとするのもある。
 通行人の足元にヘビや巨大なクモが這い出したり、上から布製コウモリが降りてくるなんぞというのもある。
 着想は無限だろうが、結局はブッシュに還ってくる。コスプレとしては陳腐で、どう視てもカッコよくはない、キッチュ(幼稚なまがいもの)であることの無邪気な面白さは格別で、考え過ぎたものなんぞとは比べ物にならない。

 いくつか考えさせられることもある。まず「笑いのツボ」の問題だ。本当に脅かそうとして、急激に大仰な動きを見せるものが多々ある。なかには大声を発するものまでが。下である。
 脅かすのと驚かせるのとは異なる。動くはずのないものが動いたという、我が胸中の先入観に一瞬の狂いが生じたことが、自分でもおかしいから笑えるのだ。
 大袈裟でないからこそ、怖い、驚く、意表を衝かれるという面白さが、上である。

 どのタイミングで、あるいは通行人が通りかゝる何メートルくらい前で動いて見せるかという点にも、制作者のユーモア・センスが表れる。またカメラ・アングルにも卓越した作品もあり、これ見よがしながら平凡な作品もある。編集においても、通行人をどれほど手前から写し、ドッキリ後の笑いをどこまで残すか、映像の切取りかたにも、センスの違いが出る。

 仕掛けられた人びとからは、もっと多くのものが見える。まず性差だ。男性のナイス・リアクションもあるにはあるが、なんといっても傑作は女性に多い。想像を絶して驚き、けたゝましく笑う。お嬢ちゃんもお婆さまもだ。遊園地でも絶叫マシーンやお化け屋敷のファンは女性に多いと聴くが、女性のほうが驚きを愉しむ能力に長けているのは、世界共通と見える。

 カップルが仕掛けられて、女性が思わず大声を発してしてしまったとき、男性はヨシヨシという反応をする。逆に男性が魂消てしまったとき、女性は「あなた、駄目ねえ」という表情で笑う。同性カップルの場合は、日ごろの役どころが一瞬であらわになる場合がある。
 いずれにもせよ、仕掛けられた後のほうが、仲が良さそうである。

 観光客などが集団で仕掛けられると、一番大仰に驚いてしまった人が仲間から笑い物にされるパターンだが、そういう場合の仲間たちの笑いかたは強烈で容赦がない。
 一人で仕掛けられると、驚いても反応が小さいか、すぐ平静に戻ろうとする。はた目を気にするからだろうか。ということは逆に同行者がある場合は、自分がドッキリに掛ってしまったことを、友人なり恋人なり家族なり、連立っていた者とともに笑おうとの心理が、無意識のうちにも働いているのだろうか。

 まだまだ多くのものが見えるが、もっとも巨きい問題は、このような撮影ができる地域と、さようではない地域とが、現在の地球上にはあるだろうということだ。
 現在のユーチューバーたちだって、悪ふざけが過ぎるとクレーム付けられたことは多々あったろうし、喧嘩腰で摑み掛られたこともあったろう。編集でカットした部分である。
 もしこの企画を、紛争地域や同胞内乱の疑心暗鬼渦巻く地域で試みようものなら、驚かされた人は条件反射のごとく咄嗟に、刃物か武器に手を伸ばしかねない。
 とりあえず自分は今、命を狙われてはいないとの安心感が、街行く人たちの心にも、世間にも国にも行き渡っているからこそ、可能なジョークである。

 素直にに驚き、無邪気に笑い転げる、ドッキリ被害者たちを繰返し見せられていると、こういう人間たちが紛争や事件に関わるはずなどあるわけがないと思えてくる。
 だが、そんなことはないと、残念ながら知っている。