一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

女の郷里

     

 ご恩を受けた姐さんに、お眼にかけるも面目ねえが、これがしがねえ駒形の、一本刀ぁ、土俵入りでござんすぅ。
 長谷川伸を象徴する傑作は『瞼の母』だろうが、私は第二の代表作『一本刀土俵入』が好きだ。

 水戸街道は取手宿(茨城県)、つい眼と鼻の利根の渡しから船に乗れば下総の国(千葉県)である。茶屋旅籠(ちゃやはたご:料理屋で旅館で、つまりいろんなことをする所)安孫子屋の店前。昼飯時が過ぎ、夜の賑いまでののんびりタイム。板前や女中も表に出て、談笑したり一服つけたりしている。ただ二階の障子が閉じてあるところを観ると、昼日なかから、シンネコで一杯という客でもあるらしい。
 花道の奥からなにやら騒ぎ声。野次馬のガヤガヤに取巻かれながら、しだいに舞台方向へ。どうやら地元のゴロツキが旅行者にちょっかいを出してるらしい。板前や女中たちは、またかという呆れ顔で奥へ引込む。一団は安孫子屋の前まで来て、さらにひと騒ぎ。
 おりしも上手(かみて:客席から観て舞台右手)から浴衣がけの長身青年登場。元気なく足元もおぼつかない。聞えよがしに因縁つけて大声で悪態ついているゴロツキのトップ弥八に、ついぶつかってしまう。
 「なにしやがんでい」「わざとじゃない、そっちから……」「やかましいやい」
 ポカポカポカッ、情ない青年は叩きのめされてしまう。

 二階の障子ががらりと開く。女。キリッとあだっぽい大年増(今申すアラサー)。やおら盃洗の水を、弥八の頭を目がけてサッとぶちまけた。
 「オッ、なにしやんでえ。お蔦のアマァだな」
 「静かにおし。そっちこそ頭を冷しちゃどうだい」
 「今上って行って、ただじゃおかねえから、待っていやがれ」
 「あぁ、来れるもんなら上っておいでな。ここにどなたがおいでとお思いだえ。お前んとこの親分さんだよ。さ、おいでな。じかに叱られてみるがいいや」
 「な、なんだとォ。たしかにお蔦のアマァは親分の馴染(なじみ:定連の指名客)だ。チクショー、覚えてやがれ」

 お蔦の気っぷでその場はどうやら収まった。「お前さんも、とんだ災難だったねえ」というわけで、二階と往来との上下で、お蔦と青年の身の上噺が交される。
 青年は駒形茂兵衛、相撲部屋の取的だ。巡業中だったが、お前には見込みがないと親方から追出されてしまった。部屋のおかみさんになんとか取りなしてもらおうと、両国まで歩いて帰ろうというわけだ。一文無しで、この二日というもの水だけを飲んで歩きどおしだという。
 「そんな無茶な。千住までだってあと八里はあるよ。それについそこの渡しだって、十六文の船銭がいるんだ。そんな薄情な親方なんぞ、縁がなかったと見切りをつけて、他の道を行っちゃあどうだえ」
 茂兵衛には家族も身寄りもない。なんとか辛抱して、おっ母さんの墓の前で土俵入りを披露したい一念だという。
 お蔦は決心したように、紙入れ(長財布)を放る。中には小判数枚。茂兵衛には視たこともない大金だ。髪に差していた櫛やら笄(こうがい:髪飾りの一種)やらをシゴキ(薄地の帯)に包んで、それも放った。
 「これじゃあ、姐さんが一文無しになっちまう。こんなこたあ……」
 「いいんだよ、あたしゃあここにいさえすりゃあ、なんとでもなる身だもの。それより渡しの船頭さんから、こんな女物をどこでと怪しまれたら、安孫子屋のお蔦から貰ったとお云い。間違えるんじゃないよ。あ、それから、あんたの四股名はなんとお云いだい? 駒形、そうかいあんたの生れ在所だね。近くへ相撲が来たときには、きっと観にゆくからね。なんとしてでも辛抱しとおして、立派な横綱におなり。おっ母さんに、土俵入りを見せておやり」
 茂兵衛は、いく度も安孫子屋を振返り振返りしながら、花道を下る。
 「あれ、まだ振向いてるよ。いいからお行きというのに。いよォ、駒形ぁ~」

 これが序の場。お蔦の一人娘お君を出す小さな場が挟まって中入りとなる。おせんにキャラメルのひと時。大詰め(後半)は、年月が経ってからの噺となる。

 合羽からげて三度笠、長身にして見映えよろしき旅人が、取手宿への道を急いでいる。高倉健の役どころ。もっと若いところなら豊川悦司村上弘明か。十年以上も芝居も映画もテレビも見ないから、以後の人は知らない。
 途中あらぬ人違いから地回りに斬りかかられて、思わず時を無駄にしちまった。陸に引揚げた船の修理に余念がない船大工と船頭、二人の老人に道を訊ね、安孫子屋が廃業して今はないことも知る。この侠客、今はその道に名を知られる駒形茂兵衛である。

