一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

月並ですが



 結局はいつもの店で、いつもの席で、〆鯖に冷奴。うんざりするほど月並な定番だ。

 なん年ぶりかで、巣鴨駅周辺を歩いた。
 学生時分には、同人雑誌の月例会や合評会を、駅前の喫茶店「白鳥」で催した。雑居ビルの二階全部を占めた、L 字型に広がるだだっ広い店で、いつ行っても満席の心配がないので、便利だった。最低でも月一で巣鴨駅に下車していたことになる。
 社会人になってからは、山手線から都営地下鉄三田線への乗換駅だった。神保町へ出かけるための通過点だったわけだ。巣鴨の街へ出る機会は、めっきり少なくなった。
 同じ神保町目当てでも、その日の狙いや目論見によって、営団丸ノ内線お茶の水駅を出発点とする場合と、都営三田線神保町駅からスタートする場合とがあったわけだ。

 なにせ駅前を走る大通りは国道17号線だ。北側ほどなくから枝分れする「とげぬき地蔵尊通り」は旧中山道である。おいそれと変りようのない道筋だ。しかし街の風情はだいぶ変化したと、風の便りに耳にしてはいる。

 
 駅前からとげぬき地蔵へと向う商店街は、発電所になっていた。商店街アーチには「すがも駅前太陽光発電所」と大書してある。「お婆ちゃんの原宿」と異名をとったお地蔵さまへお詣りしようと思えば、発電設備の下を通って行くことになる。
 国道の対岸を歩いていた私の眼には、どこまで続くのかと思われる太陽光パネルの列に、なにやら感じるものがあった。あえて申せば、痛いたしい印象を受ける。

 時代を先取りした気分なのだろうか。国政や都政の要請に敏感に反応した、優秀な商店街とアピールしたつもりだろうか。商店街の照明や音声を自家発電で賄えれば、たしかに有益だろう。だが街の景観としては、なにやら不似合いでそぐわぬ、いやそれどころかズタズタの印象がある。そんなことには慣れろという主張なのだろう。
 たしかに馬車を廃止して市電を通したときも、その路面鉄路を引っぺがしてバスと自動車の道にしたときも、守旧派からは痛いたしいとの苦情が殺到し、それには慣れろと説き伏せて、時代は進行してきたのだったろう。今回も同様だろうか。ほんとうにそうか。

 科学技術にはまったく無知だ。ただパネルの部品のほとんどが、廉価の外国製だとは知っている。国内生産品よりも外国製が廉価であるについては、とあるカラクリが介在していることも知っている。
 パネルの耐用年数が来て、取り外しもしくは交換したとき、部品と接着剤の特殊性から、現在の技術をもってしては解体・再利用が不可能だとも聴かされている。よしんば技術的に可能でも、コスト的に見合わないため、そのままの形で固形ゴミ化するほかないとも聴かされている。ほんとうに廉価なのだろうか。

 繰返すが、私は科学技術に無知だ。が、国語的疑問をも抱いている。「再生可能エネルギー」とは、なにを指しているのだろうか。そもそもの定義からして変だ。使われ解消する力をエネルギーと称ぶのであって、エネルギーは本来再生されたりしない。できない。廉価な、もしくは無料の自然エネルギーによって発電機を回すと云っているのであって、エネルギーが再生するわけではない。つまり発電機は摩耗し、老朽化するわけだ。その発電機部品が再生・再利用できぬとなれば、事態はどうなるのだろうか。
 言葉のまやかしがある気がしてならない。都電を廃止して自動車専用道路にしたのとは、事情が異なる気がしてならない。

 しかしまあ、人間がしでかしてきたことが一度で図星を刺したことなどありはしない。行き過ぎ、揺り戻され、振り子運動の振れ幅が次第に小さくなって、ついには定見に至る。なにごともさように違いあるまい。
 ただこの問題が、国家の命運や民族の消長にまで関わる根っこを持っていそうな気配なので、少々気が揉めるというまでだ。
 なにごとも経験だ。発電所の下の商店街を歩いてみた。「千成もなか」も「千鳥まんじゅう」も昔のままだった。少し気が楽になった。


 好天のもとを、久びさに歩き過ぎた。生ビールのジョッキを呷りたいと、切実に感じた。しかし歩き慣れぬ土地で万一のことでもあってはと、自重した。
 駅前に喫茶店ルノアール」があった。これなら私でも入店できる。「白鳥」はとうの昔に消えた。「スターバックス」だとメニューも注文のしかたも判らない。
 飲み物のカップなりグラスなりが空になるころを視計らって、温かい緑茶がサービスされる。昔から変らぬルノアール流だ。
 たしか昨日だか一昨日だかが、八十八夜だった。そういえば長らく日本茶というものを飲んでないなあと思ったばかりだ。ここで逢うとはまさに重畳である。味のほうはと申せば、緑茶ってこんなんだったっけという気がした。ルノアールさん、ごめんなさい。私の舌がそうとうイカレてるんです。

 で、ようやくわが町へと帰ってきた。〆鯖に冷奴である。