一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

その日はきっと

 
 第一日目。門扉から入ってすぐの建屋がわ。

 好天続きの数日、片づけに精を出したいところながら、珍しく外歩きを頑張ったりしたこともあって、肉体疲労気味だ。雑草むしりをわずかづつでも進めようかと。
 春もそこそこに夏日到来とか。元気な若者でも、躰を馴らすのが容易でないらしい。ましてや年寄りは、ことに熱中症に注意せよと、ラジオでは番組を問わず繰返している。
 そこで、一日ひと坪を目処に、三十分で作業を切上げてはいかがかと。まことに歯がゆく、情なき仕儀ではあるが、体調急変して救急車騒ぎでも起してしまっては、多くのかたがたにご迷惑をおかけしてしまう。自分で思っているほど私は強くない、を基本方針に据えなければなるまい。
 表を通りかかったかたから見えるところを、まずもって。これは見栄だろうか、それとも世間さまに対する礼儀だろうか。

 
 第二日目。玄関脇。スタジオ兼倉庫へと渡る隙間。ここは往来通行人からは見えない。

 一日ひと坪の亀進行でどうなるものか。作業できぬ雨天もあれば、気乗りがしない油照りの日もあろうに。いくら狭い敷地内とはいえ、ひと渉りしたころには、最初の区域にはなにかが芽を出しているだろうに。イタチごっこではないか。
 いかにもさようだ。どうにかならぬものかと、かつてたまたま居酒屋で隣り合せたお若い造園業者さんに訊ねたことがある。方策はふたつあるとのことだった。除草剤を撒くか、全面を発芽防止シートで覆うかだとういう。それ以外の方策はないとのご返事だった。
 除草剤と気軽におっしゃるが、敷地内全体の土壌に毒を混ぜろということだ。ご免こうむりたい。発芽防止シートは、建築予定のある更地で視たことがある。全面黒づくめの、ビニールシートみたいなもので、地表をすべて覆ってしまうのだ。建築予定地ならまだしも、個人宅にはそぐわない。
 教えてくださった造園業の若者も、けっしてお奨めはいたしませんがね、と云っていた。

 たしかに亀進行のイタチごっこだ。しかしいつかは追いつけるのではないか。その日はきっとやって来ると、胸の隅っこで思っている自分がある。可能性を数値化すれば、絶望的に低い数字かもしれないが。
 だれ一人として視たことも経験したこともない基準で、人間はものを考えがちな動物だ。なにごとも話合いで解決する世界。差別意識を抱かぬ人間性。妬んだり劣等感に苛まれたりせぬ人生。すべて画に描いた餅である。だのにそれらを基準に他人を攻撃(口撃?)する暇人もある。笑える。
 もしも人間が、なにごとにも叡知をもって対応できる動物であったなら、第一次世界大戦なんぞ起らなかったはずではないか。さすれば二十世紀は、よほど様相を異にした時代でありえたではないか。現代も、かくのごとくではなかったかもしれない。
 つまりなんだ、そのぅ、私の草むしりも、笑える、ということか。

 
 第三日目。往来に面した、桜樹の切株周辺。ブロック塀は喪われ、交通安全のオレンジ・フェンスで往来と仕切られてある。

 四月五日まで、桜樹が花を咲かせていた。梢は二階家の屋根の高さほどあった。それが突如へし折られた。危険かつ周囲に迷惑だとの警察署と東電とからのご指導で、へし折られた地上部は即日撤去された。
 老木とはいえ、地中部はたいした量の水分やエネルギーを幹や枝葉に送っていたことだろう。長年の習慣は伊達じゃない。この一か月の反発は力強いもので、もの凄い量のヒコバエというか新芽を出してきた。あたりのヤブガラシやフキなど、対抗しうべくもない様相だ。

 気持は解るが老樹よ、今ここで不平・苦情を云ってはならない。ヒコバエはすべて剪定鋏で伐り、周辺の草むしりも済ませる。
 遅かれ早かれ、東京都から召上げられる土地だ。非力ではございましたが、そして亀進行ではありましたが、できる限りは管理をいたしてまいりましたと、口上を付けて東京都に渡してやるつもりだ。

 本音を吐出す機会が二度と訪れなかったりすると残念だから、ここで記しておこう。
 ヤイッ東京都! 住民の気持を考えもしねえで、図面の上でばかり仕事してんじゃねえゾッ。
 ヤイッ保険屋! 現場を確かめに来もしねえで、業界慣習や判例集でばかり考えてんじゃねえゾッ。