一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

〈口上〉嬉しきこと

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2022.1.1. 

―― 口 上 ――
 おめでとうございます。つゝしんで初春のお慶びを、申しあげます。
 貴台さま、およびご家族さまに、ひとつでも多くの、嬉しいことや愉しみなことがございますよう、お祈り申しあげます。

 北国では、例年にも増して雪の元旦をお迎えとの消息。難事はございませんでしょうか。お見舞い申しあげます。東京は、肌寒くこそございますものゝ、うらゝかな陽射しに恵まれた、おだやかな朝を、迎えております。
 この日記にとりましては初めての新年でございますので、年頭にあたり、ひと言ご挨拶申しあげます。

 いく度か言葉にしおるところながら、恥かしくも手前、いくつかのなりわいを渡り歩き過してまいりましたる半端者にて、もとより本業などございませんで、汝なに者かとお訊ねありましても、的確には答えられそうもなき身分の者でございます。
 履きつぶしましたる何足かの草鞋、それぞれの引際年齢は職によりまちまちでした。最後まで就いておりました職を、定年退職いたしましたるが昨年の三月。これからは秋の日の笑福亭鶴瓶落し。日々ボケゆく自分と、乏しい預貯金が減ってゆくのとを、視比べて過すだけの身の上となりました。

 そんなある日ふと、若者のすなる日記というものに眼がとまり、心安かる若き友人たちの手を煩わせ、立上げましたるが、この日記でございました。生れて初めて、デジカメというものも、手にいたしました。スマホで用が足りるからこれは用済みと、云い出してくれた若者から、恵んでもらう幸運に浴したのでございます。

 記録によりますれば、第一回が昨年の五月三日。ゴールデンウィーク中でございました。すでに記憶曖昧でございますが、おそらくは、それぞれ職に多忙な若者たちが、休日に寄ってくれたのでございましょう。
 以来今日まで、欠かさずに二百四十四日。この「口上」がおりしも、ちょうど三百本めの投稿と、あいなりましてございます。

 独居老人につき、かねてより人さまにご心配をおかけしがちでしたのに、加えて無職・引籠り。おまけにスマホ不所持。日記の存在理由の第一は、知友へ向けての我が生存連絡。知友から視れば、アイツの生存確認。これでございました。
 だと申しますのに、蓋を開けてみますれば、ただ今までのアクセス数が一万八千五百余り。お励ましの星印を七千五百ほど、頂戴いたしております。それほど多数の知友はおりません。
 しかもどうやら、ほんの少数ながら、毎日のように訪れてくださる読者さまも、おいでのようでございます。身に余る、想定外の光栄でございます。

 いゝえ、公開日記でございますから、覗いてくださる読者さまはもちろん大歓迎で、おひとかたおひとかたのお手を取って、心よりお礼申しあげたき気持でございます。ですが、それほど面白いものでも、ございませんでしょうに。
 世に雄飛する「人気ブログ」「お化けブログ」を、後学のために覗き見いたしましたところ、いや、巧いものです。話題を得意分野に絞り込んで、広き世間に隠れたる同好の士を掘起して糾合したもの。タイムリーな話題をいち早く取上げて、眼を惹く見出しを付けたもの。なるほどこうすればアクセス数が伸びるのかと、ほとほと感服することしきりでございました。

 それらに引換え我がほうは、機会あるごとに繰返させていたゞいておりますが、天下国家を論じません。最新流行も取沙汰いたしません。世間さまのお役に立つ話題については申しません。
 老残の妄想、独断、埒もなき記憶による他愛なき思い出噺。つまり老いの繰りごとでございます。しかもこの老人、権威・権力に興味なく、裕福にもさほど興味ございません。ボケるなら欲ボケだけはご勘弁、色ボケなら大歓迎と、常日ごろから考えおる者にございます。
 さらに加えまして、記憶違いや無知による誤記を正すべく、調べ直す気がございません。勘違いも、料簡違いも、野放図のまゝでございます。

 こんな無教養な日記が、果して面白いものでしょうか。
 唯一取柄と申せそうなのは、権威による折り紙付きとか、自称教養人による俗流常識とかを、そうやすやすとは信じないという点でございましょうか。

 新しき年この日記は、ますます不愉快に、つまらなくなってまいりましょう。大河(タイガー)から分れて猫の食い意地。よりいっそうワガママに食い散らかし、破廉恥に書いてゆきたいと、念じているところでございます。
 はなはだ意気揚らず、面目なき仕儀ではございますが、年頭のご挨拶とさせていたゞきます。
 読者さまの御身に、ひとつでも多くの嬉しきことが訪れますように。