一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

合せ技

孔子(B.C.552 - 479)

 それはまだ、片側に過ぎませんけれども……。

 日曜日の台所でなにか手作業をしている場合には、ラジオから「爆笑問題の日曜サンデー」が流れている。硬軟織り混ぜたコーナーで長時間を構成し、なかには聴取者参加型コーナーもあって、多くのスタッフの活躍が想像される番組だ。
 「サンデーマナブくん」というコーナーでは、有識者や経験者をお招きして、耳寄りな噺や眼からウロコといった噺を伺う。宣伝時間が了って、さてそのコーナーへと切換る合図として、太田 光 さんによる開始合図の定番コールがある。
 ――知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知るなり。学びて思わざれば、すなわち暗し。
 毎回寸分たがわずコールされるところをみると、太田さんの言葉ではなく、どなたか作家氏により考案された台詞だろう。申すまでもなく、『論語』の二か所から文章を引用して、並べたものである。

 いずれも「為政第二」の一節で、すぐ近くにある文言だ。
 知之為知之、不知為不知、是知也、
 愛弟子の子路を呼寄せて、諭した言葉だ。入門前はいわば任侠道の男で、魂入換えての入門後は、最側近のお弟子の一人となった。日ごろから頭の回転が異様に早く、行動が積極果敢に過ぎる傾向があるこの高弟に、孔子が釘を刺した。知ってることは好いとして、知らぬことを知らないと自覚することが、肝心だぜ。もっともな教訓である。
 だが学者たちの述べるところは、もう少し深い。認識ってのはネ子路よ、認識できたものを認識したと云えばよいので、認識の外にあるものをまで認識した、なんて云っちゃあいけないよ。ビッグバン以前の宇宙がどうだったかとか、巨大素数の出現に法則性があるかとか、本来人智のとうてい及ばぬところだからネ。
 有名な「吾いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らむや」などと考え合せても、なるほどこちらのほうが孔子の考えかたの本丸かもしれない。しょせん人間になど解るはずもないことに、この世は充ち満ちているという、わきまえなり断念なりから、孔子の考えは出発していると思えてならない。
 ちなみに『李陵』『山月記』に続く、中島敦三番目の代表作『弟子』の主人公は、この子路である。

 

石に残れる。

 さて太田 光 さんの台詞の後半。
 学而不思則罔、学びて思わざれば、すなわち罔(くら)し。
 これはお弟子のだれに向けての言葉だろうか。直前は、君子とはいかなる人物を指すかについての子貢への文言だから、引続き子貢に語っていると読むべきだろうか。それともがらりと内容が変っているから、こゝだけ独立したくだりと考えるべきだろうか。
 書物にかじりついて、お勉強ばかりしたって、自分流に消化して思索しなければ、考えは広がらないよ。
 たしかに子貢に向ける適切なアドヴァイスにも聞える。入門前は商人だった子貢は、いつも冷静沈着にしてバランス感覚を失うことがない。よくお勉強し、実務能力も抜群だ。孔子歿後に一門から広く情報収集し、次の世代へと継承した。孔子生存期から論語成立まで二百年あまり経っていようから、今日我われが論語を読めるのは、ひとえに子貢のおかげと申しても過言ではない。

 しかしである。この文言は対句になっていて、太田 光 さんには申しわけないが、片方だけでは含意いまだしなのだ。
 思而不学則殆、思いて学ばざれば、すなわち殆(あやう)し。
 自分勝手に考えて思いこんだところで、裏づけをきちんと学んでおかなければ、そんな考えあやふやで、危なっかしくて、視ちゃあいられない。
 もっともな知恵の開示ではあるが、子貢へのアドヴァイスとしては、いさゝか的外れだ。
 ともすると後世の論語編集者の判断で、対句の前半部分が直前の子貢のくだりと関連深いと視做され、この場所にはめ込まれたエピソードだったのだろうか。さような例は、萬葉集などにもよくある。

