一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

活きなさい

 筑紫哲也さんも、田原総一朗さんも、昭和史の重要議題を特集するとき、また今こそが歴史の重要な曲り角だと思い定めた番組を創るとき、必ずといっていゝほど、ゲストとして秋田からむのたけじさんを招いた。

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『週刊たいまつ』の大組みは、編集主幹みずからの手で、玄関にて作業される。

 「朝まで生テレビ」が戦後何十年記念とかを特集したとき、普段の円卓形式ではなく、雛壇に、元高級軍人やら皇国史観の大学教授やら、かつて撃墜王の異名をとった伝説の戦闘機乗りまで、凄まじい顔ぶれが揃ったことがある。こちら側には、田原さんの隣りに、むのたけじさんが黙って腰掛けていた。
 東南アジア各国の独立に談が及び、日本軍が進駐したおかげで、結果として各国は独立できたではないかというような意見が、雛壇から続出した。
 それまで黙っていたむのさんが、
 「何を云うかっ、東南アジア各国を独立せしめたのは、各国国民の努力である。日本軍のおかげなどではないっ!」
 迫力みなぎる一喝。雛壇も、視聴者代表のスタジオ参加者も、声ひとつなくシーンとした。
 このひと言が必要で、田原さんはむのたけじさんを呼んだのだなと、茶の間の私は理解した。

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夫人、ご長男大学生、ご三女高校一年、ご四女中学一年、ご次男小学三年。
『週刊たいまつ』制作部・業務部・発送部である。

 刷り部数が五百であるか、十万であるかは関係ない。五百というひと束の子どもではなく、一部々々がどうか心ある読者の手に取られ、眼に留まって欲しい、五百人の子どもたちである。大地から湧き出た言葉たちである。
 我が言葉たち、行って活きなさい。祈るような気持で、手塩にかけた印刷物を創った経験をもつ者なら、だれでもそう願ってやまない。だがほとんどの者は、その夢を実現できぬまゝに、出版人生活を了える。
 『週刊たいまつ』全号復刻! 日本出版界の悲願のひとつと云えるはずだが、まだどなたも実現していない。