一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

浮世床


 歳暮カタログを撮影してから、まだいくらも経っていない気がする。百貨店の中元用カタログが、もう来た。

 なにもないことは好いことだという、これも一例だろうか。日々是好日とは、いかなる含意だろうか。
 いやそれは思い上りか。大切なこと、心に留めおくべきことが山ほどあったのにもかゝわらず、それらを視逃し聴き逃して、記憶していないだけだろうか。その嫌いはおゝいにある。

 まだテレビを観ていたころ、気に入った宣伝にこんなのがあった。伊東四朗さん主演だった。
 「社長、××さんから、○○海苔が届きましたぁ」
 「ふぅん、○○海苔、贈っとけ」
 「え~っ、同じものを返すんですかあ?」
 「社会通念というんだ。憶えとけっ!」

 進物には心配りが不可欠だ。まず予算。高からず安からず。先さまのお好み。甘党か辛党か。お人柄は。ご家族孝行かご自分本位か。ご家族構成は。お年寄り・お子たちはおありか。ひっくるめて心配りである。
 さようなのではあるが、さらにその上に、伊東四朗社長おっしゃるとおり、社会通念ってもんがある。手前どもをお気に懸けてくださっていると同じくらい、当方もあなたさまを気に懸けておりますという挨拶だ。
 先さまは、この商品がよろしいとご判断されたのだから、それをお返しする。ともすると、お好きではあっても日常生活には少々贅沢と感じて、普段使いには一段下の品をお使いかもしれない。だったらなおさら、いたゞいた品は先さまにも無駄にならない。

 それとは逆の社会通念もある。毎回同じ品物をお届けする方式だ。おかげさまで変りなく無事に過しておりますとのお報せである。
 アソコは判で捺したように、いつもコレだねぇ。もう少し工夫はないものかしらん。さように嗤われてもよろしい。アソコからまたアレが届く季節になったという想いが、あんがい侮れないと、やがて判る日が来る。
 会社でも、お得意さまや取引先への進物選びは、総務課長の腕の見せどころだ。

 それにしてもじつに豪華なカタログと、毎回痛感する。当然ながら、食品・飲料が中心だ。豪勢だなぁ、美味そうだなぁと嘆息する。が、羨ましいと憧れたことは一度もない。無鉄砲な日々に散在した、あぶく銭のおかげである。

 広告費と交際費はけっしてケチるな、という部署に勤務したことがある。社員全員を食わせていると思って、積極策に出よという社命だった。
 ゴルフをせず、車の運転もできぬ私は、ひと苦労した。幸いなことに、胃腸と肝臓は、人一倍頑丈にできていた。狭い業界ではあったが、アイツと付合うと、美味いもの食えるよ、面白いところへ連れていってくれるよと囁かれるようになるまでには、ひと骨折った。
 不必要に美味い、食と酒だった。堪能しながらも心のどこかで、こんなもん一生食えなくたっていゝや、と思っていた。今もって、そんなもん食いたいとも思わない。

 桝井論平さんが「パックインミュージック」のパーソナリティーをなさっていたあるとき、永六輔さんからの教えということで、こんな噺をされた。
 偉いさんの鞄持ちでも腰巾着でもかまわないから、高級料亭や一流レストランの料理を口にできるチャンスがあったら、遠慮せず物怖じせず、しっかり食っておけ。同時に、学生食堂の最安値定食や掛うどんの味も忘れるな。両方味わってあるということが、なにより大切だ。
 なるほどと、理由も判らぬまゝに感心したものだった。今は、自分流にではあるが、同感納得する。ま、その間ざっと五十年。

 ところで、その桝井論平さんがご出張だかご視察だったかで、かなりの期間をかけてヨーロッパを巡られる機会があった。初めての経験に、ご不安もあったそうだ。
 永六輔さんから贈られた餞別の言葉は、かようであったという。
 「次の国、次の街へ移動したら、まずもって床屋へ飛込め。地理不案内で言葉も通じぬ土地で、落着いて町の空気を感じ、人を観察するには、それが一番だ」
 これまたなるほど。浮世床ということは、世界中にあるのかぁ。