一朴洞日記

多岐祐介の老残妄言

連続一千日〈口上〉

 仙厓「烏鷺雪中」(部分)。雪景色のなかの鴉と鷺の画だそうです。

 心痛むことの相次ぐ新春でございましたが、お身内に取返しつかぬ災厄はございませんでしたでしょうか。お見舞い申しあげます。
 天災人災を問わず、内外に悔しいできごとの絶えぬ年を迎えまして、早くもひと月近くが経とうとしております。今月こそ来月こそなんぞと考えおりますうちに、驚くべき速度で歳月は過ぎてゆくのでございましょうか。

 恥かしくも腑甲斐なくも、なんら取柄なき退職老人によりますのっぺらぼう日記を立ち上げましたのが、二〇二一年五月三日のことでございました。どこをクリックすれば投稿できるのやら、検索できるのやら、挿入写真を按配できるのやら、とんと見当もつかず、お若い友人がたに手取り足取りお世話になり、なにはともあれ度胸と気合とのみをもちまして始めてしまった日記でございました。
 その日より指折り数えまして、おかげさまで本日が一千日目の投稿とあいなりましてございます。一千回投稿ではございません。都合通算一千日でもございません。一日とて途切れることなく連続一千日目でございます。文字どおり盆も暮れ正月もなく、隙間なき日々でございました。
 疫病禍後の、老人にとりましてはまだまだ外出を自粛すべき頃おいでしたことが、幸いいたしました。つましき年金生活者にて、旅も遊興も我慢せざるをえなかったことも、幸いいたしました。しかしながら何よりもかによりも、ご縁あってお立寄りくださいました読者さまのお励ましあってこその一千日と、噛みしめるような実感が湧きあがってまいります。
 区切れ目の本日この場にて、改めて深くふかく、お礼申しあげる次第にございます。ありがとうございます。

 さて今後でございますが、けっして読者のお役に立とうなどと思いあがるまい、けっして天下国家を論じるまい。この基本理念は引続き堅持いたしたく念じております。
 また最近の気分を申せば、一千という数字をさほど重要視いたしてはおりません。当初は一千までなんぞ行けるものかと、頼りない覚悟でおりましたが、途中で気が変りました。七百を超えたときでございます。一度は書いておこうと胸奥にて目論見ながらも、まだまったく手着かずのままの領域が残ってあるではないか。一千ではとうてい間に合わぬ、とり敢えずは二千だ、との想いがいたしました。それから三百日を経た今では、数字上の区切りとしては意味あるものの、わが日記にとって一千という日数はあまり重要でないものとなっております。

 ただし今後はともすると、「連続」が途切れる局面が発生するやもしれません。ここ数年、ホームドクターへの報告やら相談やらを怠ってまいりました。長年服用してきた高血圧対策の薬も、中断してまいりました。豊島区から舞込む老人定期健診のお奨め封書も無視してまいりました。検査すればあちこち傷んでいるに相違ないからです。休めだの入院せよだのと、診断されてしまう可能性も避けられません。そうなれば「連続」が途切れてしまいます。
 ここが痛いだの、それが不快だのといった、老人通有の不便不都合には事欠きません。我慢し狎れあい、遣り過してまいりました。しかしいつまでも我を張り続けるわけにはまいりますまい。そろそろ黄色信号でございます。で、今後はともすると投稿が途切れる最悪の局面が生じるやもしれません。一千日の大台を跨いだ今が、格好の契機ではないかと感じております。
 それはまあ、最悪のシナリオというべきもので、ご心配いただくには及びませぬが。

 比叡山の行者でしたら、千日回峰行を果しますと堂入りの行に移ります。不動堂に籠って九日間、断食断水・不眠不臥。経文を読んで過ごします。仕上げの九日目、行者は九日ぶりに堂から出て、前後に桶を提げた天秤棒を肩にして清水を汲みに降ります。行者は阿闍梨として生れ変るのです。この荒行を生涯に二度も成し遂げた昭和の大阿闍梨酒井雄哉大僧正の行を、かつて NHK は映像に収めました。飲まず食わず、眠らず横にならずの九日間という時間は、人間をかような姿に変えるものかと、背筋に氷が這うような凄まじい光景でした。
 つい先刻まで、独り座して生死の境界を視詰めていたろう虚ろな眼差しには、いったいなにが見えているものか知りたいと、激しく思ったものでした。

 ですが今の私は、阿闍梨に興味はございません。色惚けが一番、エロジジイに限ると信じております。
 そんな料簡ですから、仙厓に雪景色のなかの鴉と鷺とを描いた画があるのですが、私の眼には、まだ鷺が見えたことがございません。見えぬままに一千日が過ぎてしまい、次の一千日へと発たねばなりません。
 読者さまにおかれましては、今後も引続きよろしくお付合いいただきたく、伏してお願い申しあげまして、大台通過のご挨拶とさせていただきます。