一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

チ~ン!


 お世話になった。ずいぶん使わせてもらった。

 卓上ベルというそうだ。こういうものが世の中にあると初めて知ったのは、「ぴったし カン・カン」というテレビクイズ番組だった。ぴったしチームとカンカンチームの対抗戦で、コント55号の欽ちゃんと二郎さんが、両チームのキャプテンだった。回答権をもつチームが不正解して攻守ところを替えるきっかけに、司会の久米宏さんがチーンとやったのである。
 当時のテレビ常識を打破る久米さんの早口司会とあいまって、番組に空前のテンポをかもし出した。

 便利な道具があるものだと感じ入った。まさか特注でもあるまいとは思ったものの、本来どんな用途に使われる道具なのか、どんな店て売られているものか、見当もつかなかった。
 ビジネスホテルの受付などで、実際に押してみる立場になったのは、十年以上も経ってからだった。あゝコレかぁ、と思った。
 さらに二十年近く経って、多くの学生諸君相手に、本来退屈な噺を少しでも退屈させずに聴いてもらう立場となったさいに、ふと記憶がよみがえってこれを小道具のひとつとして活用した。
 「それではまず、先週寄せられたご質問から」「さてこゝで文献のご紹介」「以上脱線、本題に戻ります」などなど、便利に使わせてもらった。

 学生諸君に意地悪な用いかたをしたこともある。大学祭直前の講義一回分丸ごとをつぶして、参加者・団体・サークルの大 PR 大会と称して、希望者は教壇に立って宣伝スピーチができる時間とした。いかなるパフォーマンスもコスプレもビラ配りも、隣接教室への迷惑にならぬかぎりは鳴りものをも許可した。
 たゞしひとつだけ縛りを設けた。スピーチ冒頭が「えーとですネ」から始まったら、その瞬間にチーンが鳴り、以下のスピーチは中断されて、降壇しなければならないという縛りだ。当時、もったいを付けるかのように、あるいははにかむかのように、若者によるスピーチが「えーとですネ」から始まるのを、耳障りと感じていたからだ。
 そこまで注意喚起しても、このトラップにかゝってチーンを浴びた学生もあった。

 不規則生活につき、時間の割り振りは日々一定ではないが、たまさか午後に台所作業をしているときは、CD かけっぱなしか、ラジオを流しっぱなしにしていることが多い。武内陶子さんの番組か荻上チキさんの番組だ。
 東京の武内さんから各地方局を放射状に繋いで、各地のトピックスを次つぎ紹介してゆく時間帯がある。
 「それでは続いて××放送局の○○アナウンサーです。○○さん、こんにちはぁ」
 「はい、こんにちは。今日は××から~~の話題をお送りします」
 となる。地方ならではの微笑ましい話題や耳寄りな話題が多く、愉しいのではあるが、かねがね私には、この冒頭の「はい」がどうにも解りかねている。いかなる意味の「はい」なのだろうか。
 挨拶を受けての答礼というのであれば、武内さんを目下と視ていることになる。まさかそのようなお気持であるはずなかろう。いかにも私は××局の○○です、混線も順序間違いも生じていません、との確認だろうか。そんな確認が必要な場合など、百にひとつもなかろう。バトンを受けて、たしかにお引受けしました、ほどの意味が近いかと思われる。だがそれならば「こんにちは」の前が最適な位置なのかどうか……。
 間違った日本語とまでは思わない。どうかすると私自身も、使っていそうな気すらする。が、たとえば外国人さんから、あの「はい」はどういう「はい」ですかと訊ねられたら、返答に窮する。

 卓上ベルを久かたぶりに持出して、冒頭の「はい」が出るたびにチーンとやってみた。鳴らなかったのは一人だけだった。多勢に無勢、いや民主的多数決。NHK 各局のアナウンサーがたが、例外的一名を除いて一致しているのだ。私の感覚が間違っているに決ってる。だが、含意が正確には解りかねている。
 お嬢さん、こういうときに使うんですよ。意味ワカンナイんですけど~。