一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

名月



 私のカメラで、お月さまが撮れるはずもないのだ。名月も、街の灯も、一緒である。

 中秋の名月だという。しかも満月だという。月の暦と太陽の暦とが合致したわけだ。次にかような僥倖あるは、七年後だという。私にとっては、生涯最後かもしれない。
 ユーチューブ・チャンネルのディレクター氏が教えてくださった。収録日につき、ご来訪くださったのだ。
 今回の話題は、長年語り慣れてきたはずの材料だ。トークライブや講演の機会もあったし、職に在った時分には若者への講義の一端に含めたりもした。にもかかわらず、喋りがだんだん下手になる。前後の経緯も異なるし、割当て時間も異なる。なにより想定した聴き手が、つまり語りの趣旨が異なる。言及材料こそ同一でも、別の喋りなのだ。

 たしかにさようではあるものの、そんな高級な、本質的な問題ではなく、発声や滑舌が、また息つぎや速度調節が、いちじるしく劣化している。
 同じ材料を扱った、二〇〇七年一月のトークライブ音源が残っていたので、試しに聴いてみた。喋りながらも、頭が回転している。喋ろうとの決断を済ませた台詞を口にしながら、次はアレか、いや後回しにしてアッチが先かと、脳が選択やら調整やら検索やらの作業を同時進行させている。むろん眼の前のお客さまの反応を探りながらだ。
 こんなことを俺はしていたんだなぁと、改めて呆れる。今では見当をつけた言葉が記憶の引出しから即座には出てきてくれなくて、頻繁に口調が滞ったり、エーットとなったりする。ディレクター氏の編集作業に、余計なお手間をおかけするわけだ。

 話芸の玄人衆が、六十歳で芸風確立、七十歳で枯れた味わいなんぞとおっしゃるのは、よほどの日常的精進と稽古の積重ねなしには実現できぬことだ。
 あともうひとつ、適当な言葉を探しあぐねるのだが、自分の仕事についての純真さといったもんが、不可欠のような気がする。

 わが家の彼岸花群、本日満開宣言。南から北へと跳びとびに、よく咲いてくれた。先頭を切った花はすでに萎れている。今年最後のシャッターとなろう。
 そして来年は、こうはゆくまい。