 ともあれ、対句対照して初めて真意をなす。お勉強ばっかで、考えないんじゃねぇ、どうにも。かといって思いこみばっかで、確めないんじゃねぇ、こうにも。
 合せ技一本! おそれながら、爆笑問題さんのようなもんじゃありませんか。

池袋


 東口前ロータリーの中洲に立停まると、前方にも背後にも、高いところに巨大な電光画面。カラー動画が流れている。ニュースか商品宣伝か、映画かなにかの告知だろうか。中国語(簡体字)でコピーが打たれた日本語学校の広告もデカデカとある。百貨店の屋上からは地上へ向って垂れ幕。催物フロアの特設会場にて韓国物産展と韓国うまいもの展だという。

 一日延しにしたまゝでは、諸方へ非礼が重なるばかりだ。すっかり出不精となった身を鞭打つようにして、家を出た。
 まず、大阪で発行されている文学雑誌が稿料をご送金くださったので、領収証を投函。ポストは巣鴨信用金庫の正面なので、ついでに通帳記入。中身一見。いかにご無沙汰だったかを再認識。ファミマで煙草を補充してから、駅へ。
 百貨店内の浅草今半で、送品伝票を三枚所望。その場で書いて間違えてもならぬから、どこかで書くことに。
 「年寄りは書き損じするんでねぇ」「念のために多めにしておきます」顔馴染の女性店員さんが、複写式送り状を五枚渡してくださった。「珈琲飲むんで、一時間後くらいになります」「どうぞごゆっくり」
 タカセサロンの入口には、「ご注文の前に席をお取りください」の立札。混雑時に出現する立札で、カウンターにて会計を済ませたのに席がないとの混乱を防ぐためだ。いつもは二階席へ上るのだが、入口近くの二人用小テーブルが空いていたので、面倒臭い、今日は手近なそこに荷物と帽子を置く。アイス珈琲と餡ドーナツ。本日まだ、食事をしてなかった。食べ了って、送り状三枚を書く。さいわい書き損じを出さずに済んだ。

 猛暑のさなか、私の管理無知からパソコンに不具合を起した。顧問に出張していたゞき見事修復成ったが、急場のこととてろくにお礼もせず、ずるずる日延べしてきた。
 医療崩壊の最前線で眼の回るご多忙にちがいない医療従事者の友人が、ご郷里北海道の生産者にお手を回してくださり、巨大な夕張メロンが届いた。年に一度の至福を味わわせていたゞいた。ろくにお礼もせず、ずるずる日延べしてきた。
 英文学者の友人が、教職ご退職ののちは積年の資料収集を土台に、長篇小説を次つぎ刊行。第四作めをご恵送くださった。着想を得てから、二十年にもなるという。シェイクスピアを講じながら、彼はこんなことを考えていたのか。ふ~ん。ろくにお礼もせず、ずるずる日延べしてきた。
 浅草今半へ戻って、使わずに済んだ未記入送り状二枚をお返し。品物を視つくろい、発送依頼を済ませる。
 同フロアの両口屋是清に寄って、小さな手土産二個を視つくろう。地上へ上ると、次へ廻るまえに一服したくなった。

