一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

きっと

 ユーチューブで、私にも解りそうな昔の映画など観ていると、突然広告に切替わって、喫煙にはドラッグ以上の中毒性があるとの、最新研究結果のご案内が入ってきた。大学入試の結果にも、喫煙がおゝいに関係するそうだ。
 さらに受動喫煙被害の問題。いまや煙草は、犯罪に等しいとの社会通念なのだろう。私も反社会的人間の一人で、はなはだ世間さまに対して申しわけなき存在だ。
 画面の中では、ジャン・ギャバンアラン・ドロンも、片岡千恵蔵佐分利信も、反社会的行為をあんなになさっている。今とは、社会通念が違ったのだろう。

 この時期に困ることのひとつは、スーパーやコンビニまでのちょいとした買物であれ、コイン・ランドリーやウォーキングであれ、家を空ける時間に気を使わねばならぬことだ。ゆうパッククロネコ便など、物をお届けくださるかたへの対応が、しばしば不調法になる。郵便受けに不在連絡票が入っている次第となる。
 独り住いの不便で、つね日頃からこの問題を抱えてはいるのだが、この時期は特別に要注意だ。お中元である。
 社会的しがらみのほとんどを了えてしまった身ゆえ、件数は減ったのだけれども、無沙汰を謝したい親戚などが、まだ少数ながらあって、季節の挨拶を交換している。また、かつての教え子と自称する若き友人たちの幾人かが、今はなにもお手伝いできていないにもかかわらず、なんやかやと気を遣ってくださる。結果として、不在連絡票のお世話とあいなる。これも社会通念だろうが、変えたほうがいゝと、今では考えられているのだろうか。

 ある宅配のお兄ちゃんは、私の行動パターンを承知していてくれて、日暮れてのち、
 「この時間ならいらっしゃるから、不在票入れとかなかったけど、今日の昼のぶんと今来たぶん」
 などと、まとめて処理してくれる。助かる。だが、その宅配会社の不在連絡票が入ることもある。再配達依頼の電話をかけ、録音テープの指示にしたがって、こちらの都合を送信する。
 「済みませんでしたねえ、俺がシフトに入ってない日も、あるもんだから」
 いやいやいや、済まなかったのは当方である。
 「二度足踏ませて、申しわけなかった。こんな時間なのに、汗びっしょりじゃないの。これ、そこらでひと息入れてよ」
 冷蔵庫で冷しておいた缶珈琲をひと缶、受取ってもらう。
 おふくろはこんな時、ピース(晩年はハイライト)だった。
 これは社会通念だろうが、変えたほうがいゝと、今では考えられているのだろうか。

 友人の居酒屋ご主人は、時短要請を遵守し、ぎりぎりまで商売していた。
 「うちみたいなちっぽけな商売じゃ、補償金もらって閉店しちまったほうが、なんぼか楽なんだけど、酒屋も八百屋もあるからねぇ。ほんの少しでもさ」
 どんな仕事だって、末端の現場は、信頼と思いやりで繋がっている。昔の偉人たちはこの心を「仁」と云った。

 客に飲ませるな。云うことを聴かぬ奴は、仕入れ酒屋を使って絞めさせてしまえ。「食べログ」にスパイさせろ。金融機関から脅しをかけさせろ。
 なんという云いぐさだろうか。この日記は政を扱わない。これは政治の噺ではない。仁をもって繋がっている庶民の連絡網を分断する、見当違いの暴力の噺である。
 それとも、社会通念が変ったのだろうか。私には、たんに頭が悪いだけのように見える。きっと大学受験のとき、煙草を吹かしていたのだろう。