一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

数の神秘



 昨日に続いて数字の噺。

 同好の士が多いのではないかと想像するが、子ども時分からどういうわけか、ぞろ目の数列が好きだ。ことに百未満の数字であれば 77 がもっとも好きである。
 パチスロとは関係ない。パチスロの発明・普及は 1980年代だろうから、わが方が年季においてまさる。ただしアメリカでコイン投入式ゲームが酒場に登場したのは南北戦争後のころで、リール回転式に定まるのが 1890年代というから、さすがに敵わない。
 それ以前に、古代中世の卜占の分野でという噂にでもなれば、それはもうだれにも太刀打ちできようはずがない。

 数というものが人間に及ぼす心理的影響は、呪縛と称んでもおかしくないほど、強く根深いものと思える。当はてなブログの元締めさんからは、今月のアクセス数が 100 を超えました、 1000 を超えましたとのご報告が入る。おそらくは 10000 を超えましたとのご報告機能も備わってあるのだろうが、私ごときにはとうてい体験できぬ世界だ。
 アクセス数 950 の記事と、1050 の記事との間に、決定的な伝播力の差があるとは思えない。あくまでも目安として、いわば里程標として、切りのよい(しかも桁が増す)数字が設定されてあるに過ぎまい。これも 00 もしくは 000 というぞろ目の神秘的魔力のひとつだろう。
 そして魔力に弱い私は、昨日に続いて今朝も、面白い数字が並んだなあと、根拠もなく実証もできぬ数列の姿に、上機嫌になったりする。


 ko-h さんが運営するユーチューブチャンネル「隠居夜咄」に、声の出演のみで参加させていただいている。文学にまつわる、無名老人によるとりとめもない昔噺だ。もとより再生数の伸びる演し物ではない。
 当「一朴洞日記」と同じく、ご縁のあった知友への無沙汰見舞いと生存確認の意味合いが強い。なかば閉された円環に棲息しつつも、たまさかお通り掛ってくださった視聴者さまのお耳に留まればメッケモンという企画である。

 開設前の予想どおり、登録者数百数十という期間がだいぶ長かった。ko-h さんの知友と私の知友とが、まずもってミズテンで、ご祝儀登録してくださったのだったろう。
 「これが 300 を超えますとね、増加がスピードアップするらしいですよ」
 どこで聴き込んでこられたものか、ko-h さんはそんなふうに云われた。そんなものかしらんと、私は半信半疑でいた。ko-h さんによる地道な動画挙げと、SNS でのリポスト機能の活用などで、わずかづつながら登録者数は増えていった。
 「まずは 300 を目指しましょう」
 登録者数 200 を超えたころ、ko-h さんは云った。腕組みしているばかりでは申しわけないので、私も高校のクラス会やらバスケ部の OB 会などでは、ビラを用意して手配りした。年賀状には「今年もブログ一朴洞日記とユーチューブ隠居夜咄をよろしく」と添書きした。

 登録者数 300 が目前となって、「300 突破記念にこれまでとはひと味ちがう演し物を」と、ko-h さんは張切った。しかし一文にもならぬ趣味労働にばかりかまけているわけにもゆかない。私と違って、彼は現役社会人であって、本業は眼まぐるしいほど多忙な人である。彼が理想と考える週一動画挙げがついつい果せず、月一挙げになったり、隔週挙げに持ち直したり、はたから視ていても涙ぐましいほどの悪戦苦闘ぶりだった。
 で、とうとう 300 突破記念番組を挙げているさなかに、登録者数は 400 に達してしまった。つまりは、どういう力学か社会学か心理学かはかいもく判らないけれども、100 から 200 よりも、 200 から 300 よりも、300 から 400 への伸びは圧倒的に早かったのである。

 繰返すが、私にはさっぱり理由が判らない。数字の神秘のように思えてしまう。
 世にはユーチューバーというかたがたがおられて、「ディスる」「炎上する」「バズる」など私が知らぬ日本語が飛び交っているようだ。インフルエンサーという情報通もいらっしゃるらしい。さようなかたがたの、いく十万いく百万という単位に較べれば、まことに笑止千万の極みではあるが、逆にそういう世界に身を置くかたがたにとっては、300 から 400 への神秘などはご存じないのではあるまいか。
 つまり私が感じる神秘なんぞは、じつは神秘でもなんでもない。これはよくよく反省してみなければならぬことだ。

 私が視聴者として登録している動画チャンネルから例を引けば、江頭2:50 さんの「エガちゃんねる」は 428 万人。青木花音さんの「Kanon Aoki」は 49 万人、キムチさんとわさびさんの「キムチわさび」は 9,35 万人である。
 そして我がほうは、ただ今現在 417 名さまがおいでてある。