 ロータリーの中洲に喫煙所が設けられてある。疫病最盛期には立入禁止のテープでぐるぐる巻きにされていた。今は週末午後とあってか、過密状態だ。全員無言かつ無表情。馴れっこではあるが、冷静に眺めれば、ちょいと異様な光景。むろん私も、そのなかのひとりである。
 黄緑色の制服ベスト着用した二名の係員さんが、二台設置された吸殻投入箱の胴扉を開けて、湿った吸殻の山をバケツに移しておられた。おふたりともご高齢。私と同齢くらいか。第二か第三の人生であられることだろう。
 灰が長くなったので近づき、どうせなら投入箱よりバケツに直接ではいかゞかと、
 「こゝへ入れても、よろしいでしょうか」「どうぞどうぞ」「失礼します」
 それを潮に、あとからあとからバケツに直接吸殻を投ずる人たちが現れた。皆さん無言、無表情。そういうもんなのだろうか。
 吸殻の山をバケツに回収し、棕櫚箒と塵取りで眼に着いた地面のゴミを、丹念に掃除。それ自体は重労働でも力仕事でもあるまい。だが今日のような日和ばかりではあるまい。猛暑もあれば、雨天も強風もあろう。この仕事は、はたして俺にも務まるものだろうか?
 箒と塵取りを喫煙所隅っこの、仕切り壁と植栽ポットのわずかな隙間に立掛けるかのように収納なさった。頭隠して尻隠さずみたいに、道具類の柄が丸見えだ。しかし長年この喫煙所を利用させてもらってきながら、こんな所に道具類がと、初めて気づかされた。作家志望の学生たちに向って、なによりも観察が大切などと、よくもまあ能書き垂れてきたもんである。


 「古書往来座」さんへ。ご店主瀬戸さんも、野村店長さんも、さいわいご在店。関係している学生サークルがご指導いただいているにもかゝわらず、久びさの無沙汰挨拶。また近いうちに時間をとっていたゞいて、相談にお乗りいたゞきたい旨をお願いする。
 いよいよ本や資料書類など、紙物の始末にも着手せねばならない。このまゝ私の手元にあったのでは汚れたり、傷んだりする一方だし、数は多くないけれども、稀覯本に属するものや、散逸しては惜しいものも、ないではない。もはや再読も活用もできそうにない私なんぞより、役立て可能なかたのお眼に着いて欲しいものは少なくない。

 やれやれ、という次第で、逃げ帰るように私鉄に乗り、わが町へ戻る。「祭や」さんご開店の十九時までには、まだ小一時間。いつもの「博多屋」さんのいつもの席にて軽く。店は往来に面して全面素透しガラスだから、通りしなに横目でなかを窺い、この席が空いてなければ入店しない。
 せっかくの外飲みだ。家では絶対口にできないものを。本日は焼トン、レバー。
 「祭や」へ移る。当店の番兵たる少年には、当ブログに写真付きでご登場願ったことがあった。ギャラの支払いがまだだった。残り一個の手土産小箱を保護者たるチイママにお渡し。これで肖像権はチャラだよと、念を押した。

ハヤシライス


 どうせ横浜のホテルの林料理長か、馬車道あたりの林シェフが、外国人さん向けに考案したものだろうと思いこんでいた。ハッシュドビーフなんぞという単語を知るまでは。

 幼少期、親に手を曳かれて外出。百貨店の大食堂で食事をすることが、年に数回の晴の日だった。最初はお子様ランチ。これはすぐ卒業した。チキンライスに立つ日の丸に興味が失せてしまえば、あとはどうってことのないものだ。カツライスやカツ丼は、なぜか子どもが注文してはいけないものだった。ラーメン(シナソバか中華ソバと称んだ気がする)は百貨店大食堂で食べるものではなかった。で、カレーライスの時期が長く続いたと思う。
 あるとき気紛れから、色ちがいのハヤシライスを所望してみて、その味と出逢ったさいの衝撃には、たゞならぬものがあった。生れて初めての味だった。たゞし注文した回数はさほど多くない。家族の晴の食事会が百貨店大食堂だった時代が、過ぎようとしていた。親に手を曳かれて外出するという年齢も、過ぎようとしていた。ハヤシライスの味と色だけが、鮮烈に身に残った。

