一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

やはり深夜に



 祝・新装開店!

 集中力の老化は、意識を切換えながら複数用件を併行処理する能力の減退として、顕著に表れる。直列乾電池でしか流れぬ電流みたいだ。
 七草にはユーチューブ収録と新年会があるから、松の内はそのことだけを考えて過した。一週間後には原稿〆切と授賞式パーティーとが控えているから、そこを中心に考えて過した。あれこれを同時併行して考えると思考も行動も散漫になって、虻蜂取らずと申すべきか、どこかに穴を空けてしまいそうだ。多くのかたにご迷惑をおかけいたしかねない。
 ようやくお約束の用件が済んだ。いや、じつはまだ、拝読して感想を申し述べるなり返事申しあげるなりせねばならぬ原稿がいく篇かある。〆切日限が切られてないのを好いことに、怠けて放置してあるだけだ。が、ともかく〆切というものが、ようやく取っぱらわれた。

 なにがなんでもコインランドリーへ行く。暮れから正月へかけて、ものぐさにものぐさをを重ねて、溜めも溜めたり大量の洗濯物だ。「週に一度の健康洗濯」との標語を考えてはあるのだが、実行されたことはまだない。今回もまた、サンタクロースの背負い袋ふたつぶんといったところ。洗濯機三槽、乾燥機二槽ぶんだ。しかも今回から、店を換える。というか、古巣へと戻る。
 看病・介護時代に始まって、長年通い詰めたランドリーが昨年四月に店を閉めた。近所をあちこち物色して、不満ながらも妥協の範囲という店に決めて、そちらの馴染みとなって半年余りが経った。どうにか慣れてきたところで、元の場所に新装開店された。経営者が替ったらしいので、すぐには飛込まずにしばらく観察し、設備偵察に二度ばかり足を踏み入れてもみて、さて新年を機に古巣へ戻ろうというのである。

 広くなった。奥に三室あったコインシャワー室を取っぱらい、すべてが洗濯場となった。洗濯機も乾燥機も台数が増えた。スニーカーや子供靴を洗える靴専用の洗濯機も以前どおりある。年に一回ていどしか利用しないが、まことに助かる機械だ。
 きれいになった。新台に換えたのだから当然だ。照明設備には変更なさそうなのに、店全体が明るくなった。清潔感も断然増した。作業台や椅子などは、すべて新品となった。可燃ゴミ不燃ゴミの廃棄箱も新しくなり、形が統一された。
 洗剤の自販機や百円硬貨への両替機も以前どおり設置されてある。ただし新しい両替機は千円札しか受付けず、五百円硬貨百円硬貨に両替する機能は消滅した。
 おおむね踏襲されながら各機能が格上げされた印象は一目瞭然だ。

 雨上りの日曜二十二時。店内ガラ空きと予測して入店したが、案に相違して複数の先客があった。二台の乾燥機をセットし了えて、若いカップルが出ていった。洗濯機を設定し了えて、三十代の勤め人とおぼしき長身の男が出ていった。店内は私独りとなったが、作動中の洗濯機や乾燥機がいく台もあった。たいした繁盛だ。
 客層が広がった気がする。近隣住民にも好印象なのだろう。しかし断定はできない。つねの時間帯よりはだいぶ早くに、入店したのだ。私のコインランドリー入店は、午前零時を過ぎてからが普通だ。深夜を過ぎて、夜が白じら明けてくる時間帯の場合もある。汚れものを洗濯機に放りこみ、ここで着替えてゆく夜勤明けの肉体作業員もあった。夫や子どもらが起き出す前に洗濯を了えてしまうのだと話してくれた母親もあった。新装開店後も同じ客層は戻ってきているのだろうか。さような時間帯に入店してみなければ判らない。

 拙宅の階上には、不十分ながらも物干し場がある。が、陽が当る時間帯に干し物をすることなど、とうていできぬ相談だった。深夜か早朝以外に洗濯に宛てられる時間などなかった。深夜族・早朝族ばかりが、コインランドリーでの顔見知りだった。挨拶することも言葉を交すこともなかったが。
 昼間に入店する気さくな奥さんがたから、あれこれ教えを授かるようになったのは、主として両親が他界してからである。世に云うオバチャン情報は、ほんとうに役に立った。文句なしに感謝している。しかし思い返してみても懐かしいのは、互いに口も利かずに眼で相手を確認するのみだった、深夜族・早朝族の面々である。
 やはり次回からは、深夜過ぎに来てみよう。