一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

合せ技

孔子(B.C.552 - 479)

 それはまだ、片側に過ぎませんけれども……。

 日曜日の台所でなにか手作業をしている場合には、ラジオから「爆笑問題の日曜サンデー」が流れている。硬軟織り混ぜたコーナーで長時間を構成し、なかには聴取者参加型コーナーもあって、多くのスタッフの活躍が想像される番組だ。
 「サンデーマナブくん」というコーナーでは、有識者や経験者をお招きして、耳寄りな噺や眼からウロコといった噺を伺う。宣伝時間が了って、さてそのコーナーへと切換る合図として、太田 光 さんによる開始合図の定番コールがある。
 ――知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす。これ知るなり。学びて思わざれば、すなわち暗し。
 毎回寸分たがわずコールされるところをみると、太田さんの言葉ではなく、どなたか作家氏により考案された台詞だろう。申すまでもなく、『論語』の二か所から文章を引用して、並べたものである。

 いずれも「為政第二」の一節で、すぐ近くにある文言だ。
 知之為知之、不知為不知、是知也、
 愛弟子の子路を呼寄せて、諭した言葉だ。入門前はいわば任侠道の男で、魂入換えての入門後は、最側近のお弟子の一人となった。日ごろから頭の回転が異様に早く、行動が積極果敢に過ぎる傾向があるこの高弟に、孔子が釘を刺した。知ってることは好いとして、知らぬことを知らないと自覚することが、肝心だぜ。もっともな教訓である。
 だが学者たちの述べるところは、もう少し深い。認識ってのはネ子路よ、認識できたものを認識したと云えばよいので、認識の外にあるものをまで認識した、なんて云っちゃあいけないよ。ビッグバン以前の宇宙がどうだったかとか、巨大素数の出現に法則性があるかとか、本来人智のとうてい及ばぬところだからネ。
 有名な「吾いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らむや」などと考え合せても、なるほどこちらのほうが孔子の考えかたの本丸かもしれない。しょせん人間になど解るはずもないことに、この世は充ち満ちているという、わきまえなり断念なりから、孔子の考えは出発していると思えてならない。
 ちなみに『李陵』『山月記』に続く、中島敦三番目の代表作『弟子』の主人公は、この子路である。

 

石に残れる。

 さて太田 光 さんの台詞の後半。
 学而不思則罔、学びて思わざれば、すなわち罔(くら)し。
 これはお弟子のだれに向けての言葉だろうか。直前は、君子とはいかなる人物を指すかについての子貢への文言だから、引続き子貢に語っていると読むべきだろうか。それともがらりと内容が変っているから、こゝだけ独立したくだりと考えるべきだろうか。
 書物にかじりついて、お勉強ばかりしたって、自分流に消化して思索しなければ、考えは広がらないよ。
 たしかに子貢に向ける適切なアドヴァイスにも聞える。入門前は商人だった子貢は、いつも冷静沈着にしてバランス感覚を失うことがない。よくお勉強し、実務能力も抜群だ。孔子歿後に一門から広く情報収集し、次の世代へと継承した。孔子生存期から論語成立まで二百年あまり経っていようから、今日我われが論語を読めるのは、ひとえに子貢のおかげと申しても過言ではない。

 しかしである。この文言は対句になっていて、太田 光 さんには申しわけないが、片方だけでは含意いまだしなのだ。
 思而不学則殆、思いて学ばざれば、すなわち殆(あやう)し。
 自分勝手に考えて思いこんだところで、裏づけをきちんと学んでおかなければ、そんな考えあやふやで、危なっかしくて、視ちゃあいられない。
 もっともな知恵の開示ではあるが、子貢へのアドヴァイスとしては、いさゝか的外れだ。
 ともすると後世の論語編集者の判断で、対句の前半部分が直前の子貢のくだりと関連深いと視做され、この場所にはめ込まれたエピソードだったのだろうか。さような例は、萬葉集などにもよくある。

 ともあれ、対句対照して初めて真意をなす。お勉強ばっかで、考えないんじゃねぇ、どうにも。かといって思いこみばっかで、確めないんじゃねぇ、こうにも。
 合せ技一本! おそれながら、爆笑問題さんのようなもんじゃありませんか。