 今でも、ハヤシライスは好きだ。が、さほど頻繁には食べない。カレーライスの三分の一以下だろう。若き日には「男の台所」と称して、とかくむやみに手間も時間もかゝる作業を、面白半分にやりがちなもので、ご多分に漏れず私もカレーには挑戦してみたが、デミグラスソースを作るということは、したことがない。
 今現在は、あらゆる節約と手抜きの台所だから、カレー・ハヤシは当然チルド食品である。その頻度は、カレー4 にハヤシ1 程度のものと思われる。
 だったらべつに、ハヤシライス好きと称するにも当らぬではないかという頻度だが、みずから意識するところでは、ハヤシライス好きである。たゞしデミグラスソース味というものは、飽きが早い。続けて食べる気になれない。「たまに」が好いのである。

 およそ月二回、飯を炊く。五合炊き釜に三合半くらい。いゝ加減の目分量だ。無洗米という考えかたは信用しない。研いだら猪口一杯の酒、切昆布適当に。小一時間馴染ませてからスイッチ。
 蒸らしたのち、杓子で返す。昆布が均等には混ざらぬが、気にしない。すでにエキスは飯中に出ている。小分けオニギリにしてラップするが、十二食から十四食分採れる。炊く量が適当だし、オニギリの巨きさもその日の気分によって一定ではなかろうから、誤差は避けられない。コンビニオニギリの小さいほうより、さらにやゝ小さいくらい。これで丼に一膳の粥飯となる。すなわち、わが一食分だ。冷凍庫ゆき。
 前回炊飯から半月をだいぶ超える日数が経っている。この夏、いかに麺類その他のお世話になったかの証左だ。みずから贖ったぶんもあるが、加えて到来物豊富。大助かりだった。改めて感謝の念。
 粥飯には毎回一個宛のオニギリを、カレーライス・ハヤシライスの場合には二個解凍する。むろんチルド食品のお世話になる。

 猛暑の一時期、階上の台所は階下の居間よりもはるかに暑い。エアコン不使用の拙宅にあっては、なかなかの難所で、足踏みいれるのも億劫だ。
 加えてこの夏は、けっこう仕事させていたゞいた。怠け者の節句働きと申すべきか。デスク前から動きたくない日も多かった。
 億劫と時間節約とから、ファミマでハヤシライスを買ってみた。初めての挑戦だ。せめて電子レンジくらいは自前で使おうと考えて、レジでの「温めますか」はご辞退した。別にある興味もあって。

 興味というか懸念は、的中した。下層の丼部分に白飯が収められ、上皿にハヤシが乗っているのだが、商品形態のまゝ短時間チンすると、ハヤシだけが温まって、白飯にまで熱が通らない。上皿を取外して、下層部分だけをもう一度電子レンジに入れた。
 それで納得がいった。親子丼だの麻婆丼を買ったことも過去にはあって、温めてくださいとレジで依頼した経験もある。受取ろうとすると、熱チッチというくらい温めてくださった。幕の内弁当や明太海苔弁のさいには、そんなことないのに。つまり重層丼構造の商品にあっては、下層の白飯にまで熱を通すには、上層の具を熱し過ぎるまでに温めねばならぬと、店員さんがたは承知しておられたのだ。
 家庭にあっては、商品姿のまゝチンするのではなく、包装を解いて層別に分けてから温めるのが正解である。
 少し頭を巡らせてみれば、しごく当然だ。当然なのに、こんな簡単なことも、みずからやってみなければ納得できない。これも耄碌のひとつだろうか。

 ファミマ・ハヤシライスの印象。黒い! じつに黒い。味は悪くない。が、しょっちゅう食べたいとまでは思わない。「たまには」でけっこうだ。わが冷凍オニギリ二個にチルドハヤシで、私には十分である。

どちらでも


 つまるところ、バニラか……。

 日ごろ忘れたように過していながら、ふとしたきっかけで食べ始めると、マイブームとばかりにしばらく定番デザートもしくは間食として食べ続けるものに、アイスクリームがある。現代にあっては、味にも形態にも、私の想像をはるかに超える多種商品があって、目移りする。あれこれ試みたあげくに、結局はカップ入りのバニラアイスクリームに戻ってくるというのが、多くのかたがたの実状ではなかろうか。私もさようだ。

