大晦日、元日、そして今日の三日間に、ファミマで煙草を買った以外は、口をきいていない。独り言はたくさん云ったろうが。鼻唄もたぶん。日本語を耳にしていない。いたゞいた賀状には眼を通した。メールの応答もしたが。
苦にはならぬし、寂しいとも味気ないとも感じない。それどころか、こんな暮しをしたくて、かく身を処してきたとすら、思えてくる。
だがお若いかたがたは、そうはゆくまい。
杉浦幸雄・岡部冬彦、両画伯による合作画文集『図解・淑女の見本』は、『漫画サンデー』の人気連載を一書にまとめて、実業之日本社から一九六九年に刊行された。
ホステスさんや芸者さんやダンサーその他、才色ともに抜群の並いる淑女たちを裏側から、人間味たっぷりに笑いのめした、名著である。
とある座敷で、岡部冬彦さんに付いた芸者さんが、偶然『漫画サンデー』を面白く読んでいるという。むろん眼の前の客が何者かなど、知らずにだ。素知らぬ顔で岡部画伯。
「淑女の見本ってのが、たしかあったろう?」
「あゝあれね。ワタシのことばっかり描くんだもの、嫌いよ」
だそうである。
同著の「季節と熟女」の章に、「一月二日のホステス」なる杉浦幸雄筆の一枚がある。日ごろはスミレよヒバリよと、うるさいほど何やかや云い掛けてくる男たちが、誰もなんとも云ってこない。気晴らしにと初参りに出掛けてみたら、もっともらしい顔して、本妻や子どもを連れた旦那に出っくわした、という図である。
ところで、稀代のユーモリストであられた両画伯は、こんなことご存じながらお口にはなされまいが、別の筋から伺った件。
正月の三日から松の内までが、年間でもっとも、水商売の女性の自殺が多い期間だそうだ。こゝが一番落着ける。君といる時がホントの俺だ。いやはや男は勝手なことを、恥かしげもなく云う。が、正月ともなれば、本妻のもとへ帰ったまゝ、ウンともスンとも云ってこない。女性がたにとっては、なんとも云えぬ気分に陥る季節だそうだ。
故あって郷里へは帰れぬ、電話すらできぬ事情を抱える女性もあろう。知友との連絡を絶っている女性もあろう。ならばせめて職場仲間となら話せるかといえば、心許せぬ朋輩に囲まれた職場に身を置く女性もあろう。
たとえ口先だけでも、ちやほやしてくれて、自分を崇めるように接してくれる馴染み客だけが、気持の支えになってくれていたのだと、思い知る。が、その客には、正月の居場所がある。
SNSだのスマホだの、じつは繋がってもないのに、誰かと繋がっていると錯覚させてくれるありがたい玩具が、まだなかった頃の噺である。
それとも、私が世間から遠ざかってしまっただけのことで、実状は今も変りないのであろうか。
だとすれば、ホステスさん、ダンサーさん、マッサージさん、その他の娘さん……どうかどうか、死なないでくださいまし。