一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ヒガミ


  独居自炊暮しといっても、年がら年じゅう、似たようなものを食っている。たゞし「似たようなもの」ではあるが、「同じもの」ではない。

 私にとって年に一度のゼイタク品とか、わが日常からは想像もつかぬ美味いものと申せば、知友や親戚からのいたゞきもののことである。知る人ぞ知る、地方の老舗名品もあれば、産地直送品も、お手づから生産の野菜もある。なるほどなぁと眼を丸くしながら、ありがたくいたゞく。これ以上のものはない。というか、私には無きも同然だ。必要がない。
 絶品の酒を飲ませてやるだの、今東京ではあそこの寿司が一番美味いだの、あの店の肉を食ったら余所では食えなくなるだのといって、声をかけてくださる知人もないではないが、正直に申せば迷惑なお誘いだ。

 最高だったとも超一流だったとも思わぬが、アブク銭をたゞ右から左へ運ぶだけで、自分ではなにも生産しない暮しをしていた年ごろに、ある程度のことは見聞した。思い起せば、悪い気はしていなかった。が、もうたくさんである。昔の人は、四十過ぎての道楽と七ツさがりの雨はやまない、と云ったそうだが、どうだろうか。この齢になって、ゼイタクなお誘いをしてくださるかたには、お気遣いに感謝しつつも、
 「俺、そんな裕福な愉しみを享受できる身分じゃないから」
 と、ご辞退申しあげることにしている。この人が頑張って才覚を発揮して、裕福になられたのはご同慶のいたりだが、さてそれでなにをなさろうとしているのだろうかとの疑問も、少し湧く。貧乏人のヒガミだろうか。きっとそうだ。

 年じゅう似たような食事をしているといっても、季節により陽気により、多少は変化する。過ぐる夏ピーク時の暑さは、例年にも増してひどかった。煮物炊き物の足が速かった。生ものからの加工食品の傷みも早かった。したがって保存食の選択にも、少々の工夫は必要だった。秋になったら再開しようと、いったん休みにした献立もあった。
 なかで心強い味方は、味噌なり酢なり塩なりで強く漬けこんだ漬物軍団だ。とはいえそれらにさえ、若干のメンバーチェンジはある。甘ラッキョウピリ辛ラッキョウに替えてみた。ニンニクのシソ漬を味噌漬に替えてみた。インスタント珈琲の一日摂取量を減らして、牛乳を飲むようにしてみた。気分は悪くない。

 三か月ほどで、人体の筋肉細胞のなん十パーセントだったかは、入替るそうだ。二年ほどで、髪の毛から爪先まで、骨格も含めたすべての細胞が入替るとも聴いた。
 ということは、看病と介護のための炊事時代を了えて、自分一個のためだけの自炊生活に入って、はや十数年。脳から神経から筋肉から皮膚まで、私の肉体すべては、かようなものたちの栄養によって形成されているのだ。言葉にならぬほど美味い寿司や、口中でとろける牛肉によって、支えられているわけではない。
 わが命に無縁のものは、無きものに等しい。ヒガミだろうか。きっとそうだ。