 夏が来たからアイスクリーム、というぐあいには、私の場合はならない。しばらくは念頭にも浮ばない。猛暑の日が続いて、どうにもやりきれないとなって、そうだアイスクリームという手があったと、遅まきながら思い出す。そこからが手間どる。さてなにを定番とするか。昨年実績はご破算にして、改めて考えてみたり、比較検討してみたりする。この一年に新商品も出てきているようだし、バージョンアップや装い変更もあるようだからだ。
 三角コーンに盛られたソフトクリーム型が、まず念頭に浮ぶ。子どものころ、食べたくても買ってもらえなかった憾みから、あの形に憧れか執着があるためだろう。なん年かのあいだは、まずここから始めていた。が、今食べてみれば、ありがたいものでも食べやすいものでもない。量的なお得感もさほどない。数年前から、三角コーン型にはまったく食指が動かなくなった。
 で近年は、モナカから始まる。これがまた種類が多い。ひととおり試してはみるが、ジャンボチョコ・モナカへ戻って来る。が、いくら冷凍庫に保存しても、時が経てばモナカとクリームが馴染み過ぎる。飽きてくる。やはりカップ入りか、となるころには、猛暑の盛りを過ぎていたりする。

 カップ入りの長所は、多様な味を愉しめるところだ。とはいえひとつに夢中になると飽きが来るのも早く、結局はバニラに戻る結果となるのは眼に見えている。今年は二種類づつを併行して買ってみて、勝抜き戦方式を採った。
 まずバニラ対チョコミント。意外にもチョコミント善戦で甲乙つけがたいまゝ二週間経った。ひとまず休戦として、バニラ対抹茶。すぐ決着がついた。問題にならない。世に抹茶々々と大騒ぎする風潮があるのが信じられない。抹茶味を愉しむ方法は他にいくらでもあって、アイスクリームが適当な土俵ではない。組合せによる比較印象という問題もありうるから念のため、抹茶対チョコミント。これもあっさり決着で、抹茶は以後長く消えることとなろう。新選手登場でチョコクッキー対チョコミント。単品では心惹かれた(舌も惹かれた)チョコクッキーだったが、チョコミントと比較検討すると相手にはならない。チョコクッキー対バニラという裏付け戦は、まだやっていないが、おそらく評価が動くことはあるまい。
 繰返すが、単一味に集中すると飽きが来るのも早い。今年はバニラとチョコミントの二商品併用でゆくことと決定した。ようやく結論を得て、気分が落着いた。自分流に検証を重ねて、納得の方針が定まったことは、暮しの安心立命の観点からも、よろしいことにちがいない。たゞし陽気はすでに涼しくなってしまったが。

 砂糖壺が底を突いた。一キログラム入り徳用大袋で買って、大本・中分け・小分け壺の三段階運用しているが、最後の小分け壺も残り少ない。買物リストに入れた。
 いつのことだったか憶えちゃいないが、前々回の砂糖買いのさい、いつもの白砂糖がたまたま入荷切れで、白茶というか黄色味を帯びた姉妹商品を買った。気のせいか甘味がかすかに優しい。これはこれでいゝじゃないかと、前回買物のさいには、純白もあったが、あえて黄色味を選んだ。

 

 と、今回は黄色味が棚に品切れで、純白のみ在庫。こだわらずに買った。一日待てば補充入荷されるのだろうが、こだわるところではない。煮物・酢味噌・三杯酢の味が決定的に変るとは思えない。インスタント珈琲や紅茶もさよう。なにも砂糖そのものを舐めるわけではないのだから、どちらでもよろしい。
 が、アイスクリームのほうは、どちらでもというわけにはゆかない。バニラ対チョコミントの対決は、容易には決着を視ないかもしれない。勝負は肌寒い時期にまで、もつれこむかもしれない。
 申し忘れたが、私は涼しくなろうとも、平気でアイスクリームを食すのである。だからこそそのマイブームを脱したあかつきには、翌年の夏になっても、アイスクリームが念頭に浮ばなかったりもする。

