一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

ヒント

勁草書房版、講談社文庫版。

 品切れ、もしくは絶版が何年か続くと、どこかの出版社から新版が出る。どこ社版で、もしくはなに文庫で読んだかで、読者の年齢または本書に出逢った年代が知れるという、名著中の名著。

 中央公論社版(1959年刊)でお読みになられた先輩がた、勁草書房版(1966年刊)で読んだ我われ年代、そして講談社文庫時代、岩波現代文庫時代、これからの若者にはKindle電子書籍という手もある。
 久野収鶴見俊輔藤田省三による鼎談の形式で、昭和後半(戦後)思想の重要な柱を複眼的に検討し合った。思想の科学研究会の方針に則って、公平かつ実証的な検討をが重ねられた。特定の政治立場からの視かたを排し、理念お題目ではない現場での思想営為が検証されたのである。
 三著者による鼎談といっても、各章分担して、あらかじめ徹底的に深読みした報告者による問題点の洗い出しと、二名によるコメントや付帯提案という、研究会方式が採られた。書籍のなかでこの形式が採られたことも、新鮮だった。

 第一章が「知識人の発想地点――『近代文学』グループ」で、漠然と「戦後批評」と称ばれていた一群の視点と立場とを、初めて広い座標のなかで客観的に跡付けようとした論考だった。それまで別個に平野謙本多秋五埴谷雄高山室静荒正人佐々木基一を読んで、各人の異同をあれこれ考えてきた学生たちのまえに、基本となる着眼点を提供したのである。
 併せて、次の世代からの「戦後批評」への批判もしくは注文、典型例を掲げれば吉本隆明橋川文三の視点がいかに必然であるかをも、明かに理解できるようになった。学生たちには、まだそれらが十分に理解できる時代ではなかったのである。桶谷秀昭磯田光一はまだ登場したばかりで、その批評的(=思想的)核心など、未熟学生には洞察しようもなかった時代だった。

 ところで、ほんの一部でだろうが、こんな旗が、はためいているそうだ。日本だけではない。いやむしろ、日本は出遅れているくらいで、欧米各国が先んじているらしい。
 それぞれの国に在住するロシア人の若者たちが、考案し、伝播させている旗だという。わが国でも、停戦・ロシア軍の撤退を訴える在日ロシア人の若者たちが、新宿駅前や品川駅前に立つさいに、はためいている。

 ロシアにあって反戦平和のアピール行動を起せば、即時拘束されてしまう。せめて自由にものが云える国に住むロシア人だけでもという、やむにやまれぬ行動だろう。同時に、短絡感情に駆られた一部の日本人が、すべてのロシア人を忌避するような事態を避けるべく、現在の状況はロシア国民の総意ではないと、日本人に向けてアピールする狙いも含まれていよう。

 旗デザインの意図は、現在のロシア国旗から、血や暴力や過剰なナショナリズムを想起させる赤を拭い去り、濃い青を明るい水色に替えたものだそうだ。単純と申せばあまりに単純ではあるが、メッセージは明快なほうがよろしいではないか。

 インタビューに応えた在日ロシア人の若者は云う。自分らは少なくとも今後百年、ロシア人であることを恥じて生きてゆかねばならなくなった、と。
 まさか、そんなことにはなるまい。各国の若者・次世代・これから産れる未来人たちは、それほどレッテル貼り主義者ではあるまい。とは思うものの、さように云いたくなる現在の若者の気持には、想い及ばぬではない。

 『戦後日本の思想』で雑誌『近代文学』グループを総括して、いくつかのポイントを箇条書き的に整理しているが、なかにこんな一項がある。
 軍国主義国家~敗戦国家の経験を、人間の本性・人間性の正体という深みにまで掘り下げて検証しようとしたこのグループの論説は、やがて平和・安定の世が到来するとともに、有効性を失うだろう。しかしその深みに留まるかぎり、将来もしまた人類が同様な危機に見舞われる時代がやってくることでもあれば、ふたたび息を吹きかえして有効性を発揮することだろう。

 歴史に同一の局面などありえない。が、相似的局面は生じうる。ヒントは汲み出しうる。山室静を、埴谷雄高を、本多秋五を、生きてるあいだにもう一度、読み返さねばならぬかもしれない。