一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

気づいてみれば


 君子蘭を株分けして地植えにしたさい、その根周りに、土の応援になればと枯草や生ゴミを埋めておいたところ、生ゴミに混じっていたカボチャの種が芽吹いてしまった。その出足は怖ろしく早かった。周囲は除草したばかりで土面が露わだったから、君子蘭の根かたにカボチャだけが覗いた状態だった。呆気にとられたものか、シダ類、ドクダミ、小型三つ葉類など通常の雑草類は、しばらく姿を見せなかった。
 気づいてみればカボチャはさらに丈を伸ばし、君子蘭を取巻いてしまった。ここは元来俺たちの縄張りと云わむばかりに、雑草類も隙間を埋めるように敷詰めつつある。

 今日視れば、カボチャの葉には生意気にも虫食いまであって、とんだ作物づらをしてござる。細い茎が二本延びあがってきていて、このぶんだと栄養不足の花の二輪くらいは着けるかもしれない。さてそんなことにでもなったら、思案のしどころである。
 家庭菜園の真似事をする気はない。カボチャは飽くまでも予期せざる雑草である。が、花が二輪来たとなると、片方を摘んで、もう片方に授粉すべきだろうか。いや、君子蘭への仁義を貫いて、他の雑草類とともにカボチャの株もろとも引っこ抜いてしまうべきだろうか。

 しかし思い返してみれば、過去をどう遡ってみても、君子蘭にさほどの借りもなく、義理立てする筋合いもない。私にとっては、雑草類による繁茂狼藉状態でない控えめな緑でさえあればよく、この半坪が君子蘭領分となろうがカボチャ領分となろうが、どちらでもかまわない。
 およそ無価値な、かような思案が、わりに好きである。
 

 ご近所のマンションとしては、最古参に属する。一階は商店とコンビニで、二階以上が住宅である。前が川だった時代、たしか垣根を張り回した日本家屋だった。お婆ちゃんがご健在だったうちに、マンションになったのだったと記憶する。半世紀も前のことだ。
 いく度かリフォームされて、堂々たる入口がある。住人にお知合いもないので、足を踏み入れたことはないが、エントランスを進めば奥にエレベーターもあるのだろう。
 入口の脇に目立たぬ窪みがあって、把手付きの扉が嵌っているが、長年気にも留めずに過してきた。正面玄関を鍵で閉じた時間にも、関係者だけは出入りできる通用口か、それとも管理人室でもあるのだろうと、勝手に思い込んできたのである。
 今日視たら「ゴミ置場」という白札が扉に貼ってある。当マンション居住者専用の、ゴミ集積場だったと見える。なん十年にもわたる自分の迂闊さに唖然とした。

 家庭ゴミの収集車がこの前に停車しているのに出くわした覚えはない。だいたい日ごろのゴミ出しというものは、拙宅前の往来に面した、いわゆる向う三軒両隣の事情については、いやでも眼に止る。また東西の十字路を手前に折れた、いわば拙宅の横手および裏手に位置するお宅の模様も、なにかのおりに気づかされる。
 だがこのマンションは、信号付き十字路の二度渡り、つまり拙宅ブロックとは対角線に位置するブロックにある。そのためゴミ収集事情などつい眼に入らぬままに、なん十年も過してきたわけだ。

 しかし、と思うのである。お婆ちゃんがご健在で、最初にマンションが建ったとき、こんなゴミ置場があったかしらん。いく度か大規模はリフォームもなさったはずで、いつの頃からかかような配置になったのではないだろうか。
 だいいちその頃は、往来に面してゴミ箱が設置されていてもおかしくない時代だったろうし、ゴミ収集ルールも今とは異なっていたはずだ。ではいつ頃から……? 考え始めると、きりがないのである。

 きりがない問題はケリがつかぬとしておいて、さあこの扉がゴミ置場と判ると、仰々しく扉で閉された居住者専用ゴミ置場とはいかなるものか、気にかかってくる。
 各戸別だろうか、共同分別だろうか、いつ出してもよろしいのか、ルールはどうなっているものか。一度でいいから中を覗かせていただきたいものだ。
 およそ無価値な、かような関心が、わりに好きである。