かき氷


 『Nile’s NILE ナイルスナイル』9月号をご恵贈いたゞいた。

 全頁カラー写真と文とからなる、紙も刷りもよく吟味された、上品かつ豪華な雑誌だ。広告だって、私の暮しに関係ありそうなスポンサーなんか一社も見当らない。
 年収ン千ン百万以上のかたから定期購読会員を募ってお届けしているという。そういう雑誌があることを、この齢まで知らなかった。国際級ホテルのヴィップルームや国際線のファーストクラスでは、こういうものも眼にできるのだろうか。伺わなかったけれども。
 かつて私のゼミ学生だった女性編集者が同誌編集部に在籍しているという、たまさかのことがなければ、生涯知るはずもなかった雑誌である。

 今号の特集がなんと「かき氷」だという。功成り名を遂げたかたにも、社会の第一線でご活躍中のかたにも、胸の奥には、小さな甘酸っぱい記憶が眠っているはずだという点に着眼した企画だ。オーソン・ウェルズ市民ケーン』の「バラのつぼみ」である。
 かき氷について、独自の思い出はないか、耳寄りな噺はないか、との趣旨で取材を受けた。例のごとく、あっちへ飛びこっちへ跳ねの放談をして、あとはインタビュアー兼ライターさんが、大半を削り落とし、使えそうな断片を拾って、上手にまとめてくださった。

 まず貧乏家庭の悪ガキにとって、かき氷はちょいとお洒落なおやつで、頻繁には口にできなかった。
 またスタートは氷イチゴで、レモン、メロン、小豆とステップアップしてゆき、ついにはイチゴへ還る。現在だってイチゴ大福を皮切りに、バナナ、ブドウ、ウメ、スモモといかに変遷しようとも、あげくはイチゴへ還る。この道のりに示される普遍真理はなへんにありや。イチゴとは人間にとってなんぞや。
 むろんライターさんのお手で、それらは削除された。
 

同誌より無断で切取らせていたゞきました。(撮影:関さとる)

 『枕草子』に、お洒落で上品なもののひとつとして「けづり氷(ひ)に甘づらかけて」と、かき氷の原型みたいなものが登場するとは、昔ずいぶん講義脱線のネタに使った。これこそわが国の文献に最初に登場したかき氷ではないかと。が、用心して「私の知る限りでは」と必ず申し添えるのをつねとした。たしかにそれ以前の『伊勢物語』にも『土佐日記』にも、氷を食す場面はない。私がみずから確めたのは、せいぜいその程度にすぎない。
 しかしウィキペディアには、『枕草子』が最初の言及と、断定されてある。ウィキさん、大丈夫なのだろうか。

 『風姿花伝』俗に花伝書は、若き世阿弥の手になるもので、舞の名手だったろう親父観阿弥の教えを踏襲伝達したものだ。世阿弥自身の苦渋の果ての横顔は、むしろ晩年の指南書に窺える。弟子との問答に、こんな一節がある。
 「先生、能の寂びた美とは、どういうものですか?」
 「冷えた美だな」
 「では、冷えた美とは、どういう美ですか?」
 「う~む、冷え寂びた美だな」
 「では、冷え寂びた美とは、どういうものでしょうか?」
 応えに窮した世阿弥は、言語的形容を諦めて、形状比喩に切換える。
 「降ったばかりの新雪を、銀の椀に盛って、そぉーっと差出したようなもんさ」

