一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

把握しない



 ケネス・クラーク(1903 - 83)の訳書がこれっぱかりしか手許になかったかと、不思議な気がする。書店の棚で視かけると、いつ読めるか判らないけれどもいちおう買っておこうと心がけた、短い時期があった。もっとも、さような心がけを放棄して以降に刊行された訳書も多いのだけれども。

 NHK 教育テレビで『芸術と文明』と題された、西洋美術史を古代から近代まで総覧して解説した、イギリス BBC 制作の長篇シリーズ番組が放送された。一九六九年制作らしいが、日本での放送がさてなん年だったか、記憶にない。本国での放送からあんがい間もなしに輸入するもんだなと思った記憶があるから、七〇年前後だろう。再放送もしてくれたから、全回漏れなく視聴したはずである。
 全回とおして、小柄でややなで肩の、いかにも英国紳士といった銀髪の老人が、おだやかな口調でにこやかに案内してくれた。ケネス・クラークという名を憶えた。

 現代イギリスを代表する美術史家で、研究以外に美術界の維持発展に寄与すること多く、一代男爵として「サー」の称号を授けられた人だと知ったのは、あとのことだ。著作の日本語訳は、まだほとんどなかった。
 『ザ・ヌード』が出た。『芸術と文明』が出た。この人からは眼が離せないと思い込んだ。広い視野をもって、確かな証拠の品を積上げながら、地理全体を把握する、また歴史全体を把握するという思考に餓えた学生だったのだ。

 ケネス・クラークを知る前に、矢代幸雄(1890 - 1975)『随筆ヴィナス』とはすでに出逢っていた。西洋美術における裸体画・裸体像をくまなく鑑賞して歩いた、旅行記のような美術史論である。写真版もふんだんに添えられていて、解りやすく愉しい本だった。
 西ヨーロッパの東西については、日本の無学な学生にも容易に見当がつく。文学を読んだって音楽を聴いたって哲学をかじったって、イギリス人とドイツ人ではずいぶん異なる。ところが南北となると、いささか学識が必要となる。古代ギリシア精神の北方伝播だの、宗教改革だのプロテスタントだの、ルネッサンスの北方的変質だのと、無学学生の手には余る。
 ところが『随筆ヴィナス』は云う。地中海沿岸人と北方人とでは、ほら、裸体についての感性がこんなにも違う。ロマネスクアーチとゴシックアーチとでは、こんなにも違う。陽光だ、官能の悦びだ、苦悩だ、内省だ、精神性だ。写真版のなかに、ことごとく一目瞭然の証拠があった。ボンクラ学生の眼にも、はっきりと見えた。

 ケネス・クラーク『ザ・ヌード』にはほとほと感服したが、仰天して魂を抜かれるほどにはならなかった。矢代とクラークとが、ともにイタリア留学して、ルネッサンス美術研究の世界第一人者だったバーナード・ベレンソン教授から教えを受けた、いわば先輩後輩の間柄だと、すでに承知していたからである。
 その後いずれも斜め読み・拾い読みにて、私でも教えてもらえそうな箇所だけを摘んできた。いつの日か、腰を落着けてケネス・クラーク著作に読み耽る日がやって来ないものかと、夢想した時期もあった。

 が、古書肆に出す。地理であれ歴史であれ、全体を把握するという意思を、今の私はまったく持合せぬからである。私なんぞに全体が把握できようはずもないというばかりでなく、今の私にはすべからく全体というものに関心がない。ますますなくなってきている。半ボケ老人が大きいことを考えると、周囲にご迷惑をおかけする。身近な些末が第一だ。

 バーナード・ベレンソン(1865 - 1859)はユダヤアメリカ人だ。イタリア移住の経緯については、身内の関係やアメリカ国内の学会動向など、伝記作者にとっては興味ある問題もあろうが、私にはどうでもいい。
 『ルネッサンスのイタリア画家』の日本語訳が大型の限定本として出ていて、かつて清水の舞台から跳躍したものだ。ベレンソンから矢代とクラークとに等しく継承された学統とはいかなるものかを、自分なりに突き止めてみたいとの野心を抱いたからである。なんとなく解るような気がしたが、確かなことはなにも解らなかった。
 バーナード・ベレンソンの貴重な大著を、古書肆に出す。