一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

〈口上〉連続六百日

 東西とーうざーい!

 歳末を迎え、どちらもさまにおかれましても、なにかとご多用にて、とかく心急く頃おいではございますが、私ごとにて恐縮なれど、ひと言、お眼を汚しますことをお許し願いあげます。

 昨年の五月三日、想い起しますればゴールデンウィーク期間中に、老いの繰り言、当「一朴洞日記」第一回を立上げ投稿いたしましてより、本日令和四年十二月二十三日をもちまして、なか一日も休むことなく六百日連続投稿と、あいなりましてございます。
 しかも六百は日数でございまして、投稿回数はとなりますと、六百六十二回を数えましてございます。

 これもひとえに、ご縁をもちまして当日記にお眼をお止めくださり、時にお読みくだされますことで、手前をお励ましくださりました皆々様のおかげさまと、深くふかく、感謝いたしおるところでございます。
 改めまして、こゝに心よりお礼申しあげる次第にございます。

 以前にも申しあげましたが、「一朴洞日記」は、一にけっして天下国家を語らず、二にけっして人さまのお役に立とうなどと考えず、これらを二大方針といたしてまいりました。際立った特色を突出さず、たゞ埒もなき身辺日常と、それに触発されてふと想い出しましたる、とりとめなき過去の記憶のみを語ることを、眼目といたしてまいりました。
 意に反しまして、柄にもなくなにごとか主張力説しおるお見苦しき場面も多々あったやに懸念されますが、それらはいずれも、一時の気の迷いにございますれば、どうかなにとぞご寛恕のうえ、ご放念くださいますよう、伏してお願い申しあげます。

 かようなる方針は、今後とも変りませぬ。変りはいたしませぬが、少々気掛りに存じおる点もないではございません。月を追い日を追いまして忘却老耄はなはだしく、まさしく秋の日もかくやの鶴瓶落し。
 しかも忘却だけでしたら、どちらもさまに対してご迷惑は及びませんでしょうが、自制心の減退と申しましょうか、バランス感覚の衰退と申しましょうか、あれとこれとを勘案する視野が急速に狭くなってまいっております。俗に申す、老人の云いたい放題といった様相が出来いたさぬともかぎりません。
 どちらもさまにおかれましては、どうかどうか広きお心を持たれまして、ご海容ご笑覧のほど、重ねがさね伏してお願い申しあげる次第にございます。

 とは申せ、大道芸の猿回しが猿を使い、新内流しが三味線を用いますがごとくに、言葉(日本語)を手すさびにこの齢まで生きてまいった身にございます。老いさらばえたりとは申せ雀百まで、なにがしかの新機軸をとの工夫は、ほゞ空洞化し果てた頭のなかをつねに駆け巡っております。僥倖を得て実を結びましたあかつきには、ぜひともご披露に及びたきものと日々念じております。

 本年も残すところ一週間余り。新しき年を迎えます。
 正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし、と狂歌にございます。
 手前もそれに倣いまして、六百も千日行の一里塚、と申しあげまして、区切れ目のご挨拶とさせていたゞきます。
 隅から隅までずいっと、今後ともなにとぞよろしく、お願いあげたてまつります。