 これを読んだとき、はゝーん、世阿弥は『枕草子』のアレを読んだなと、私はニンマリしたものだった。
 とはいえこれを学問とするには、書肆はおろか富裕町人の蔵書家など影も形もなかった時代のこととて、当時どちらのお公家さんや殿様やお寺さんが写本を所持していて、世阿弥が一見に及びえた可能性ありやなしやと、たいへんな考証が不可欠となる。私はごめんだ。
 ところが放談のこの部分を、ライターさんは採ってゆかれた。むろん異存はないし、逃げ隠れもしないけれども。

 さぁて、中古研究や中世研究の連中から、一朴洞がまたデタラメをほざいていると、お叱りが舞込むだろうか。口うるさいいく人かの顔までが、浮んでくる。
 しかし、と思い直した。見つかりっこない。ン千ン百万の年収があるものなんて、彼らのなかにあるわけがない。いさゝか愁眉を開いた。

チ~ン!


 お世話になった。ずいぶん使わせてもらった。

 卓上ベルというそうだ。こういうものが世の中にあると初めて知ったのは、「ぴったし カン・カン」というテレビクイズ番組だった。ぴったしチームとカンカンチームの対抗戦で、コント55号の欽ちゃんと二郎さんが、両チームのキャプテンだった。回答権をもつチームが不正解して攻守ところを替えるきっかけに、司会の久米宏さんがチーンとやったのである。
 当時のテレビ常識を打破る久米さんの早口司会とあいまって、番組に空前のテンポをかもし出した。

 便利な道具があるものだと感じ入った。まさか特注でもあるまいとは思ったものの、本来どんな用途に使われる道具なのか、どんな店て売られているものか、見当もつかなかった。
 ビジネスホテルの受付などで、実際に押してみる立場になったのは、十年以上も経ってからだった。あゝコレかぁ、と思った。
 さらに二十年近く経って、多くの学生諸君相手に、本来退屈な噺を少しでも退屈させずに聴いてもらう立場となったさいに、ふと記憶がよみがえってこれを小道具のひとつとして活用した。
 「それではまず、先週寄せられたご質問から」「さてこゝで文献のご紹介」「以上脱線、本題に戻ります」などなど、便利に使わせてもらった。

 学生諸君に意地悪な用いかたをしたこともある。大学祭直前の講義一回分丸ごとをつぶして、参加者・団体・サークルの大 PR 大会と称して、希望者は教壇に立って宣伝スピーチができる時間とした。いかなるパフォーマンスもコスプレもビラ配りも、隣接教室への迷惑にならぬかぎりは鳴りものをも許可した。
 たゞしひとつだけ縛りを設けた。スピーチ冒頭が「えーとですネ」から始まったら、その瞬間にチーンが鳴り、以下のスピーチは中断されて、降壇しなければならないという縛りだ。当時、もったいを付けるかのように、あるいははにかむかのように、若者によるスピーチが「えーとですネ」から始まるのを、耳障りと感じていたからだ。
 そこまで注意喚起しても、このトラップにかゝってチーンを浴びた学生もあった。

 不規則生活につき、時間の割り振りは日々一定ではないが、たまさか午後に台所作業をしているときは、CD かけっぱなしか、ラジオを流しっぱなしにしていることが多い。武内陶子さんの番組か荻上チキさんの番組だ。
 東京の武内さんから各地方局を放射状に繋いで、各地のトピックスを次つぎ紹介してゆく時間帯がある。
 「それでは続いて××放送局の○○アナウンサーです。○○さん、こんにちはぁ」
 「はい、こんにちは。今日は××から~~の話題をお送りします」
 となる。地方ならではの微笑ましい話題や耳寄りな話題が多く、愉しいのではあるが、かねがね私には、この冒頭の「はい」がどうにも解りかねている。いかなる意味の「はい」なのだろうか。
 挨拶を受けての答礼というのであれば、武内さんを目下と視ていることになる。まさかそのようなお気持であるはずなかろう。いかにも私は××局の○○です、混線も順序間違いも生じていません、との確認だろうか。そんな確認が必要な場合など、百にひとつもなかろう。バトンを受けて、たしかにお引受けしました、ほどの意味が近いかと思われる。だがそれならば「こんにちは」の前が最適な位置なのかどうか……。
 間違った日本語とまでは思わない。どうかすると私自身も、使っていそうな気すらする。が、たとえば外国人さんから、あの「はい」はどういう「はい」ですかと訊ねられたら、返答に窮する。

