一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

バラスト(二十世紀の台詞たち③)【6夜連続】

f:id:westgoing:20220413004407j:plain


 またこの顔か。申しわけございません。昆林斎胡内でございます。

 今日では不条理演劇なんぞと称ばれまして、辻褄が合わない、理由・動機に見当がつかない、奇妙な設定やら展開やらをもった芝居を、多くのかたが面白がってご覧になる時代となりました。
 しかし一九五九年、『動物園物語』が世に現れました時には、ぶっきらぼうで粗削りで、観客を挑発するようでもあり、また観客を小馬鹿にしたようでもある、この一幕劇が、今までだれも観たことがなかった珍しい形式のお芝居として、たいそう話題となりました。
 作者のエドワード・オールビー、あるところでこんなふうに云っております。「私の書く台詞は、すべてバラストである」と。

 バラスト(ballast)とは、もと海運業界の言葉。たとえば龍港と虎港とを往復する定期貨物船があったといたしましょうか。龍港から運んだ小麦を虎港に降し、帰りは珈琲豆を積んで龍港へ戻る予定だったが、急な事情が生じて豆が間に合わない。しばし待とうかとも思いましたが、会社からは、次の仕事がつっかえてるからすぐ帰って来いとの指令。さて船長はいかゞいたすでございましょうか。
 船というものは、喫水が浅くなりますと(つまり重心が高くなりますと)、外海へ出ようものなら横波を喰らって転覆しやすくなります。船底の倉庫が空では危ないのでございます。しかたなく、砂やら小石やらを布袋やカマスに詰めました、土嚢のごときものを船倉に積込んで、ドシッと喫水を安定させて出航いたします。
 このとき船倉に積込みますものが、バラストでございます。それ自体に商品性や価値があるわけではなく、重量なり嵩なりをもってそこに在ることが唯一の存在理由であるような、ナニガシかの物のことでございます。申しますれば、場ふさぎのガラクタでございますね。

 ただ今では、潜水艦でも最新鋭艦でも、海水を船底のタンクに取込んだり吐出したりして調節いたすそうで。バラスト水と申すそうですな。
 お馴染みのところでは、鉄道線路の枕木の下にこんもりと盛上るように敷詰められました小石が、バラストでございます。また建築や土木の工事現場には、よく基礎工事用の砂や小石が積上げられておりますが、少々詰りましてバラスなんぞと称ばれておりますそうで。

 さてお客さま、オールビーはなぜ、自分の書く台詞はすべてバラストであるなどと、申したのでございましょうか。たとえば本日このあと、お客さまのどなたかと、池袋駅までの帰り道がご一緒になったといたしましょうか。
 「ほぉ、高円寺にお住いで。それはそれは。手前も昔、高円寺におりましたことが、はい。高円寺の部屋代の相場は今、いかほどですか。今でもガード下にあの食堂、ございますかしらん。ほぉ、お祖父さまが手前と同窓で。失礼ですが、何年卒でいらっしゃいますか?」
 本音を申しますれば、今さら高円寺の不動産相場を是が非でも知りたいわけではございません。思い出ある食堂へ、死ぬ前にどうしても一度ゆきたいものと、せつに願っているわけでもございません。ましてやお祖父さまが手前の先輩でいらっしゃるか後輩でいらっしゃるかを、命懸けで確かめたいわけではないのでございます。
 せっかくご縁あって同道いたしますのに、競歩の選手よろしく、ムッツリ黙りこんで先を争いましても、味気のうございましょう。ですから、ごく当り障りのない話題を振っているわけでございますよね。
 いかゞですかお客さま。時間という船倉を、バラスト台詞で埋めているのではございませんでしょうか。

