一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

新天地


 いつまで迷っていても、埒が明かない。汚れものは溜まるばかりだ。初入店のコインランドリーへ。

 二方向へ出入口を開いた角店である。しかも狭い店だ。洗い上りや干し上りをぼんやり馬鹿面で待っていようものなら、道行く人から丸見えだ。しかし二十四時間営業というのが、私にとってはポイントだ。利用者が途切れたような深夜に入店すればよかろう。というわけで、初挑戦した。

 昭和三十年代の終りころまで、ここは八百屋さんだった。三原屋さんといった。ご両親が店をやり、姉と弟の二人の子があった。姉は小学校で私と同級生だった。異性を意識し始めた年頃だから、幼馴染みだった姉とはあまり口を利かなくなっていた。弟は親に内緒の悪さをするようなときには、私の子分だった。
 当時の八百屋さんも魚屋さんも、ご自分で卸市場へ仕入れに出向かれるのが普通だったから、三原屋さんの前にもご主人のオート三輪がちょくちょく停まっていた。
 ご主人は足袋を履いたまま、まるで竹馬にでも乗るかのように一斗樽の両縁に乗り、二本の長柄の道具を前後左右にゴシゴシ回しながら、樽のなかの里芋の皮を剥いていた。
 私が中学生のころ、同じ私鉄沿線のもっと西のほうへ、引越してゆかれた。その後のご一家については、なにも知らない。

 信号機のある十字路の対角線側の角にしゃがんでシャッターを切った。昔そこは日本蕎麦屋さんで、うどんや中華そばや丼ぶりものもあった。相模屋さんといった。わが家は、外食したり出前を頼んだりするような経済状態になかったので、お付合いはなかった。今は一階が車庫スペースになった仕舞屋となっている。道路に面して、何台かの飲料自販機が並んでいる。そういえば、コインランドリーの前にも、飲料の自販機が一台据えられてある。

 長年かよい慣れた店よりだいぶ狭いという第一印象だったが、思えばそれも当然で、ここは洗濯と乾燥専門だが、これまでの店の奥にはコインシャワーの個室がふた部屋併設されていた。私はついに利用する機会はなかったけれども。
 数えてみると、洗濯機の数はこちらが六台も多い。乾燥機の数は同数だ。ただし以前の店には洗濯から乾燥まで一貫してでき、しかもダブルサイズの毛布など大物にも対応できる最新大型機が二台設置されていた。スニーカー専用の洗濯機もあった。
 今眼にしているこの店に較べれば、以前の店は設備が数段良かったが、その最新式だの大型だの特殊だのが、どう視ても稼働率よろしいとは申しがたかった。こちらのほうが、狭い店に機械がぎっしり詰め込んである感じがする。仕上りを待つ者の居場所などは考慮されてない。店の隅に置かれた洗剤自販機は故障している。

 その代り、洗濯代はこちらが安い。乾燥代は同じだが。レートが安いために、以前の店にはありえなかった、二百五十円という洗濯機がある。だというのにこの店には、両替機が設置されてない。コインを持たぬ者は洗濯に来るな、というスタイルである。
 ははぁ、と得心がいった。店外の自販機で飲料を買うのだ。コインを得るために。信号機があるような十字路の対角線上に、何台もの飲料自販機があっても、これであんがい売上げはよろしいのかもしれない。しかも仕上りを待つ時間を潰すに適当な、喫茶店も軽食堂も、あたりにはない。巧くできているもんだ。

 店の隅に、申しわけ程度に二脚の椅子が置かれてある。これだけ機械が詰っているのに、仕上り待ち人の定員は二名らしい。
 その一脚をさっそく移動した。二正面の店の片方の往来からは見えない、袋小路のような場所がある。しかもそこは監視カメラの真下であり、どうやら死角となりそうだ。そこを私の待機兼読書場所とする。ただし退店のさいには、椅子をもとの場所へ返しておくのはむろんのことである。