 卓上ベルを久かたぶりに持出して、冒頭の「はい」が出るたびにチーンとやってみた。鳴らなかったのは一人だけだった。多勢に無勢、いや民主的多数決。NHK 各局のアナウンサーがたが、例外的一名を除いて一致しているのだ。私の感覚が間違っているに決ってる。だが、含意が正確には解りかねている。
 お嬢さん、こういうときに使うんですよ。意味ワカンナイんですけど~。

ヒガミ


  独居自炊暮しといっても、年がら年じゅう、似たようなものを食っている。たゞし「似たようなもの」ではあるが、「同じもの」ではない。

 私にとって年に一度のゼイタク品とか、わが日常からは想像もつかぬ美味いものと申せば、知友や親戚からのいたゞきもののことである。知る人ぞ知る、地方の老舗名品もあれば、産地直送品も、お手づから生産の野菜もある。なるほどなぁと眼を丸くしながら、ありがたくいたゞく。これ以上のものはない。というか、私には無きも同然だ。必要がない。
 絶品の酒を飲ませてやるだの、今東京ではあそこの寿司が一番美味いだの、あの店の肉を食ったら余所では食えなくなるだのといって、声をかけてくださる知人もないではないが、正直に申せば迷惑なお誘いだ。

 最高だったとも超一流だったとも思わぬが、アブク銭をたゞ右から左へ運ぶだけで、自分ではなにも生産しない暮しをしていた年ごろに、ある程度のことは見聞した。思い起せば、悪い気はしていなかった。が、もうたくさんである。昔の人は、四十過ぎての道楽と七ツさがりの雨はやまない、と云ったそうだが、どうだろうか。この齢になって、ゼイタクなお誘いをしてくださるかたには、お気遣いに感謝しつつも、
 「俺、そんな裕福な愉しみを享受できる身分じゃないから」
 と、ご辞退申しあげることにしている。この人が頑張って才覚を発揮して、裕福になられたのはご同慶のいたりだが、さてそれでなにをなさろうとしているのだろうかとの疑問も、少し湧く。貧乏人のヒガミだろうか。きっとそうだ。

 年じゅう似たような食事をしているといっても、季節により陽気により、多少は変化する。過ぐる夏ピーク時の暑さは、例年にも増してひどかった。煮物炊き物の足が速かった。生ものからの加工食品の傷みも早かった。したがって保存食の選択にも、少々の工夫は必要だった。秋になったら再開しようと、いったん休みにした献立もあった。
 なかで心強い味方は、味噌なり酢なり塩なりで強く漬けこんだ漬物軍団だ。とはいえそれらにさえ、若干のメンバーチェンジはある。甘ラッキョウピリ辛ラッキョウに替えてみた。ニンニクのシソ漬を味噌漬に替えてみた。インスタント珈琲の一日摂取量を減らして、牛乳を飲むようにしてみた。気分は悪くない。

 三か月ほどで、人体の筋肉細胞のなん十パーセントだったかは、入替るそうだ。二年ほどで、髪の毛から爪先まで、骨格も含めたすべての細胞が入替るとも聴いた。
 ということは、看病と介護のための炊事時代を了えて、自分一個のためだけの自炊生活に入って、はや十数年。脳から神経から筋肉から皮膚まで、私の肉体すべては、かようなものたちの栄養によって形成されているのだ。言葉にならぬほど美味い寿司や、口中でとろける牛肉によって、支えられているわけではない。
 わが命に無縁のものは、無きものに等しい。ヒガミだろうか。きっとそうだ。