 どうか胸にお手を当ててみてくだしまし。朝お眼醒めになれば、ご家族との会話。お宅を出られて、ご近所のお顔馴染とすれ違えばご挨拶。お仕事場へ着けば、守衛さんにひと声。同僚と情報交換という名の愚痴と世間噺。来信メールと昨日実績の確認。経理課で仮払いの清算と領収書チェック。ゆったり出勤の課長に昨日の報告と本日の行動予定。打合せが午後一と決って、社員食堂でいつもより早めの松定食。
 いやはやその間に、ご自分の全存在を賭けて胸の底から絞り出した、血を吐くような台詞のひと言が、ございましたでしょうか。我に返ってみれば、日々の暮しはバラスト台詞に充ち満ちているのではございませんでしょうか。いゝえそれどころか、会話もメールも書類も、あたくしどもはバラスト言語に埋れて生きているのではございませんでしょうか。

 にもかゝわらず、でございますよ。オイディプス王にもアンティゴネーにも、ハムレットにもリア王にも全身全霊の台詞を要求し、さような台詞こそ見事と称賛しているのは、いったいいかなる事態なのでございましょうか。
 たしかに、凡百常人にはとうてい吐けない本音を吐くからこその、巨大な主人公なわけで、古典はまぁ、それでもよろしいといたしましょうよ。
 しかし現代のあたくしどもと等身大の現実味(リアリティー)を表現しようとするのであれば、現にあたくしどもをして窒息圧死せしめるほどに、世に充満しているバラスト台詞、いわば真意を剥奪されて空洞化した言語を用いてこそ、ありのまんまと申せるのでは、ございませんでしょうかねぇ。

 アメリカの若き鬼才が、処女作において果敢に実験いたしました台詞は、さような台詞でございました。
 なるほどジェリーの長台詞には、支離滅裂のうちにも、人生観・世界観にまつわる穿った寸鉄が散りばめられてはおります。それら警句を拾い繋げて、暗示的に浮びあがる世界像を再構成して納得いたしますことも、面白くはございましょう。そういう面白さも、作者の意図のうちではございましたでしょう。
 ですがピーターとて相当に料簡のできた、肚の据わった職業人として家族を養う身でございます。初対面の男から、ふいに聴かされたアウトロー的人生観ごときに心揺さぶられ、うろたえ、意気消沈してしまう男とも思えません。にもかゝわらずピーターは、ジェリーに圧倒されてしまいました。翻弄されたとすら申せましょう。
 どうやらこれは、同一地平に立つ者同士の見解相違などではなく、異次元から襲いかかってきた言葉の暴力だったと見えます。常識世界が無意味の暗黒世界からの攻撃を受けたのだと、手前は考えおるわけでございます。

 かように申しあげましょうか。どうかお客さま、横線一本棒、分子と分母によります分数の形式を思い浮べてくださいまし。
 ピーターは知的な常識人として、地上の常識(コモンセンス)の側におります。その知性と人生経験ゆえ、おなじ地上の非常識(アンチ・コモンセンス)と衝突いたしましたところで、対抗すればよろしいだけのこと。いわば分子部分で加減乗除しておればよろしいわけです。
 ですが、コモンとアンチ・コモンとが綱引きし、それなりに釣合っている分子世界の足元には長い横線すなわち地平・地面がございまして、地下には無意味(ナンセンス)という分母領域が潜んでおります。そこから湧いてきたエネルギーが、横線を軸にグルンと回転して、分母と分子とを入換えてしまうかのごとき攻撃を仕掛けてきたとき、ピーターの常識は消耗せざるをえなかったのだと、手前は解釈いたしております。
 いさゝか手垢まみれの申しようと承知で申しますれば、意味を形成している常識世界が、無意味世界の端倪すべからざる威力に脅かされた光景と、見えるわけでございます。

 日常流通する言葉が率直かつ真摯な意味を喪って、空洞化している事態は、エドワード・オールビーにとりましては、もはや告発するにも値しない、自明のことに過ぎなかったようでございます。バラスト台詞に埋れているあたくしどもの現状は、考察の結果などではなく、考察または表現の前提だったように見受けられます。

 ではかような考えが、いかなる筋道を経て出てまいりましたものか、少々確認いたしたきところでございますよねぇ。
 あいにくお時間でございます。あとは明晩ということに、させていたゞきます。どうかまた、お運びくださいまし。
【二十世紀の台詞たち③】