一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

去年今年


 長年利用し続けたコインランドリーが閉店した。平行した一本向うのサミット通りにもランドリーがあったので、サンタクロースよろしく巨きな洗濯物袋を肩にして、脚を延ばした。そちらにも同一の貼紙が出て閉店していた。同じ経営者だったのか。迂闊にも知らなかった。

 拙宅にだって洗濯場くらいはある。もの干し場もある。が、介護まっさかりのころ、間に合わなくなった。もの干し時間もとり込みの時間も惜しかった。老人が寝入ってのち深夜から明けがたにかけてが、洗濯および乾燥時間だった。二十四時間営業のコインランドリーには助けられた。
 洗濯機や乾燥機が回っているあいだは、ベンチに腰を降して束の間の仮眠時間にできた。またそこで顔見知りとなった奥さんがたからの井戸端会議的な情報は、おおいに役立った。

 両親歿してからは、自宅で洗濯・もの干しをした。何年かして、洗濯機が故障した。排水機能が麻痺して、洗濯場が水浸しになった。取扱説明書にある寿命の二倍以上も働いてくれた老朽機だった。
 買い替えるのは惜しくない。が階上の洗濯場まで昇る階段や廊下には、長年の習慣の蓄積たる物や小家具が詰っている。旧機搬出も新機搬入も容易ではない。あれこれ計算したうえで、ふたたびコインランドリーへと通うようになった。
 二年前が父十三回忌で、今年二月が母十七回忌だった。長い付合いのコインランドリーが閉店した。しかも拙宅からもっとも近所の二軒が同時に。

 次に近い隣町の一軒は、営業時間が二十三時までだ。生活不規則で、人さまが途絶えた穴場時間を洗濯に宛てたい私には不向きだ。それに設備に不足があって、毛布やタオルケットなどの大物に対応しがたい。スニーカー洗いもできない。
 その次に近いのは同町ながら別町内である一丁目の一軒で、こちらは二十四時間営業だ。ただし狭い店であるうえに二方向が往来に面した角店で、人眼に立ち過ぎる。待ち時間をベンチに腰掛けて読書や居眠りというわけにゆくかどうか。お知合いが通りかかる頻度がすこぶる多い立地である。
 かといって時間を潰す喫茶店なども近くにはない。ならば待ち時間は買物に宛てようとしても、スーパーまではやや遠い。通い慣れてきたランドリーであれば、中三軒をおいた先にはビッグエーがあったのだ。
 さてその次はとなると、いつも通う末広湯に併設されたランドリーとなる。わがままなもんで、湯屋への道としては遠くないが洗濯場への道としては遠い。行きには汚れもの、帰りには洗いあがりものを抱えねばならぬからだろうか。では、湯屋・洗濯屋同時敢行とすれば……。洗濯時間よりも乾燥時間よりも、私の入浴時間は長い。機械の時間を見計らって早々に風呂を切上げるのはごめんである。困った。

 玄関周囲がだいぶ賑やかになってきた。植物たちの饗宴である。
 昨年末から新年へかけて、落葉を漏れなく土に還すとの目的で、かなりの面積を掘り返した。そのさいにスコップで、ドクダミの地下茎をだいぶ切断しておいた。またもっとも早く芽を出してくるタンポポ類については、視かけるたびに鎌の先端で芽を掻き取ってきた。そして放置すると後がうるさいヤブガラシについては、若い茎が眼に着くたびに引っこ抜く。軟らかく小さいクローバ類は、眼こぼしにしてきたけれども。
 例年はドクダミタンポポヤブガラシそれにシダ類といった、いわば四強に機先を制せられて、陰に隠れがちだった連中が、かなり増長してきている。むろんわが手の及ばなかったエリアには、四強がのさばってきている。

 肌寒い季節は私も冬眠したようだった。そろそろ動こうかと思い始めた矢先に、数日来の陽気不安定だった。ようやく地下足袋に履き替える季節がやって来たろうか。
 毎年、判で捺したように同じ想いが湧くのだが、もともと地下足袋という履物が、私は好きである。億劫ではあるが、やり甲斐もある。が、これまた毎年思うのだが、年を追うごとに億劫の度合が増してくる。急かされ、追い詰められてきた気分に誘われる。
 草むしりもコインランドリーも、今年は去年のようにはゆかない。