この季節の拙宅内はつねに寒く、私はたいてい鼻風邪を引いている。熱は出ない。躰が怠いということも、節ぶしが痛むということもない。ただのべつ幕なしに鼻水が出続ける。凄い量で、毎分ごとに鼻をかまねばならない。なにをするにも面倒だから、いきおいティッシュペイパーを小さく丸めて、鼻栓をして過すようになる。ポケットにタオルは必須となる。近所への買物くらいであれば、鼻栓の上からマスクをかけて出かけてしまう。
アッ来るな、という予兆は感知できる。やっぱり来たか、という自覚症状も明瞭だ。峠を越えるとやたらにクシャミが出て、症状が薄らいでゆく。その間五日ていどで、丸一週間も症状が続けば、長いほうである。やれやれと安堵していると、翌週あたりまたやって来る。花時までに四回五回と循環する。
いつからだったか記憶しないが、ここいく年か、年中行事のようになっている。重症化もしないから、葛根湯を服用するほかに、とくに治療もしない。花粉症体質のかたのご苦労はこんなもんじゃないのだと、自分を慰めている。
おりしも昨日今日が、この冬三度目の峠に指しかかっている。処置法も思い浮ばないから、外出を控えて鼻栓で過している。で、いつか片づけねばとそこらに置きっぱなしだった仙厓の画集を、昨日から眺めては置き、また眺めては置きを繰返しているわけだ。
牛飼いが牛を牽いた「此蓄生」と賛を付された画がある。手持ち本は『出水美術館選書』(平凡社)の一冊だが、古田紹欽による解説と各画への短いコメントが付いている。
「こん畜生と腹を立てている人間が時には牛よりも更に畜生である。」
すいぶん遠慮したコメントだ。いく度眺めたって、だれがどう観たって、コンチクショウと悪態つきながら相手を睨んでいるのは、牛のほうだ。だいいち牛飼いは腹を立てたりなんぞしちゃあいない。
円熟の碩学は人間に遠慮したようだ。事を荒立てないのは善いことだけれども、ここまで読者に媚びてしまうと、むしろ読者から仙厓を遠ざけてしまわぬかと、余計な心配をしたくなる。それともこの『出光』シリーズは、さような観損じなどするはずがない水準の読者だけを想定してあるのだろうか。
それならそれでよろしいけれども、いずれにせよこのコメントは、仙厓一流の滑稽感の図星からは外れている。意図的に外してあるのかもしれない。
春の中年と秋の老人とを対比させた双幅がある。両方の賛を繋げると、春の上の句と秋の下の句とが対句となって、「柳町春の若木に花落て 秋の老木に葉も落にけり」となる。
柳町は仙厓の住んだ福岡の色街。若気のいたりが過ぎて花(鼻)が欠けた男と、老いさらばえて葉(歯)を全喪失した老人の対照だ。思い出さなくていいことを思い出させる、困った画である。それにしても、鼻が欠ける表現ときたら……。子どもにも解るとの利点はあるものの、世にこれほど拙い表現をした画人もあるまい。というより、もはやこれを表現と称ぶにも躊躇する。
むろん美はない。技も芸もない。ただし禅味はあると、仙厓は描いているようだ。これはよくよく考えてみなければならぬことだ。
小野道風の蛙とも松尾芭蕉の蛙とも小林一茶の蛙とも、似ても似つかぬ蛙が一匹いる。まずこれを蛙と承認するのに骨が折れる。だが私は、この両眼と跳ね上った左口角とが好きである。
古田紹欽によるこの画へのコメントはこうだ。
「(前略)ただぼんやり坐っていただけでは役に立たない。坐っているだけなら蛙は生れながら坐っている。そしてとっくに仏になっている勘定になる。」
余計な波風を立てぬよう配慮されながらも、図星のコメントかと思われる。
あまりに自在奔放にして大胆不敵ですらある画風に眼をくらまされてしまいそうだが、境地にいたるまでの禅行者としての仙厓は、画風とはギャップのある人だったらしい。よく修行した人だというし、定住してからは、融通無碍の人柄から実務にも長けた有能な寺守ではあったらしい。だが洒脱だの粋人だのといった斜に構えた感じではなく、正面切ってまっこう勝負の臨済禅者だったようだ。
坐禅を主柱とする実践修行のみならず、教学の面でも深く思いをいたす人だったと想像できる。薄っぺらに申してしまえば、曹洞禅に対する臨済禅の立場である。その件の奥処について私ごときに言葉はないけれども、公案による研鑽よりも只管打坐を旨とする曹洞の理念を上位に置く考えかたは、当時もあったろう。だがほんとうに只管打坐でよろしいと断定できるのか。
こちらの存念を窺うような気味悪い笑みを浮べた、妖怪がごとき得体の知れぬ蛙一匹が、現代にまで突き付けて来るものは、けっして小さくはない。
碩学古田紹欽の立場からは口にするのを憚られたろう、はしたない下品な云いかたも、私にならできる。仙厓は、激烈に論争的な反語的滑稽の画人だった。