 ほうぼう当って手間の末に、お蔦の居所を訪ね当てた。飯盛り女稼業(風俗嬢)からはとうに足を洗って、子ども相手の飴屋を生業に、一人娘お君とつましく暮していた。
 亭主の辰三郎は腕の好い職人だったが、野望があり過ぎ上を視過ぎる男で、上方へ修業にと言残して旅に出たままいく年も経った。お蔦の腹に子ができていたことも知らなかった。流浪のさなかに伊勢あたりで、偶然同郷人に出逢い、噂話にお蔦が一人娘を育てながら、今も亭主の帰りを待っていると聴いた。ハタッと眼が醒める。東国への道を急いだ。
 しかし取手宿が近づくにつれて、なんとも敷居が高く感じられてならなくなる。せめて詫びに添えて手土産のひとつも、の想いがきざして、よせばいいのに流浪のさなかに身に着いた悪習であるイカサマ博打につい手を出しちまった。地回りから追われる身となった。先だって茂兵衛がふいに斬りかかられたのは、辰三郎と人違いされたからである。ということは、辰三郎も見映え様子のよろしい、そうとうのイケメンだ。
 夫婦再会、父と娘の初対面。再会できればこの地に未練はない。追手を逃れてお蔦の郷里へ旅発とうとの相談が進む。

 そこへようやくお蔦の居所を訪ね当てた茂兵衛が戸を叩く。早くも追手かと、初めは警戒されたが、どうも様子が違うようだ。その昔、おかみさんからひとかたならぬご恩を受けた者だと名乗る。せめてもの礼だと、夫婦の前に小判の塊が置かれる。
 今の夫婦にとっては喉から手の出る大金には違いないが、その「ひとかたならぬご恩」というのに、お蔦は憶えがない。
 「思い出していただけねえのは、むしろ幸いでござんす。さ、辰三郎さんとやらお支度を。お蔦さんとお君ちゃんもどうか」
 ジャンジャジャジャン、ジャジャジャン、ジャジャジャ~ン(ダースベイダ―のテーマ)。
 追手どもが到着。あの時の弥八は今では親分となっている。数日前、茂兵衛に斬りかかってノックアウトされた奴らもいる。

 立回り。茂兵衛は峰打ちと頭突きで、次から次へと倒してしまう。
 「旅人さん、ありがてえが、手荒な刃傷はどうか……」
 「どいつもいっとき眠ってるだけで、ご安心を。それより辰三郎さん、お蔦さんとお君ちゃんを早く」
 その時お蔦「あっ、思い出した。旅人さん、あなたあん時の……」
 「せっかくのお情けでしたが、こんな姿となり果てまして、お恥かしうござんす。さ、こいつらが眼を醒まさねえうちに、どうが早く」
 一家三人は、振返り振返り、花道を下る。見送りながら茂兵衛の名台詞。
 「これがしがねえ駒形のぉ~」

 ところで、若気の至りを心底悔いて、妻子と出直したいと涙ながらに懺悔する辰三郎にお蔦は、ならばわたしの故郷へ帰って、地道に出直そうと提案する。その故郷とは、「善光寺さんよりまだ向う。越中富山の八尾の在」とはっきり云っている。「風の盆」で有名な八尾(やつお)である。
 若き日には、阿波踊りを観てみたいもんだと思った。ねぶた祭を観てみたいもんだと思った。博多山笠を、岸和田だんじり祭を観てみたいもんだと思った。仙台と平塚の七夕へは出掛けてみた。映像や動画が豊富な時代となったこともあって、今はそれほどにも思わない。ただ例外がひとつだけあって、越中富山八尾の「風の盆」だけは、映像や動画を観たところで、実物を肉眼と耳と躰で感じたいとの思いが消えない。
 越中おわら節の、ゆっくりたっぷり、単調哀切な調べの延々たる反復である。きびきびと直線的な男踊りは、山から樹を伐り出し、筏に組んで川を下る、労働の型を今に残している。編笠の奥深くに顔を隠して慎ましい振りの女踊りは、苦難に耐え辛抱して実を残した、待つ者の強さと美しさを型にしてある。
 三日間というもの、昼夜を分たず唄い続けられ、踊り続けられる。舞台踊りもさることながら、町流しが格別だ。深夜、提灯を先頭に踊りの隊列が続く。東の空が白じらしてきても、沿道の見物もほとんど絶え果てた小路を、唄と三味線と胡弓と踊りとが行く。先祖への鎮魂とは、まさしくかようなものだ。

 『一本刀土俵入』において、お蔦の郷里が越後村上だろうが会津若松だろうが、出羽だろうが庄内だろうが、比叡山だろうが高野山だろうが、筋立てにはなんら影響がない。だが多感にして野望に衝き動かされた前半生から脱皮して、これからはつましく地道にと決心する一家が落ちゆく先として、越中おわら節の哀切な調べは、まことに似つかわしい BGM である。
 主題だの、作品構造の建てつけだの、筋立ての巧拙だのを、評者は云う。だが作家は、作品の彩りだの味わいだの、匂いだの手触りなどを考えている。